渡辺豪

遊廓専門の出版社と書店を営んでいます。全国に点在する遊女の墓と、北前船寄港地にあった遊…

渡辺豪

遊廓専門の出版社と書店を営んでいます。全国に点在する遊女の墓と、北前船寄港地にあった遊廓をはじめとする娼街を調べています。

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私は遊廓を取材したいです。活動費のサポートをお願いします。

はじめに2010年前後から、かつて国内全域に偏在した娼街(遊廓、赤線など)の取材を続けています。昭和33年に全国(沖縄県を除く)で施行された『売春防止法』から半世紀以上が経ち、現在では建物や文献といった記録はもとより、当時を知る人々も鬼籍に入りつつあり、記憶もまた急速に失われつつあります。 こうした時代背景から「遊廓の歴史が失われる」といった言葉も散見されます。一方で、Amazonで検索すれば、遊廓に関連する様々な新旧の書籍が提案されてきます。決して大量ではありませんが新刊

¥500
    • 2024年6月29日、『焼津遊里史』刊行記念イベントを振り返って。

      Xの花町堂こと中村宏樹さんが、静岡県焼津市にあった娼街を取り上げた『焼津遊里史』を上梓された。遊里史に限らず、郷土史本なるものは良く言えば「知る人ぞ知る本」で、たいていごく狭い読者層にしかアプローチせず、その稀な読者を待ち続けて書架に鎮座しているものだが、私が経営するカストリ書房ではよく売れており、本書目当てに来店する人も少なくなかった。発売から既に3回ほど売り切れて、そのたびごとに仕入れを繰り返している。 静岡県内でも人口は10番目で、「大都市」とは到底呼べない焼津市を取

      • 『新潟美人と花街』展を観てきた。

        新潟県同市立の歴史博物館「みなとぴあ」で4月13日〜6月9日まで開催されていた企画展『新潟美人と花街』を観覧してきた。タイトルが示す通り、遊廓や遊女にも触れる展示内容が予想でき、SNS上にたまたま流れてきた告知を見掛けた私は、是非観覧したかった。 湊町・新潟の歴史を紐解けば、慶長年間(1586〜1615年)には、新潟町の商人が近在から運ばれた物資を上方などへ輸出するなど、広く湊が機能していた早い記録がみられるが、現在に繋がる湊町・新潟を形成したのは、それから少し下った時代の

        • 相川郷土博物館が大切にする「伝える」と「宝物」とは何だったのか? リニューアル後に見学してきた。

          佐渡相川の郷土博物館を見学してきた。同館は耐震補強工事のため2022年6月から休館し、2年をまたいで今年5月に再開された。 相川は「佐渡金山」の観光地で広く知られるように、金銀の鉱山によって拓けた街で、早くから娼街があったことが記録から認められる*1。吉原遊廓の創設より早い。複数の公私娼が何度かの再編成*2を繰り返したのち、後年は水金遊廓に集約され、近世期から囲繞*3された字義通りの「廓」があった。 私はタイミングが合わずに見学できなかったが、同館の以前の展示には水金遊廓

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        私は遊廓を取材したいです。活動費のサポートをお願いします。

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        • 2024年6月29日、『焼津遊里史』刊行記念イベントを振り返って。

        • 『新潟美人と花街』展を観てきた。

        • 相川郷土博物館が大切にする「伝える」と「宝物」とは何だったのか? リニューアル後に見学してきた。

          福祉関係者のシンポジウムで話してきたこと。風流な遊廓建築が取り壊されて「もったいない」のか?

          5/18、福祉関係の諸団体によるシンポジウムがありました。フロアディスカッションで時間を貰い、私は福祉と遊廓をテーマに話す機会を貰いました。 シンポジウムを主催する「地域ケア連携をすすめる会」は、山谷・吉原エリアなどで生活支援を行うNPO法人「ふるさとの会」が、同エリアで活動する医療、介護、福祉その他社会サービス事業者や個人などに呼びかけて2008年に発足。同シンポジウムは、活動の枠を超えて、それぞれの問題を共有・話し合いながら地域におけるケア体制の発展を目指す場としていま

          福祉関係者のシンポジウムで話してきたこと。風流な遊廓建築が取り壊されて「もったいない」のか?

