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受付嬢京子の日常

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「受付嬢 京子の日常」 1日に通る利用客は3万人。とある駅ビルに勤める原田京子は、この仕事について2年目の受付嬢。色の白さと大きな目が他の受付嬢と並んでいても目立つ、自分の売り…
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#連載小説

受付嬢京子の日常⑱〜ワインの澱

受付嬢京子の日常⑱〜ワインの澱

「シフト代わってもらって、助かりましたぁ」

「いいよいいよ。ほんと大丈夫だった?」

沢木佳奈が両手を合わせる。眉をハの字にしても可愛いなぁと原田京子は思う。2日前、佳奈の代わりに京子が出勤した。京子たちが働くのは、駅の直結施設のインフォメーションだ。佳奈の実家で飼っている猫の様子がおかしく、病院に連れて行きたい、と連絡があった。佳奈も1日違いで休みだったので、シフトを交換したのだ。

「はい。

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受付嬢京子の日常⑰〜冷える指先

受付嬢京子の日常⑰〜冷える指先

「お気をつけて」

道案内をして送り出す原田京子の笑顔に、目の前にいた男は反応することなく無表情で去っていく。3月5日。まだ朝だと言うのに、人が多い。

人が多くなれば、道案内も多くなる。京子は、ふうっと息を吐いた。顔を上げると、同じく早番で出勤している片岡聖奈がにっこりと微笑んで道案内していた。

入ってきてから、お客様に笑顔で接さない。髪色が明るすぎる。足を引きずって歩いていて、いかにもやる気

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受付嬢京子の日常⑯嵐の前の静けさ

「ただいまご紹介いただきました、長谷川です。館長を拝命しまして…」

ハキハキとした喋り方をする人だ、と原田京子は思った。「美味しいものが好き」と公言してニコニコしていた前館長とは、違うタイプの人なんだろうな、と京子はあいさつの言葉を聞いている。痩せ型で、鋭い目つきだ。最後ににっこりと笑顔になったが、いかにも笑顔を作る、という感じだ。

先月来たマネージャーの山内敏行もあまり笑わない。いつ見ても、

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受付嬢京子の日常⑮〜表情筋

受付嬢京子の日常⑮〜表情筋

原田京子は、自分が浮かれているのがわかった。何度か誘っていた、吉田洋子が一緒にご飯に行けると言ってくれたからだ。

シフトが出たとき「土曜日で早番」があることに気づいて、吉田に声をかけた。吉田も早番だという。お姉さんの家で居候しているという吉田は、平日すぐに帰ってしまう。さらに、土日祝日は遅番が多く、なかなか飲みに誘えない。これは逃してはいけない、絶好のチャンスだ、と京子は珍しく圧をかけた。

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受付嬢京子の日常⑭歩き方

山内敏行は、歩いていてなぜ歩くスピードが一緒なのか、と考えていた。3メートル先に、勤務先の施設に向かって歩く女性を見つけてからすでに5分は経っている。身長は20センチ以上自分の方が高いと思う。歩くのは早い方で、普段から自分のペースで歩いていると、前を歩く人を追い越すのが常だ。それなのに、3メートルが縮まらない。

女性は目立つ格好をしているわけではないのに、目に飛び込んできた。背筋をピンと伸ばした

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受付嬢京子の日常⑬何も考えない日々

受付嬢京子の日常⑬何も考えない日々

「最低。2週間前に染めたばっかりなのに、もう染めてこいって言われたんですけど」

片岡聖奈が、受付嬢らしからぬ低い声で顔をしかめている。隣で聞いている沢木佳奈は、苦笑いを浮かべるしかない。聖奈の髪色は確かに明るいからだ。派遣会社の人なら注意するだろう、と思いながら遅番で出勤してきたばかりの原田京子に目線をやる。京子も苦笑するしかない。聖奈の話すことは基本的に愚痴か人をいじることだ。いちいち返事をし

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受付嬢京子の日常⑧

受付嬢京子の日常⑧

「おはようございます」

原田京子はエキモのスタッフスペースで挨拶される事が増えた。以前は素通りしていくだけだった飲食店の若いバイトまで挨拶してくる。京子は、エキモのインフォメーションで働いている。更衣室も違えば、インドメーションから離れた場所の店舗のスタッフは顔を知らないだろうと思う。スタッフスペースで挨拶を交わすようになると、営業スペースで顔を合わせても挨拶されるようになる。皆、以前から忙しそ

