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残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。

写真家マキエマキ氏が次のツイートをしておられた。

ツイート中にある『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』は、大正時代に吉原遊廓で遊女として勤めた人物・森光子による手記で、遊女本人の著述や本人への聞き取りといった記録はあまり残されていない中、遊女本人のまなざしを窺い知ることができる貴重な作品の一つ。

漫画家・望月帝氏(Twitter)によってコミカライズもされており、最も手に取りやすい「遊女作品」といえる。

さて、前掲ツイートには私にも思い当たる節があった。かねてから当noteでも載せているように、遊女の墓をテーマに取材を続けている。遊廓の過去は忌避される傾向があるのは確かで、とりわけ緊密な人間関係がある地方では傾向が強まることを、私の取材過程でも感じてきた。だが一方で、歴史の1ページとして、地元有志が多くのコストや労力を払いながら、代々、大切に残してきた事実を私は取材して知った。そして多くの人に伝えたい。

(※筆者注。本稿は上記の記事と関係がない)

こうしたご苦労は美談として紹介するに相応しいが、取材者側として違う一面に接することもあった。それは次のようなことだ。取材で地元の遊廓の史跡を保全するご苦労を一通り聞き終えて、辞去する頃合いにはお互いの緊張も解け、脱線話に及ぶことがある。そうしたタイミングで、遊女の堕胎に関することを、取材対象者が問わず語りに話し始めた。

遊女に限らず、母体たる女性、父親、施術する医師や産婆、家族、そして胎児、関わる人すべてにとっての悲しみは、過去から現在に至るまで普遍的なものだろう。江戸時代以前は、堕胎や嬰児の間引きが頻繁に行われていたことはしばしば指摘される。その意味でも当時の生命観を現代と同一視することはできないとはいえ、少なくとも〝明るい堕胎〟などは存在し得ないだろう。

取材当事者は、堕胎を説明しながら笑みを浮かべていた。その直前まで、到底知り得なかった並々ならぬご苦労の一端に、部外者の私は敬服の念に圧倒されていたところを、いきなり穴に突き落とされた気がした。リラックスしたムードも重なり、ようやく人物像が分かり掛けてきたところで、いきなり別人に入れ替わってしまったような感覚と言おうか。何も返答することができず、そそくさと会話を切り上げて辞去した。

私はいっそう遊廓の歴史を残す難しさを感じた。遊廓に限らない話だが、関心を持たない人が、ともすれば軽率とも取れる言動に及ぶことはままある。関わりが乏しい以上、より知見を持つ側から見れば軽率と映る言動があっても、そのことですぐさま非難されるべきことではないし、むしろ非難する側に一方的な優越意識がみられることもある。

しかし、先の「笑い」を浮かべたのは、遊廓の歴史に関心があるばかりか、主体的に保全活動に関わり、親から子へと数世代にわたって伝承することを地域ぐるみで行ってきた当事者である。歴史の継承には知識や愛着が必要であることはよく指摘される。しかし、それだけでは成し得ないことを今回の事例が示しているのではないか。

近年忘れられない出来事として敢えて本件を挙げたが、取材や情報収集を続けていると、本来は目を背けたい残酷な過去や、同情すべき過去になぜか笑いを誘われている状況を目にして、言葉に詰まることが少なくない。強いて好意的に見るならば、正義漢ぶろうとしている自分自身への照れ隠しかもしれない。あるいは意味などなく、対人的な習慣としての笑いかもしれない。

いずれにしても、堕胎を笑う意識の類いは取材者なら誰しも経験することで、ずっと胸にしまっておくべきものなのだろうか?と自問を重ねながら、数年過ぎていた。

最近、次の本を読んで感銘を受けた。

戦後、旧満州国に取り残された開拓団が帰国の途上さまざまな困難に直面したが、とりわけソ連兵に日本人女性が強姦された悲しい過去がある。私は2020年に京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館を見学した。旧引揚港にあるものとしては、唯一の専門的に引揚史を展示する施設である。私が確認した限りだが2点だけ性暴力に関する展示が見られた。

敗戦直前に同盟を破棄し、満州国に侵攻したソ連。同軍による一般人への略奪や殺害、そして女性への暴行。ソ連は加害者、日本は被害者という構図は分かりやすい。が、実際には重層的な加害・被害の構造があった。前掲書『ソ連に差し出された女たち』(以下、本書)によれば、ソ連兵から要求される前に、開拓団側(意志決定を行う団員幹部は男性だった)から未婚女性を差し出して庇護を求めていたことを、性被害に遭った女性が証言している。

加えて、本書には以下とある。

満州引揚者が出ているドキュメンタリー番組を見ていたときのことだ。生き地獄のような体験を、いまにも涙をこぼさんばかりの神妙な顔つきで語っていた「おじいさん」が、日本軍の慰安所の話になったときだけ、急ににやけた表情になった。戦地を生き抜いた彼にとって、自分の被害には敏感でも、性の道具として使った人間の真の表情には無頓着だった。

本書316p

上記の一節は、私が出くわした堕胎話、マキエマキエ氏のツイート内容と相似形を成している。

開拓団の悲劇のみならず、過去の悲劇はしばしば「当時は仕方がなかった」と指摘される。極限を生き延びようと足掻いた人々の行動や想いを軽視してはならないのは、その通りだろう。しかし本書では次のようなことが、関係者の証言や記録を交えて綴られている。

