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『新潟美人と花街』展を観てきた。

新潟県同市立の歴史博物館「みなとぴあ」で4月13日〜6月9日まで開催されていた企画展『新潟美人と花街』を観覧してきた。タイトルが示す通り、遊廓や遊女にも触れる展示内容が予想でき、SNS上にたまたま流れてきた告知を見掛けた私は、是非観覧したかった。

湊町・新潟の歴史を紐解けば、慶長年間(1586〜1615年)には、新潟町の商人が近在から運ばれた物資を上方などへ輸出するなど、広く湊が機能していた早い記録がみられるが、現在に繋がる湊町・新潟を形成したのは、それから少し下った時代のことである。日本海へ注ぐ信濃川の流路が変化して、市街地が流路から離れてしまったために、当時、新潟湊を支配していた長岡藩が明暦元(1655)年に湊位置を移転してあらたに町割を行った。これが現在の旧市街地(白山神社から日和山までの長辺約2キロにわたる旧市街地)の原型をなしている。その後、河村瑞賢が西廻り航路(天領の年貢米を江戸に輸送する航路。酒田から日本海を南下し、瀬戸内海、次いで太平洋と通過して江戸に至る)を開発した時期と重なることから、新潟湊は〝繁栄〟した、概略以上のことを各種の郷土誌*1は伝える。

しかし、この繁栄なるものは、信濃川の水量が衰えかねない治水工事の不作為とその結果繰り返される上流側での氾濫との引き換えであり、耕地を失った流域の農家からはるばる越後山脈を越えて、若年女性が上野(今の群馬県あたり)にまで人身売買され、宿場町で飯盛女として性売買業に就かざるを得なかった過去がある。私はそうした過去を持つ宿場町に残る飯盛女の墓を以前取材した。

数世紀に渡って湊町新潟が〝繁栄〟したならば、その影には数世紀に渡る貧農家族の離別と人身売買・性売買があった。これに限らず〝繁栄〟とされるものには必ず裏表があり、〝繁栄〟とは当時の強者側からみた一面、あるいは当時弱者だった人々の痛みを忘れた現代人側からみた一面に過ぎぬものだろう。

余談だが、同館常設展には〝繁栄〟文脈が貫かれており、先に挙げた信濃川の氾濫が招いた負の歴史には触れていないことも以前書いた。

性売買・性搾取を伴う展示に差し戻すと、5月に閉幕した藝大美術館主催の企画展『大吉原展』がそうであったように、性売買・性搾取の現代的な捉え方や、新しい研究成果をキャッチアップできていない公的施設の展示や情報発信などが大きな批判を浴びることも少なくない。批判を浴びた『大吉原展』はエクスキューズを上塗りし、一層ステートメントと展示内容との乖離が深刻さを増したまま閉幕した、と私はみる*2。

こうした近年にあって、私は、企画展『新潟美人と花街』には、その展示内容以上に、「見せ方」に興味があって、これを拝観してきた。

まず入り口には「美人」という表現についての説明があった。

(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

「美人」とは、多くは先天的外見(ときには内面も含まれるが)の美醜を評価したものであり、優れた側を称えてはいるが、いっぽうで劣った側に一定以上の侮辱を与えている。加えて、評価者側は強い立場におり、仮に美人と評価されたところで、評価側に都合の良い存在とされる点では醜側と変わるところがない、という見方が次第に一般化しつつあり、おおむね私もこれに同意する。

こうした美人観が実際に歴史的に使われてきた事実と経緯、加えて現代では必ずしも受け容れられない表現であることを、パネルでは限られた字数ながらも丁寧に説明している。価値観の移行期において、どちらかに偏ったり、あるいはどちらかを切り捨てることなく、双方に配慮した丁寧な説明であると感じた。

事実、私が観覧した同じタイミングにも、20名前後の60〜70代とお見受けする男女グループが観覧しており、見た目で判断することは慎まなければならないが、この世代は旧来の「美人観」を受け容れてきたものと理解できるだろう。こうした世代と、従来の「美人観」を受け容れない新しい世代が同時に観覧して学びを得る展示を成立させることは、どちらか一方向けの展示を設計する以上に、より高い知見が求められるのではないか。

私は入り口の「美人」説明パネルを見て、今展への期待が高まった。

展示内容よりも見せ方に興味があったと述べたが、実際内容も興味深いもので、天保2(1831)年に訪れた絵師・長谷川雪旦が残した記録を元に、花街の宴席で供された料理を模型再現していた。(みなとぴあの常設展示なので、今展を見逃した人も観覧可能)

(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

少なからず性売買・性搾取を含んだ歴史展示は、暗い面を打ち消す、あるいは目を背けるために「花街」といった、一見華やかで直裁的ではない言い換えを頻用しがちであるとの印象を私は抱いていて、配慮以上の欺瞞であると私はみている。今展も「花街」を用いているが、芸妓と遊女(娼妓)が地理的・制度的に分離される以前の時代から扱う展示であることから、むしろ用語「花街」を用いることが相応しい。加藤政洋(立命館大学)が『花街 異空間の都市史』(2005年)で示したように、地理的・制度的に芸娼妓が分離される以前を、広義の花街と捉えることもできる。

