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京都芸術大学の講師役を終えて。

京都芸術大学が設けている一般公開講座『芸術学舎』で講師として担当し、遊廓関連の講義を行った。講座は四季ごとに設定され、私は春夏秋を担当し、先日これを終えた。

担当したそれぞれのテーマは以下。

講座は各回80分(最終回は40分)、2日間に分けて計8回集中講義を行うもので、1日あたり5時間ほど話し続けることになる。体力勝負だった。

同時に開催された他講座を眺めてみると『Twitterで小説入門』と銘打った今どきで実験的な試みから、Adobe製グラフィックツールのオペレーションをレクチャーする職業訓練的なものなど多岐に渡っていた。元NHKアナウンサー松平定知氏が朗読をレクチャーする講座などもあった。他大学の公開講座と比較したことはないが、芸術系大学特有の柔軟な視点から構成されていた。(ゆえに私の登壇も許されたものと考えている)

以前の記事でも書いたが、私はここ数年来のテーマとして、遊女の墓を調べている。まだ調査の途上だが、中間報告として、前述の通り春講座で『遊女の墓』をテーマに据えた。

幸いなことに、私が担当した春の講座『遊女の墓』は最も聴講生を集めた講座の一つとなった。日頃から、遊廓の歴史を伝えたいと願っている者として、公開講座の場で、これだけ多くの人が関心を寄せてくれたことが本当に嬉しかったし、「自分のやっている活動は、きっと誰かの役に立つ」という日頃の願いに手応えを感じることもできた。付言すると「いつか」ではなく、今この瞬間に役に立てることが何よりの喜びだった。

何かを学ぶには、反対に誰かに教えることが有効だと常々感じているが、聴講生に課した事後レポートから反対に学ぶことも多かった。10代から70代までの聴講生から集まったレポートに目を通すと、講義で伝えようとしたことの多くが伝わっていないことに愕然とする。これは言うまでもなく、講師を務めた私の課題である。

レポートは、解釈を問うもので、答え合わせするようなものとはしなかった。その意味でレポートには正解はないが、私は聴講生が従来持っている認識を揺さぶって、今の自分が正しいと思っていることをもう一歩外側から眺めてみるための機会となることを願った。またそうなるよう、従来の文献のみに頼った思弁的な内容となることを避け、私が取材先で自らの足で集めた従来の解釈を拡げる実例を、講義中に可能な限り多く盛り込んだ。

が、年配者ほど講義内容と距離を置いた過去の経験を足場にしたレポート、敢えて平たく言えば「自分語り」に終始したものも少なくなく、またその経験が同時に人生観を決定づけているためか、頑なまでに視野が固着している傾向があった。経験がともすれば新しい学びを阻害する、これは講師を務めた私の課題であると同時に、自戒として捉えたい。

一方で、若い世代が、遊廓の歴史について終わった過去ではなく現在と地続きとして捉え、過去と未来を紡ぐためにどう自分たちが振る舞えば良いかについて、自分ごととして考えていた。とりわけ等身大の言葉や感性を用いようとする謙虚な姿勢には、深く感銘を受けた。

今回の講座は、中村純(同大学准教授、編集者、詩人)氏から紹介を受け、機会を頂戴した。これまでアカデミズムとは無縁な一介の〝素人〟に過ぎない私を推して下さった中村さんに心からお礼を申し上げる。また講師の務めも家族の支えがあって初めて実現できることだった。支えてくれた家族にもお礼を言いたい。

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