ソ連兵に性暴力を振るわれるも、九死に一生を得て帰国した女性(以下、便宜上、性被害女性とする)は、地元住民から「傷もの」「汚れた女」「病気持ち」扱いされ、結婚にも支障が出た。(またこうしたまなざしは男性からのみではなく、同じ開拓団として帰国した、性被害に遭わなかった女性にも見られた点にも注意を払いたい)。ソ連兵に女性を差し出す実行係で、帰国後は地元で遺族会会長に就いた男性が、1980年ごろ地元関係者の集いのなかで、性被害女性を「ソ連兵好き」と呼び、周囲の男性がそれを囃し立てた。

言うまでもなく、これらは「仕方がなかった当時」のことではない。本来であれば冷静に当時を見つめ直すに充分な時間を経た後のことである。まず何より誤解してならないのは、本書は特定個人を指弾する目的で書かれたものではない。戦中から戦後そして現代に貫通する社会の歪みを開拓団の悲劇から読み取ろうとするものである。「社会の歪み」とは何か、私の解釈を続ける。

人の記憶は改変されやすく、証言の扱いには注意が必要とする。ソ連兵から要求があったのか、あるいは開拓団自ら差し出したのか、慎重な留保を要したい。しかし「言い出しっぺ」が本質ではなく、対象女性がすべて未婚であった事実こそ本質に近づく手掛かりではないか。

「戦争には性暴力はつきもの。戦争はキレイゴトでない。当時は仕方がなかった」とするならば、既婚未婚は関係なく、妊娠適齢女性は区別なく被害から免れぬはずである。加えて、要求と提供がどちらが先であれ、交渉したのはソ連兵と開拓団幹部すなわち男性同士であった。つまり敵国・自国に二分される戦争状態が本質とも言い難い。

本書著者・平井は次のように看破している。

未婚の娘だけを犠牲に使う「接待」は、戦争だけでは本質は語れない。

本書320p、筆者注「接待」とは性暴力のこと

なぜ対象者が未婚女性だったのか。本書でも指摘されているが、家父長制のもとで、所有者が決定されている既婚者は除外され、未決定であり、最下位に序列される未婚女性が対象となった。所有者の視点からは、所有物の取引が日ソ間で生じている。

本書に登場する性被害女性は、当時から70年余経た今も深く傷つき、悲しみの底にある。むろん当時の記憶がまざまざと甦るフラッシュバック現象が彼女らを苦しめている事例も本書には綴られている。が、傷つき悲しむ理由は当時の出来事だけではない。前述したように、犠牲を強いて生き延びた側がその後も感謝や謝罪することもなく、むしろ「ソ連兵好き」「傷もの」などと加害的な立場をとり続けたことに、傷つき、怒りを覚えている。

所有者からすれば、所有物が傷んでも、損得に痛痒は覚えても、物そのものが感じているはずの痛みは分からない。いや本当は分かるのかも知れないが、目をそらし続けることはできる。人を物扱いし続ける以上、戦中であれ戦後であれ、70年経ようが、こうしたことは何ら変わらないのではないか。私は本書をめくりながらそう思った。

戦争がソ連兵による性暴力を招いたことは間違いない。しかしそこで露わとなったのは、ソ連兵の人倫にもとる行為や意識だけだったのだろうか。戦争には犠牲が伴うが、対象者を選んだのは戦争ではない。選んだのは人であり、社会である──

遊廓にも同じことが言えまいか。福祉制度などない社会、天候不良の影響を受けやすい農業技術レベル、それも「当時は仕方がなかった」ことだろう。極限の中選び取った選択肢である人身売買や売春は、確かに悲劇をもたらした。しかし露わとなったのは、人身売買や売春が持つ残酷さのみだったろうか。

自分が選ばれる側には立たないとの前提のもと、「傷ついても良い誰か」を選び出した人や社会が「当時は仕方がなかった」と、内省や変化を拒否し続ける限り、「傷ついても良い誰か」を永久に傷つけ続ける。初めて客を取らされる場面を楽しむ読者、堕胎の残酷さに笑いを覚える当事者らが、1世紀以上前のことを楽しみ、笑っていることのように。

最前述べた、居たたまれなくなって辞去した私は、なぜ居たたまれなくなったのか。正直に言えば、取材対象者に嫌悪も覚えた。が、そこで悲しみや怒りを相手にぶつけなかったどころか、自分に罪悪感や恥ずかしさを覚えた。だから何も言えず立ち去るしかなかった。

客を取らされた遊女、堕胎させられた遊女、性暴力に遭った開拓団女性に想いを馳せ、我が事として考えようと努める(叶わなくてもやり続ける)のと同じように、私は『吉原花魁日記』を楽しむ男性読者、堕胎を笑う当事者男性、「ソ連兵好き」と揶揄う地元男性、慰安所通いを懐かしむ高齢男性、彼らも我が事としたい。これまで「社会の歪み」に無自覚で生きてきた以上、今の自分を構成している一つが、その歪みに他ならない。冒頭の「思い当たる節」とは、取材中の出来事や取材対象者を指すのではなく、身に覚えがある自分を指したものだ。(了)


最後になりましたが、私、渡辺豪は遊廓を取材しています。noteにもまとめておりますので、ご高覧の上、共感頂けましたら取材費用のサポートをお願いたします。


※ヘッダー画像・熊本県水俣市のスナック街(撮影・渡辺豪、無断転載禁止、本文とは関係ありません)

※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。

ありがとうございます。取材頑張ります。

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