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積極性ってそんなに大事ですか

「積極的でないように見られましたが?」

あるグループでディスカッションをした後に、ぼくのディスカッションへの参加姿勢を見て、ある人に言われた一言。

ぼくは、今になっても、この質問の、意図も本質もわからない。

この言葉を浴びせた人だけでなく、積極性や主体性ばかりを求め、過大評価する人は他にも存在する。

「積極的に生きたほうがいいよ!」
「積極的に発言してください」
「主体的な行動が求められます」

ぼくは、積極性を否定したいのではない。積極性だけを相手に求めるという行動や言動が、ぼくの中で嫌な感情、モヤモヤの感情をかきたたせるのだ。

なにかがずれている。
では、いったいなにがずれているのだろう。

ぼくは、積極性が"邪魔になる状況"もあると思っている。

例えば、ディスカッションをしていて、積極的になることを意識しすぎて自分ばかり発言してしまうことや、授業中大きな声で発表してクラスの人達から変な目で見られることだったり。

そう。常に積極的であればいいかと言われれば、そうではないのだ。だが、ぼくは人生で何度も同じように「積極的であれ」と、呪文のように唱えられた。

ぼくはそんな言葉をかけられ、「常に積極的でいなきゃいけない」と、そう思い込んでしまった。

これを読んで下さってる方でも、「積極的じゃなきゃいけない」と苦しんでいる人は、もしかしたらいるのかもしれない。

優しい人ほど信じてしまうのだ、苦しみの波にさらわれてしまうのだ、責任なんてありゃしない、"言葉の力"という荒波に。

ぼくは「アサーティブ」という言葉が好きだ。
自己主張という意味だけれど、"「他人」を思いやりつつ自己主張する"というところが好きなのだ。

他人のことも配慮するけれど、自分の絶対譲れないところは譲らない。

それが、優しい人、傷つきやすい人、繊細な人が傷つかない最善の方法だと思うんです。


はぁ。もう傷つきたくないな。

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