          対馬の遊廓地蔵/(2024/5/15)取材記/対馬市浅藻

          対馬の南端、豆酘(つつ)の隣村である浅藻(あざも)を取材してきた。今は商店など一軒もない鄙びた漁村集落となっている。50戸ほどだろうか。空き家も目立つ。ここに明治の終わりから昭和初期まで料理屋と称する遊廓が8軒ほどあったことが、昭和25年に当地を訪れた宮本常一によって記されている。(宮本常一『宮本常一著作集28 (対馬漁業史)』) 当地は明治の初期から中期にかけて、周防大島の久賀と沖家室の漁民がそれぞれタイとブリ目当てに浅藻南方まで出稼ぎ漁を展開し、現在の浅藻に定着して新し

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          対馬の遊廓地蔵/(2024/5/15)取材記/対馬市浅藻

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          洲崎パラダイス楼主の子に生まれて、感じた嫌悪感。右翼団体元会長・山口申氏(86)に訊く。その時代に何を見て、何を感じるか/(2023/11)取材記/東京都洲崎遊廓

          戦後は洲崎パラダイスと看板を掛け替えた洲崎遊廓跡は、そのまま現在の東陽1丁目にあたる。 今でこそ海が遠くなったが、明治期の地図で確かめれば一目瞭然、出島のように突き出ており、石川島監獄の囚人を使役して造成した埋め立て地である。 廓の入り口には洲崎橋が架けられ、戦後は橋の袂にあった一杯飲み屋を舞台にした短編集『洲崎パラダイス』を昭和30年、芝木好子が著した。これを原作とした川島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』も昭和31年に映画化された。 さらに歩を進めると、北方領土返還を

          洲崎パラダイス楼主の子に生まれて、感じた嫌悪感。右翼団体元会長・山口申氏(86)に訊く。その時代に何を見て、何を感じるか/(2023/11)取材記/東京都洲崎遊廓

          大吉原展|芸も教養もない〝単なる娼婦〟はなぜ軽視されるのか? 瀧波ユカリ氏、福田和子氏の動画を観終えて

          『大吉原展』の動向を受けて今月3月26日に会期が迫る美術展『大吉原展』(以下、本展)の論争が続いている、と書きたいところだが、少なくともSNS上ではすっかり沈静化の兆しを見せている。 2月9日、私はアートメディア『Tokyo Art Beat』へ寄稿した。本展会期前であることから、まずは従来の公共施設が遊廓をはじめとする性売買の歴史や文化をどのように展示してきたのかについて、近年の動向を中心に紹介した。 本稿では、本展の論争に関連した動画を視聴した私の感想と、本展に向けた

          大吉原展|芸も教養もない〝単なる娼婦〟はなぜ軽視されるのか? 瀧波ユカリ氏、福田和子氏の動画を観終えて

          「遊女はどういった境遇だったのか」に答える難しさ

          『大吉原展』を取り巻く一連の動向以降、いくつかメディアの取材を受けた。「遊女とはどういった存在であったのか?」といった遊女の実態、遊女像について聞かれる。「きらびやかな遊女像」「悲惨な遊女像」という意見対立に映る本件は、じゃあどっちが正解なの?と読者を代弁してメディアが伝えたいのだろう。加えて、こうしたメディアからの質問は動向以前からあった。その意味で一連の動向は、『大吉原展』以前から徐々に醸成されてきた対立軸が一気に噴火口を求めた結果でもあるだろう。  私は研究者ではなく

          「遊女はどういった境遇だったのか」に答える難しさ

          残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。

          写真家マキエマキ氏が次のツイートをしておられた。 ツイート中にある『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』は、大正時代に吉原遊廓で遊女として勤めた人物・森光子による手記で、遊女本人の著述や本人への聞き取りといった記録はあまり残されていない中、遊女本人のまなざしを窺い知ることができる貴重な作品の一つ。 漫画家・望月帝氏(Twitter)によってコミカライズもされており、最も手に取りやすい「遊女作品」といえる。 さて、前掲ツイートには私にも思い当たる節があった。かねてから当note

