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食は人を作る~摂食障害によって、人生のどん底を見てからの逆転劇~

「食事」は人間ならば、あるいは生き物ならば、生きていくために必要不可欠な行為です。植物であっても光合成や呼吸でエネルギーを得ています。

今は飽食の時代を迎え、さまざまな食べ物が市場に出回っています。その中で、我々は正しい選択で食べ物を選ぶ必要があります。たいていの人は子供と同じく好きなものを食べ、知らないものは口にしません。

つまり子供のころから、周りに高カロリー商品が満ち溢れ、育てられた子供はそのものばかりを好んで食すようになります。そうなると、親が野菜を食べさせようとしても、食べることができなくなります。

例えば、親が工夫して、ケーキに野菜を入れたとして、子供はおいしいと言って食べるかもしれません。しかし、結局子供は野菜が入っているという認識で食べているわけではないので、野菜を自分から欲するなんてことにはつながらないですよね。つまり、小さいころから子供が自分の意志で自発的に野菜を好むように育てる工夫をしなければならなかったということです。

幼少期の食生活の好みが将来の肥満の原因にも、健康の促進にもつながるのです。。

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今の世の中の食生活

食の改善を求める活動家の多くの意見は子供たちに料理をさせたり、野菜の育て方を教えることでおのずと健康になっていくということを言っていました。

もちろんそれだけでは、子供が食と健康的にかかわっていくためには不十分であると思います。確かにそういった取り組みは重要ですが、料理や食物の育て方を学ぶ機会がなかったというだけで今の困難が生じているわけではありません。問題の根底は、健康幸福のバランスがとれた食生活を学んでこなかったということです。昔ながらの料理は、バランスも取れ、いつ食べるかについてもある程度の基準がありました。現代では、好きな時間に好きな物を好きなだけ食べることができます。脂っこい物や甘いお菓子など、人間を誘惑するようなものがたくさん置いてあります。現代社会において、一定の健康的な食べ方を学んだことは、一度もないのです。

一方で、豊かな国では、食べすぎだけが問題ではありません。拒食症や過食症といった摂食障害に悩まされる人も少なからず出てくるのです。一方普通の人であっても脂肪分や炭水化物におびえながら食事をしている人が多いのではないでしょうか。食事に純粋な喜びを持つことができていないのです。では、どうすればよいのでしょうか。人間は環境に順応するために食生活を変える能力が備わっています。食生活を小さいころから学んで生きてきたなら、今からでも学んで、正しいものに変えることができるはずです。

摂食障害との死闘

自分は「摂食障害」に中学生から悩まされてきました。きっかけとなったのは、部活動の引退、勉強への不安であったと思います。また、自分は周りと自分を比較して、自分を評価するような負けず嫌いなところがあり、残念なことに周りがスタイルのいい人ばかりで、自分の性格が悪い方向へと動き出してしまいました。自分は、運動していたこともあり、太ってはいなかったのですが、足が太いというのがすごくコンプレックスでした。はじめは、ご飯を普通に食べ、ジムで体を動かし、体重を管理していたのですが、次第に数字への執着が強くなり、運動はそのままに夜ごはんを抜き始め、さらに、給食をほかの人にすべて配り、昼を抜き始め、朝はみそ汁を少し飲みあとはすべて捨て、どんどん体重が減っていくのが快感になっていきました。しかし、もちろんお腹が空いてきます。そこで、僕は休みの日は親にバイキングに連れて行ってもらい、死ぬほど食べ、その一食以外は食べ物は何も口にせず、食欲を抑えていました。そのころには友達から、「お前痩せすぎじゃない?」、「ぎろぎろじゃん」、「もっと食べたほうがいいよ」などと言われていましたが、気にも留めず、不思議なもので周りと比べて明らかに自分のほうが太っていると錯覚してしまうのでした。さらに、勉強も「摂食障害」の進行に拍車をかけました。

なぜか、テストの点数はうなぎ上りに上がるのです。食べない分集中力が上がっているからなのか分からないが、着々と上がっていきました。このころにはもう骨と皮のような状態になっていました。