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受付嬢京子の日常⑦

受付嬢京子の日常⑦

声が出ない…。原田京子は職場のリーダー斎藤友美と食事をしている。少し前まで、流行りの歌の話をしていたはずだ。ワインをグラスで2杯。このあとカラオケに行こうと楽しい気分だったはずだ、と京子は自分の感情の変遷をたどる。

「…だからね、京子ちゃんが一番先輩ってことになるから。新しい子も入ってくるし、ちょっと大変だと思うんだけど…」

京子の様子に気づいていないように、友美は話し続けていた。京子達が働い

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受付嬢京子の日常⑥

受付嬢京子の日常⑥

「次の休みにカラー行きます」

不満げに片岡聖奈が言う。エキモで働き始めて3カ月。派遣会社に登録してすぐ、時給がいい、作業が少ない、と紹介されたと話を続ける。聖奈の性格がわかってきた、と原田京子は思っていた。2人が働いているのは、インフォメーションだ。主な作業は道案内。作業が少なく、人が来ない時は、退屈なぐらいだ。

「時給だいじだよね」

話を合わせていると、聖奈はどんどんしゃべる。派遣されてき

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受付嬢京子の日常⑤

受付嬢京子の日常⑤

「原田さん、今日時間あるかな」

インフォメーションのリーダーである斎藤友美がきゅっと口角を上げて笑う。正統派アイドルのような顔立ちだ、と声をかけられた原田京子は毎度、思う。京子達が働くのは、駅直結の商業施設だ。1日3万人の人が行き交う。インフォメーションはシフト制だ。友美との早番が久しぶりで、京子はほっとしていた。早番であれは夕方6時半には仕事が終わる。

「ココエにできたワインバー行ってみたか

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受付嬢京子の日常④

受付嬢京子の日常④

原田京子は、挨拶をしてくる猫のような顔の女を見て戸惑っていた。京子が働くのは、インフォメーション、つまり受付だ。派遣会社からは髪を暗く染めるように、とネイルやまつげエクステはしないようにと通達があった。派遣初日はインフォメーションではない場所で研修があった。リーダーだ。物腰は柔らかいが、言うことは全部言う、そんな斎藤友美の顔を思い出していた。

「それってなくないですかぁ」

猫顔の女の声がする。

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受付嬢京子の日常①

受付嬢京子の日常①

「え⁉︎辞めちゃうんですか⁉︎」

自分の声が思ったより響いた気がして、原田京子はとっさに口元を隠す。施設の休憩室はいつも通りざわざわしていた。一緒に話をしていた山崎美奈子の目に、咎める色はない。声が響いた、と思ったのは声をだした本人だけだったらしい。ほっとして京子は話を続ける。

「グリーンパークにさ、欠員が出たらしいんだよ。」

「先輩が前行ってたところですよね?でも、時給低いって言ってません

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受付嬢京子の日常③

受付嬢京子の日常③

今日は何も起こらずに終わりそうだ。21時になるのを確認して、原田京子は日誌を取りだす。落とし物が2件、電話での落とし物の問い合わせが5件。クレームもなく、1日が終わると思うとほっとする。受付嬢として京子が働くエキモは人通りが多く、業務のほとんどが道案内だ。それでもクレームが立て込む日がある。そんな日は、同じ労働時間でも、疲れ方が全く違うのを、感じていた。

「チェック表取りに行ってくるね。」

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受付嬢京子の日常②

受付嬢京子の日常②

「聞いてるの⁉︎」

少し早口だった女性の声が、大きくなる。受付嬢、原田京子は、神妙な顔のまま話を聞く。

「だからね、駐車券のサービスがないって知ってたら、買わなかったって言ってるの。返品してもいいわよね。」

黄色のコートを着た女性はおもむろに、自分が持っている袋を差し出した。化粧をして身ぎれいに見えるが、60歳の手前というところだろうか。京子は想像しながら、今日もか、と思う。京子が働くエキモ

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