          残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。

          遊女墓チャリティのご報告

          今年元旦発生した能登半島地震からおよそ1ヶ月経過しました。安全な場所であるはずの避難所で低体温症などにより命を落とすなど、避難生活がまだまだ困難な状況にあることが伝えられています。 下記の記事で石川県小松市の串茶屋町会に送る寄付金を募りました。上記のように、避難生活の改善が緊要の課題である中、遊女墓の保全に向けた募金を募った動機は記事にも記しております。 募集期間を終えましたので、お寄せ頂いた寄付金についてご報告致します。 募金集計額合計:100,000円 89名様か

          遊女墓チャリティのご報告

          「なぜ遊廓に興味を持ったのか?」「なぜ書店を始めようと思ったのか?」に答える

          遊廓を専門に扱うカストリ書房を経営していることもあって、「なぜ遊廓に興味を持ったのか?」「なぜ書店を始めようと思ったのか?」といった質問を、来店したお客様や取材してくれたメディアから多く受ける。言い方は様々だが、煎じ詰めれば私の動機と実践に向けた質問になるだろうか。 上の質問に答える場面では、質問者の顔色を窺ったり、メディアの読者層を思い浮かべながら、腹落ちしてくれそうな言葉を選んでいる。そこに嘘は一切ないものの、どこか他人の言葉で話しているような感覚は拭えない。言葉だけが

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          「串茶屋・遊女墓チャリティ」のお知らせとお願い

          ※2024年2月1日追記:チャリティの募集は1月31日をもって終了いたしました。集計のご報告は別途行います。皆様のご協力誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。 令和6年能登半島地震で被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。 本稿では、石川県小松市に残る遊女墓を保存している同町内会に送るご寄付を募ります。後述するように全額寄付します。 尊い人命や財産が失われ、今なお救出作業、避難生活、復興作業が続けられていますが、次第に落ち着きを取り戻すにつれて

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          「串茶屋・遊女墓チャリティ」のお知らせとお願い

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          京都芸術大学の講師役を終えて。

          京都芸術大学が設けている一般公開講座『芸術学舎』で講師として担当し、遊廓関連の講義を行った。講座は四季ごとに設定され、私は春夏秋を担当し、先日これを終えた。 担当したそれぞれのテーマは以下。 春(6/11-12)『遊女の墓 弔いからみる遊廓史』 夏(9/16-17)『準公娼制度・赤線成立史 東京都を事例に』 秋(11/11-12)『戦後性売買文芸を読む 戦後の娼街・性売買を材に取った作品からみる世相』 講座は各回80分(最終回は40分)、2日間に分けて計8回集中講義

          京都芸術大学の講師役を終えて。

          寅さんと遊廓

          以下は『東京人』(2020年1月号、都市出版)に寄稿した文章に加筆したものです。 遊廓とは、遊女を一定の地区に住まわせて管理売春を許容したエリアを指します。古くは徳川幕府が1617年に許した吉原遊廓が知られていますが、その後も日本には多くの遊廓がつくられ、最大約550箇所にも及びました。時代の裏面史ともいえる遊廓ですが、国民的人気の寅さんが遊廓跡を訪れていたり、筋書きにも浅からず関わっています。 第5作『望郷編』(昭和45年)では、かつて世話になったテキヤの政吉親分から、

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          寅さんと遊廓

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          歌川豊国とパンパン・ガール

          吉原遊廓には「河岸見世」と俗称された低級な娼家エリアがあった。物の本では河岸見世を指して次のように紹介されている。 退嬰感と猥雑さなるものが、実際どうであったのか、分からない。が、国貞の『五色潮来艶合奏』を大いに参考したであろう、田中登監督『(秘)女郎責め地獄』(昭和48年)に登場する河岸見世は、後述するように極めて卑俗に描かれている。河岸見世が、そう受け容れられてきたことは事実だろう。 河岸見世にあった最も低級な娼家である切見世(局見世)の内部構造は、喜田川守貞『守貞貞

          歌川豊国とパンパン・ガール