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この方はロシアのとある拒食症の方です。自分はこの時すでにこれに近くなっていたのかもしれないですね。この時僕は、教師からは眼光がすごいと心配されるようになり、自分ではきづかなかったのですが、極限状態になっていたのかもしれません。こうして、親に何も悟らせないように、体重を落としていき、入試の日を迎え、県内難関と呼ばれる高校へ進学しました。その時は合格したらダイエットを止められると安易に考えていました。しかし、学校が始まってみると、結局食べられなかったのです。体重の数値が少しでも増えることに恐怖を感じ、ダイエットが頭の中を支配していました。勉強にはついていけなくなり、体育も全くできないような感じでした。このままではまずいと思い、母親の弁当をしっかり食べることにしてみました。その時は自暴自棄になり、もう太ってもいいやという考えになっていました。それから数日経つと、逆に食欲の鬼が襲ってきました。朝からとてつもない勢いで食べ始めるのです。朝ごはんを食べてから、隠れて30センチもあるパウンドケーキを平らげ、おばあちゃんに大量のお菓子をもらい、学校でも休みの時間は常に何かを食べていました。学食の移動販売が来た時も大量に買い込み、一日中食べていました。そんな日が何日か続くと、当然体重は増え、顔もパンパンになってきます。すると、今度はまた食べないようにしようという考えに切り替わります。カロリミットを買い、弁当を食べる前に規定量の二倍ぐらいを飲み、弁当を食べていました。また、弁当を食べたら、すぐにトイレに行き、何百回も個室の中でスクワットを繰り返していました。その時はまだ食べていたから少しはましだったのですが、今度は母親の弁当を捨て始めました。こうしてまた食べない日々が続くようになってしまいました。しかし、今度は食べなくなるだけでは済まなかったのです。どうにかして、食べても太らない方法はないかと考えた結果、食べても吐き出せばいいんだという考えに行きついてしまったのです。食べたいという気持ちと痩せたいという気持ちが拮抗し、大量に食べて、トイレで吐き出すという生活が始まりました。ここからが本当の地獄だったのです。

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たいていの人は、「摂食障害」が進んでいくと次に、食欲をコントロールすることができなくなる「過食症」に陥ります。ダイエットのリバウンドや、ボクサーの減量後と違い、体重は増やしたくないけど、食欲がおさまらなく、胃がはち切れる寸前まで食べ物を体内に入れたくなるのです。自分は1日で1万キロカロリーくらいは取っていました。しかしもちろんこんな生活を続ければ急激に太っていきます。そこで、やせたいという気持ちが働き、吐きだすという行為に至るのです。普通の人も「嘔吐する」ということはあると思いますが、すごくつらいですよね。そんなことを自発的に毎日一回、ひどい時は三回ほど繰り返すのです。

当然こんなことをしていては、進学校の勉強についていけるわけもなく、どんどん学校に行かなくなってしまいました。これではまずいという気持ちもありましたが、その気持ちが余計に「過食嘔吐」を進行させました。とうとう親も大きな異変に気付き始め、病院の精神科を受診しました。体重測定をした結果、その病院では対応できないほどの低体重でした。その他の病院にも親が電話しましたが、「年内には死にますよ」と言われたそうです。そして、大きな大学病院の精神科に行くことになりました。そして、医師から言われた言葉は「即入院です」という言葉でした。頭が真っ白になり、冗談でも言ってるのかと思うほど衝撃でした。しかしそれは現実でした。涙が止まらなくなった自分の横で両親も泣いていました。精神科病棟は精神に異常がみられる人を治療するための病棟であったため、扉で閉鎖されたところでした。看護婦と医者だけがカードキーを持ち、出入りできる仕組みになっていました。当然逃げ出そうとする人もいましたが、扉を開けることができないため、逃げられません。また、四階にあったためおそらく飛び降りないように窓さえもあけることができませんでした。まるで刑務所のような空間でした。周りでは、ずっと叫び声が鳴り響き、形容しがたい恐怖でした。こうして、入院することになった自分は常に看護師から行動を監視され、ベッドで寝たきりの状態になりました。何をするにも看護師を呼ばなければいけないという状況、考えられるでしょうか。食事は胃腸の機能が低下しているため、ごく少量しか食べさせられませんでした。頭は常に食べ物のことで支配されており、恐ろしいことに「早く退院してまた、過食嘔吐したい」という感情だけしかありませんでした。食事は毎週少しずつ増えていき、それに伴い体重も回復してきます。医師が出した退院の条件は、死ぬ確率がある体重の域から抜け出すことでした。そして、ある程度体重は戻り、月に一回受診するという条件で退院となりました。入院した当初は退院したらもう病院を受診することがないと思っていたため、月一の受信はショックをかなりショックでした。せっかく合格した高校も出席日数が足りず、通信制の高校に転校することになり、家にずっといるような状態になりました。

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