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2024年6月29日、『焼津遊里史』刊行記念イベントを振り返って。

Xの花町堂こと中村宏樹さんが、静岡県焼津市にあった娼街を取り上げた『焼津遊里史』を上梓された。遊里史に限らず、郷土史本なるものは良く言えば「知る人ぞ知る本」で、たいていごく狭い読者層にしかアプローチせず、その稀な読者を待ち続けて書架に鎮座しているものだが、私が経営するカストリ書房ではよく売れており、本書目当てに来店する人も少なくなかった。発売から既に3回ほど売り切れて、そのたびごとに仕入れを繰り返している。

静岡県内でも人口は10番目で、「大都市」とは到底呼べない焼津市を取り上げながらも、類例のない売れ行きをみせる理由を考えてみたくなる。実直な調査はもちろんのこと、郷土史という視点で遊廓・遊里あるいは現代の価値観では負とされる側面を抱えた歴史を調べ、どう伝えていけば良いのか?という課題を持つ人が少なくなく、必ずしも焼津市に地縁を持たない人も食指を動かされているのではないか、と推察する。

私は大切な友人である中村さんの新刊リリースを祝いたくて、2024年6月29日、実際に焼津遊里跡を歩くイベントを企画した。本稿で振り返りたい。

中村さんはこれまで「花町太郎」とのハンドルネームで活動されてきた。私には馴染み深い「花町さん」で呼ばせてもらいたい。私が遊廓に興味を持ち始めた頃に、SNSを通じて知り合った最初の同好の士の一人で、気づけば10年以上のお付き合いになる。

2013年3月、新潟市の遊廓を調べようとしていた私は訪問前に事前にネットを眺めると、新潟各地の遊廓跡を精力的に調べた成果をブログで報告していたのが花町さんその人で、慌ててコンタクトを取った。余談だが、今となっては遊里史ファン界隈では有名な佐渡の元娼家旅館・金沢屋旅館を外から眺めるだけではなく実際に宿泊していちはやく紹介した一人は花町さんだったと記憶する。

残念ながら互いの都合が合わず、新潟市での初回の面会は叶わなかったが、私が福田旅館(十四番町遊廓跡にあった旧娼家)に泊まっていると知るや、宿まで「越乃寒梅」を届けてくれるなど気遣いの人だった(残念ながら私は外出中でお会いできなかった)。以来ことあるごとに、お世話になっている。

貰ったタオル。福田旅館さんは昨年取り壊された。

それから互いの仕事や居住地、生活スタイルが変わるなどしたが、SNSを通じてやり取りは続いた。当時精力的に調べた各地の成果を惜しみなく記していた花町さんのブログも、いつしか更新頻度が低くなり、私は一抹以上の寂しさを覚えていた。言うまでもなく、誰しもさまざまな変化を経て、興味の対象が変わったり、変わらずとも割ける時間が取れなくなるなど、活動は変わっていく。更新されずとも花町さんが記した過去のブログ記事に私は大いに助けられたし、他の同好者や調査者の踏み台として果たした役割は大きいものだろう。

昨年2023年には、東海遊里史研究会の研究誌『東海遊里史研究』へ、花町さんが静岡県藤枝市の遊廓をまとめた小史を寄稿など、顕著な活動再開の報に接して心から嬉しく、また変わらない情熱に刺激を受けた。集大成の一つである『焼津遊里史』の上梓は、本人の次くらいに私が喜んでいるのではないだろうかと、花町さんの多大な苦労を知らないまま自惚れてしまうほど嬉しい。

街歩きイベントは、告知から数日で満員御礼になり、11名が参加して下さった。新幹線のぞみが停車しない静岡県で、しかも県下人口10位という小都市でのイベントに集まった参加者のほとんどは地元外からで、熱意の高さが伝わる。後述するランチの席数制限があったことや、遊里跡を騒がしく歩くことは避けたかったために、定員数はあえて限定的にした。もしこれらの制約がなければ、私の経験上、定員を2〜3倍に設定しても難なく集まったはず。街歩きでは、花町さんお手製の小冊子(『焼津遊里史』とは別)が配布され、近代から戦後に至るまでの遊興産業(主に芸妓・私娼)の変遷を街の中に探して歩いた。道程の半ばにはトイレ休憩を挟むなどガイド役・花町さんならではの気遣いもまた有り難かった。

とりわけ雰囲気がいまだ色濃く残っている戦後の娼街跡にも案内してもらい、久しく覚えていなかった、えもいわれぬ感慨に囚われることになった(実際、私はどうしても離れがたく、当日3度も戻ってしまった)。ネットや書籍では紹介されていない娼街跡がいまだ残されていることに驚かされ、こうした発見をSNSなどでこれ見よがしに自慢しない花町さんのお人柄に敬服した。

港陽園跡。「よろづや酒場」の屋号が残る。

行程の最後は遊里に隣接した公園に建つ津波避難タワーに登って、遊里を見下ろした。遊里跡を見渡すと、ここで生きた人々がどのような思いで暮らしていたのか、としみじみとした気持ちが湧いてくる。単に時系列順、ルートの効率で〝キレイ〟に組んだ行程では、必ずしもこうした感慨は湧くまい。花町さんは先立って何度も行程を周到に錬られていた。自分が熱意を注いだ対象を他人にとっても興味深いものに転換すること、すなわち「人を喜ばす」ことが、ジャンルを問わず、何かを愛好する上で一番難しいのではないだろうか。