他の説明パネルでは、芸事をサービスとする芸者であっても実態として遊女と変わらない性売買に就く者もいたと認めており*3、加えて「売春を強いる体制があった」とも認めている。私は実態を直視した前者以上に、後者の構造的な見方が大切だと常々感じる。「芸者が遊女同様だった」と書けば、少なくない人が「芸者も、なんのかんの言っても、所詮、売春婦と一緒じゃないか」と、芸者をふしだらな存在と見做すのでないか? これは自己責任論に飲み込まれた考えで、個人の力ではどうにもならない社会構造を無視している。加えて、様々な苦境への「適応」「改善」あるいは「諦観」といった軽視してはならない人間の営為や尊厳を、おしなべて「売春をする女は理由を問わず道徳的に退廃している」と見做す差別観でもある。その意味で先のパネルから企画者の高い志を覚え、感銘を受けた。(ただし実際にどのような「体制」があったのか説明はなく、その点惜しく感じた)

同館は2011年にも類似の企画展『新潟美人』を催している。私は観覧していないが、当時の図録から企画者の「美人観」を窺い知ることはできよう。図録冒頭には「女の町新潟」と立項され、以下とある。

江戸時代後期、新潟町は湊と美しい遊女や芸者で知られた町でした。

『新潟美人 図録』(2011年、新潟市歴史博物館)

これに続けて、江戸時代に新潟湊を訪れた文人墨客あるいは芸能者、商人らが遊女や芸者を高く評価していた記録が紹介され、〝新潟美人〟が近世期から知られた存在となっていったことを紹介している。さら続けて明治時代には、政財界の著名人に「見初められた」芸妓も、新潟を代表する芸者であると紹介しているが、同ページで紹介されている芸者は落籍すなわち妾となった者である。美人と評価されたところで、評価側に都合の良い存在とされる点では醜側と変わるところがない点は先に述べた。

『大吉原展』にもみられたことだが、評価された側が必ずしも受益者とならず、彼女らを使役する側が実質的な受益者となる場合における「評価」を、「遊女や芸者が高い評価を得て、美人と称された」と素直に受け取るのは慎重を期したい。確かに「評価」は個人的な価値判断であり、どのようなものであれ自由に違いなく、評価は評価として厳然と存在したことは間違いない。ただし本人たちに循環されない評価は、遊女・芸者とされた女性個人の尊厳を尊ぶどころか、むしろ評価者都合の価値観に埋没させ、冒頭の「美人観」同様、評価されない側を貶めることに竿さすと私は考える。その意味で2011年の展示は旧態然とした「美人観」を克服*4できずにいる。

旧展と比較することで、約10年ぶりとなる2024年の今展の変化は明らかだ。「過去」とは既に終わって固定された事物のようなものではなく、現代の見方、価値観の反映でもある。常に過去は移ろい続け、現代人は過去から無限に学びを得ることができる

(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

上は医科大学で教授の任にある人物までも優生思想に染まっていたことを示すパネルだが、当時の支配的・一般的な見方であったと説明を試みている。現代では許されないものを「展示しない」のではなく、丁寧に読み解きを教える展示姿勢にも感銘を受けた。これは遊廓という大きな負の歴史を抱えた過去を紹介する際にも大切な姿勢だろう。『大吉原展』に欠けていたものだ。

終わりに

現代では差別意識の裏返しとも取られる「美人」といえども、その価値観を大切にして生活してきた人々が沢山いる。同時に大多数の圧力に押し潰された少数がいたことを、まずは忘れてはなるまい。現代的価値観を取り入れ、過去と距離を取りながらも、突き放すのでもない、バランス感覚に長けた本展企画者に感謝したい。


*1:新潟市歴史博物館『新潟開港一五〇年史』(2018年)、藤村誠『新潟の花街』(2011年)などがある。
2*:エクスキューズが機能していない理由を私は以前noteに書いた。
3*:山本俊一『梅毒からエイズへ』(1994年)では、明治10年代の各府県が定めた芸妓取締規則の共通点として外泊禁止を挙げ、芸者が売春する可能性が大きかったことを受けた営業制限であると指摘している。労働省『売春に関する資料 第二号』(1957年)では、厚生省と労働省がそれぞれ調べた売春関係者・関係地に芸妓と三業地を挙げている。
*4:2011年の段階で市立歴史博物館が遊女を取り上げることは、同館職員の信念と知見なくしてはでき得なかった筈で、時代的限界を抱えながらも当時は前進に他ならなかったであろうことも同時に強調したい。


私、渡辺豪は遊廓を取材しています。noteにもまとめておりますので、ご高覧の上、共感頂けましたら取材費用のサポートをお願いたします。

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