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振り回され続ける遊女/取材記(2022/10/4)新潟県新潟市

佐渡ヶ島から戻った前回の記事の翌日、新潟市内をいくつか取材しました。

歴史の勉強を兼ねて、まずは新潟市歴史博物館「みなとぴあ」へ。性売買に関するくだりは近世期のブースに「遊女として売春しなければならない女性が多くいた」との説明がありましたが、近代以降のブースには言及がありませんでした。

先日取材した木崎宿(群馬県)の飯盛女には、蒲原郡出身の娘が多くいたことを紹介しました。そもそもなぜ越後国から遠く離れた上野国まで夥しい数の女性が売られてきたのかというと、氾濫を繰り返す信濃川によって被害を受けてきた蒲原周辺の農民が多かったことに起因します。いくら耕せど一夜の洪水で耕地を失う農家は、我が娘を売って糊口を凌がざるを得なかった歴史があります。

氾濫を繰り返す信濃川を日本海へショートカットさせる分水工事の案は18世紀初頭から幕府に請願が幾度となく出されてきましたが、新潟湊への水量が衰えることを恐れた幕府は頑なに請願を退けてきました。ようやく工事がひとまず完成して通水したとき、既に大正時代を迎えていたといいますから、気が遠くなる話です。それまでに離別を余儀なくされた家族と娘はどれだけいたことでしょうか。

「みなとぴあ」や、市内各所の観光に関連したエリアでしきりに謳われる「新潟の繁栄」の裏には、繁栄すればするほど犠牲を払ってきた蒲原郡を中心とする小作農家や、その農家に生まれて「遊女」との美名、あるいは「飯盛女」との蔑称を与えられてきた女がいます。これを伝えるパネルは同博物館にはありませんでした。

スペースが限られる博物館や案内板ですべてを伝えることは不可能です。ただし「みなとぴあ」では、満州国建国に伴い、新潟港から軍隊を出兵させてきた歴史について「侵略」という文言を用いて、踏み込んで説明しています。すべて説明することは不可能でも、どこに軸足を置くかは博物館の判断であり、その地域の史観を集約したものだと捉えることができます。歴史博物館は単なる学習施設としてだけでなく、地元がどのように歴史に向き合っているのか知るために好適な場所である、という面白さを最近知って、歴史学習そのものよりも、それ目当てに地元の歴史博物館系施設を訪ねるようにしています。

広島市にある広島平和記念資料館を訪れた人ならば、戦争の無慈悲さを悲しむと同時に、連合軍、とりわけ原爆を投下した米国への憎しみも覚える自分を意識するのではないでしょうか。一方で原爆リトルボーイを搭載した爆撃機エノラ・ゲイが飛び立ったテニアン島にはこれを顕彰する記念碑が建っています。そのテニアン島の飛行場は、網走刑務所の囚人労働によって造成されています。

私は「みなとぴあ」を観て、広島とテニアン島の対照を思い出しました。犠牲者の鎮魂を祈るとともに、歴史が持つ多面性、多義性、多重性への畏怖と、悠久の時の流れの中で取るに足らない存在に過ぎない自分が、同時に他の誰でもない自分であることへの有り難みを感じました。

話は変わります。前回の記事でも触れましたが、最近、「観光言説」について考えています。

佐渡市はユネスコの「世界遺産」登録を目指して推進活動しており、新潟市は北前船の歴史を文化庁が設けている「日本遺産」制度に登録しています。地元の歴史文化や文化財を観光資源として活用を目指す自治体は新潟に限らず、多く見受けられますが、観光言説に飲み込まれた遊廓の歴史は実態をかけ離れて美化されたり、反対に悲哀化されたり、あるいは判断を放棄して不可視化されるのではないかと危惧しています。

単なる憶測ではなく、今回見かけた具体例を挙げます。新潟市内の道路脇には、〝繁栄〟を誇った近世期に関連する史跡について紹介する案内板が各所に多く建っています。同市が広く案内に努める姿勢が表れています。おそらく観光課や教育委員会の文化財課が主導して設置したものと予想します。

その一つに挙げられている市内の湊稲荷神社には、遊女に関連した史跡があります。寄港した北前船の乗組員(船頭、三役、水夫など)は遊女の得意客でしたが、長逗留を望む遊女が、出航できないように風向きを変える願をかけた高麗犬が残されています。これを紹介する先の案内板では、性売買は「恋愛」に吸収され、「遊女」は「女性」とされています。

「愛しい船乗りが出港できないように女性が祈った」とある。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

遊女は女性に違いありませんが、出航できないよう祈りたくなる女性とは誰なのか、どんな境遇にいたのか、この案内板は何も教えてくれません。伝えづらいとはいえ、「女性」という最大公約数化する姿勢には、不慮のクレームから免責したい下心や、判断停止する知的怠慢は透けて見えても、広く学びを伝えようとする真摯さを見出すことができません。

こうした不可視化は新潟市に限らないことで、これまで取材してきた私の経験では、遊廓を歓楽街と言い換えたり、遊女を芸能者と言い換える地域を多く見かけてきました。公共の場所で不特定の人が目にする場所に掲げる言葉選びにはもちろん限界がありますが、観光を目的とする言説が萎縮や判断停止を加速させることは、容易に想像できます。

同社内には嘉永7(1854)年に奉納された高麗犬が現存する。社殿内に置かれ、今も観ることができる。こうした関係者の努力に敬意を払いたい。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

同神社境内にある案内文には、遊興文化を地域特有の習俗と重ねて誇る響きを含ませた文脈で高麗犬が紹介されています。また同神社には、この願掛け高麗犬が日本遺産を構成する文化財であることが誇らしげに鳥居に掲げられています。

〝恋愛した女性〟が願いを懸けた高麗犬が日本遺産を構成する文化財であると誇らしく掲げられている。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

為政者や地域社会の思惑に振り回された遊女。数世紀経った今も、彼女たちは振り回されつつけているように私には映りました。郷土の誇り、郷土の誉れとは一体何なのか、考えさせられる取材でした。


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