街歩きは午後15時スタートだったが、遡って12時には、静岡市内の寿し國さんでランチを取るプランを組んだ。

寿し國さんでのランチ。11カンが1,000円と驚くほどリーズナブル、小さめのシャリも嬉しい。

寿し國さんは幕末から二丁町遊廓に店を構えて営業していたお寿司屋さんで、昭和20年6月19日の静岡空襲に罹災して以来、現在は浅間神社参道で営まれている。場所こそ変われど、近世期から遊廓の周辺業種に端を発して、現在も営業を続けている寿司屋さんは管見の限り、寿し國さんだけだろう。有吉佐和子『香華』は二丁町遊廓を舞台にした小説だが、こちらに寿し國さんが登場している。

昭和13年生まれの大将がご健在で、以前noteにも記した。以前に私は2度ほどお邪魔したが、前回お邪魔した昨年は、奇しくも静岡空襲の前日6月18日だった。静岡空襲当時の大将は8歳で、しっかりご記憶されていた。日頃、気の触れた遊女が、空襲の火の手が上がる方へ向かっていき、その後見かけなくなったという。

実は、イベント直前の6月初旬に、大将が彼岸の人となられた訃報が飛び込んできた。悼むと同時に、タイミングがタイミングだけに、寿し國さんを回るプランを組んだ主催者の責として参加者には申し訳なく、まずは訃報をお知らせした。ありがたいことに参加キャンセルはなく、参加者皆さんからお悔やみの言葉を頂戴したりもした。イベント当日の営業前の寿し國さんにお邪魔して、僭越ながら代表してお悔やみを申し上げた。

在りし日の寿し國の大将(撮影・渡辺豪、2023年6月18日撮影、無断転載禁止)

ご遺族の悲しみを前に言葉が見つからず、関わりの薄い私が「虫の知らせ」というのは軽薄の誹りを免れようもないが、このタイミングでイベントを催さなければ、寿し國さんを再訪することもなかっただろう。なにより、花町さんが御本をこのタイミングでリリースされたからこそ、イベントも企画できた。「歴史は繋いでいくもの」、改めて寿し國の大将がそう教えてくれたように思う。

寿し國さんには、幕末当時から使われていたと思われる仕出し用の大皿が遺されている。静岡空襲を見越して防空壕に避難させておいたために破損を免れた、と亡き大将が教えて下さった。大将がバトンタッチするため遊里史に興味のある参加者を呼んで下さったものと考えたい。繋がることと別れることを同時に感じながら、若大将が握った寿司を頬張った。

幕末から伝わる大皿。馬が交尾するかのような姿勢が描かれている。

寿し國さんでのランチ中に、同じ参道で古書店を営む、あべの古書店の鈴木大治さんをお招きした。Googleマップでは県外者とみられるレビュアーから「静岡市が誇りにしていい店」「この店のために途中下車してもいい」と評されている名物古書店。

同店とのなれそめは2022年のことで、市内で催された古書市「春の探書会」に招いて、カストリ雑誌について講演する機会を与えて下さったのが鈴木さんだった。会後の打ち上げは寿し國さんで、大将と繋いでくださった。その際に、鈴木さんが地元の友人らと、明治の初めに心中した遊女の墓を探したエピソードを伺った。これが講談師さながら立て板に水を流すような弁舌で圧巻だった。今回も寿し國さんでご披露頂いた。

熱演する、あべの古書店主人・鈴木大治さん

またも講談調に引き込まれる。「聞き取り」あるいは「会話」というものに接する機会が多い研究者は、当然、信憑性たとえば日付などの正確性にこだわるだろう。実際、鈴木さんがお話しになった日付と、心中した遊女の没年は事実は異なっていた。が、今回は歴史講演会ではない。少なくとも企画者の私はそれを鈴木さんに期待していない。活き活きと語られる鈴木さんの言葉の中に、心中した遊女や大将が生きているように思えてならないし、大将から直接話を伺う機会が得られなかった参加者にも、そうあって欲しくてお招きした。

街歩きイベント終了後は、焼津駅前の居酒屋で打ち上げを行った。同好同士であっという間に時間が過ぎてしまった。

「アサヒビールを飲むなら」のキャッチコピーに惹かれる日の出さんは戦前創業。

花町さんに話を差し戻すと、10年来の付き合いではあるが、私は間接的に花町さんと20年以上付き合っていることになる、その事実をつい数年前に知った。というのも、20数年前に花町さんが会ったことのある、父親に連れられた小学生の女の子が、のちの私の妻であることを、つい数年前に知らされた。出身地も居住地も数百キロ離れた3人が繋がる確立など天文学的なそれに違いなく、まったく不信心な私でさえも「縁」としか言いようのない末にある私の今の生活を思うとき、一層大切にしなければと改めて思う。

今回のイベントは、友人の一人の私が花町さんにできる最大の貢献は何か?と知恵をひり出して企画したもので、これまで誰も手をつけなかった分野に先鞭を付けた『焼津遊里史』の大きな成果に比べるべくもないが、ほんの僅かでも御恩返しできていたら嬉しい。

参加者、寿し國さん、あべの古書店さん、そして中村さんご夫妻の協力あって実現できた。私が留守の間、店は妻子が切り盛りしてくれた。当日の焼津遊里街歩きには花町さんの奥様が後方で交通安全を見守るなど大切なサポート役に徹して下さった。今回の最大の貢献者は奥様である。この場を借りてお礼申し上げたい。中村宏樹さん、新刊リリースおめでとうございます。

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