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歌川豊国とパンパン・ガール

吉原遊廓には「河岸見世」と俗称された低級な娼家エリアがあった。物の本では河岸見世を指して次のように紹介されている。

まさに掃き溜め、吹き溜まりと形容するのがふさわしいほどの退嬰感と猥雑さが漂っていた

永井義男『図説 吉原事典』(2015年)

退嬰感と猥雑さなるものが、実際どうであったのか、分からない。が、国貞の『五色潮来艶合奏』を大いに参考したであろう、田中登監督『(秘)女郎責め地獄』(昭和48年)に登場する河岸見世は、後述するように極めて卑俗に描かれている。河岸見世が、そう受け容れられてきたことは事実だろう。

歌川国貞『五色潮来艶合奏』(文化14(1817)年)
共同便所で精子を排泄する河岸見世遊女と、嘆く遊客。田中登監督『(秘)女郎責め地獄』(昭和48年)

河岸見世にあった最も低級な娼家である切見世(局見世)の内部構造は、喜田川守貞『守貞貞漫』(嘉永6年〈1853〉成立)では以下のように採録されている。

長屋形式でそれぞれ間口1.4メートル、土間を上がると2畳間に布団が敷かれている。隣室とはいかにも薄い唐紙(襖)で仕切られているのみ。

映画やドラマ、漫画といったフィクション作品では、とかく絢爛豪華に描かれる吉原だが、文化8(1811)年の記録では娼家214軒のうち87%が低級娼家で、「大見世」と呼ばれた高級娼家はわずか4%未満。9割近くが低級な娼家で占められていたのが当時の吉原遊廓の実態だった。

では高級娼家はフィクション同様に煌びやかな世界だったのか。

時代は下るが大正10年の記録を用いた論述によれば、稼ぎ高が最も高い者、中くらいの者、低い者それぞれ上中下3娼妓を比べ、借金返済を終えるために要する期間を毎月の返済高から逆算すると、いずれもが10年から18年を要す計算となった。売れっ妓はそれだけ高額な前借金で身売りされていることや、部屋代などの毎月の経費が増える。売上に経費も比例して、所得は僅かしか残らない。(吉見周子『売娼の社会史』、伊藤秀吉『紅灯下の彼女の生活』)

管理売春には構造的な搾取が組み込まれており、女性個人が頑張るほど、容姿に恵まれたり、手練手管に長けているほど、構造の上位にいる者が利潤を得た。高級・低級、煌びやか・猥雑といった評は、利用する側、使役する側からなされたものに過ぎない。

河岸見世に話を戻すと、絵師・歌川豊国も描いている。

歌川豊国『絵本時世粧』(享和2(1802)年)

格子戸の奥から顔を覗かせているのが低級娼家・河岸見世に従事する賤娼たち。その手前で竹ひごのような束「筮竹」を抱えて占っているのは易者。元来、験を担ぐ商売ではあるが、不安定で先行き不透明な彼女らは、なおのこと占いごとに頼ったという。

格子から その手を取て すじをみる

永井前掲書

との川柳も残る。他にも遊女らが用いた、以下のようなまじないやジンクスがある。

  • 嫌な客が付いたときは箒を逆さに立てたり、下駄にお灸をそえた。

  • 折り紙の蛙に針を刺しておくと好いた客がくる。客が来たら河に流す。

こうした慣習は、彼女たちの人生の前に横たわる過酷な毎日と見通せない将来の裏返しに他ならない。

だいぶ長くなったが、河岸見世について紹介したかったのではなく、見て貰いたかったのは次の絵である。

作・田中利夫

これは戦後のパンパン・ハウスを描いたもの。埼玉県朝霞市にあった旧陸軍の軍事施設は、戦後に連合軍が接収し、キャンプ・ドレイクとして米兵がこれを利用した。朝鮮戦争時には前線から戻った帰休兵が余暇を過ごしたことから、街の治安が乱れたという。朝霞に限らず、戦後の米軍基地周辺には夥しく娼婦が佇立し、彼女らは日本社会から〝パンパンガール〟と蔑まれた。対して、米兵らからは〝ハニー〟すなわち恋人に投げかける用語で呼ばれたことは対照的である。

戦後、実家が間貸し業を営み、パンパンガールに貸していたことから、彼女たちと親しく交流した経験を持つ田中利夫氏(昭和16年生まれ、現在82歳)は「紙芝居の金ちゃん」として、地元朝霞で戦後史について紙芝居公演を行っている。

先の絵は金ちゃんこと田中さんが描いた紙芝居である。掘っ立て小屋同様のパンパンハウスの屋内にはパンパン・ガールがいる。手元に注目したい。トランプを弄んでいる。

先の絵を拡大したもの

先日これを金ちゃんから見せて貰ったとき、私は本当に驚いた。

田中さんによると、少なくないパンパン・ガールがトランプ好きで、先行きを占っていたという。パンパンガールの中でも特定の相手を持つ者を「オンリーさん」と呼び、絵中の女性は小屋を貸し与えられていたオンリーさんだろう。現地妻でもある彼女らは、その日暮らしと違って特定の米兵を相手にするとはいえ、相手方の兵士が転戦や帰国することもあり、将来が約束されたわけではなかった。手に入れた者ほど、失うことを恐れる。

豊国と金ちゃん、およそ200年隔たる絵描き2人は、貧しい娼婦の後ろに同じ〝影〟を見ていた。金ちゃんはこの絵を指して「何となく記憶に残っていて描いたんですよ」と語った。小学生の金ちゃんが垣間見た彼女の横顔や指先から受け止めた印象は70年を経ても色褪せることなく、言語化できない憐憫の情として金ちゃんに筆を執らせたのではないか。また豊国も同じでなかったか。

金ちゃんとお目もじしたのは2019年、同年にカストリ書房でパンパン・ガールに絞った紙芝居公演を依頼した。ともするとパンパン・ガールを始めとする性売買を材に取った創作物は、書き手(描き手)が露悪的に煽り、内在する差別偏見や功名心が露わとなるが、記憶の中の彼女たちに寄り添いながら描き、口談する点において、金ちゃんは類例のないクリエイターである。私は心から尊敬している。

10月28日(土)、カストリ書房移転後初となるイベントとして、金ちゃんにご登壇頂く機会を頂戴した。私としては第一弾イベントは金ちゃんをおいて他なかった。

※ヘッダー画像:金ちゃん(田中利夫氏)が描いたパンパン・ガール/ハニーさん。垢抜けない女性も半年もすると真新しい洋装に身を包んだという。


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