何よりも自分のために時間を使ってくれた事。 自分を想い、創作をしてくれた事に感謝。 本当に自分は何もしていない。 その中での気遣いに、今になって心が澄んだ気分。 「互いにセンスを出し合い・・・」云々と伝えたけれど、 それは自分が日々の心の疲弊に気合いを入れたような言葉だった。 まだ独りよがりな自分がいる。 そうであってもいい。しかし相手に伝える言葉では無かった。 相手が使った自分への時間。 時間とは人間が生きていく中で、本来はかけがいのないもの。 どういう態勢
最近、この「純粋真っ直ぐくん」に頭をもたげる事が多い。 なぜに自分は「聖人君子、清廉潔白、謹厳実直」と思っているのだろうか? 極端になると、悪い行動を周囲に見せているくせに、他人には・・・。 そう「厳しい目と言葉」を仕向けるのである。 なんなんだこのルールは( ´_ゝ`) 今の仕事場。自分の職場が新しいフロアに「一括まとめられ」たので、 特にその傾向が強くなった。 (自分はそのフロアにいなかったので、人間関係を知らない。) 20人程度の座席表を見つつ、以前からそこにい
「人として」という言葉を使う事がある。 考えてみると、この言葉の使い道は多いなぁと感じた。 人として。という言葉は自分に使う場合と他人に使う場合がある。 「人としての道を外さぬよう、粉骨砕身の努力を致す所存で・・・」 これは自分に使う場合もあり、人に訓育する場合でもある。 「あなたね!それって人としてどうかと思うよ!?」 これは他者への攻撃で「人として」が「基本的に」みたいな形で 使われる言葉ですよね。 この「人として」という言葉を「人間として」と変化して使う場合もあ
2日間の文化祭が終わり、自分の感情も、そしてyukaの感情もぐちゃぐちゃ になってしまった。 あの時。yukaが製図室の倉庫に来てくれなかったら、オレはそのまま相手を ぶちのめしていたか、後輩の集団にめちゃめちゃにやられていたか。 どちらにせよ、大きな事件になり、学校にはいられない状態だったと思う。 大泣きに泣いた倉庫で、心が落ち着くのを待って友人が鍵を開けてくれた時 数人の仲間の中に、目を腫らしたyukaが静かに立っていました。 オレもみんなに何も言わないままで、yuka
最近、映画を見るだけで動悸がするようになった。 90分~120分ほどの映画を見る事が出来ない。 この「映画を見て動悸がする」という事象は、以前からあった。 なぜか? それは「映画の中に引き込まれ過ぎている」のが原因だ。 これはやはりやはり「パニック障害」と通じるものがある。 一点凝視で見てしまっている=集中している映画に限って、 突然「あ・・・コレはダメだぞ・・・。」と我に返った瞬間。もうアウト。 なので、最近は配信している映画は「何回かに分けて観る」ように してい
☆経過報告。 一応、ご覧になられた方からアクションがありましたので、経過報告を 残して、この記事も削除しようと思いましたが、自分の心の動くさまを 赤裸々に書いているので残しておきます。 どうも、行き違いだったみたいです。 しかし、現状の条件下で煩悶し、そして行動している中での相手の行動は 極めてナーバスな環境下にある事がよく分かると思います。 人それぞれの感情が噛み合わない、どれだけ深めても不信や不安、不満が あるものだというのは当然の事だと思います。 とう事でこの記事を
yukaに告白した瞬間。yukaはそのまま製図室を飛び出してしまった。 オレはyukaを追いかける事も出来ず、yukaから聞いた秘密の話に苦悶し、 その状態で動くことすら出来ませんでした。 yukaは製図室に荷物を置いたまま。 このまま待っていたとしても、yukaは帰ってくるか・・・。 いや、このままの状態でオレは待つ事が出来ない。 「帰るか。」と小さく呟いて、yukaが開けた扉を締めて製図室から 出ていきました。 その日の夜。 yukaが飛び出したまま家に帰ったのか、そ
とある干潟での出来事。 遠浅の潮の干満が激しいこの干潟では、多くの生物が存在している。 その中で「シオマネキ」の一群が生活をしていた。 オスは大きな片方のハサミを持ち、絶えずハサミをこまねいている。 その姿は、人間が見れば愛らしい仕草ではあるが、シオマネキから すれば、色んな意味を持つという。 その中の1つが「メスへのアピール」というのもあるらしい。 多くの動物に見られる「求愛行動」 「求愛ダンス」とも言われる行動の1つとも言われている。 この大きな干潟のシオマネキの
現在、高校時代から20代前半に起こった「yuka」との思い出を書きつつ、 その中で、こうして「とりとめもない事」を書いている。 実際、こうした物を書くというのが好きで、数年書かれているブログの類 が、数件ほどある。 そのブログサイトが閉鎖し、十数年前に書いた文章全てが消えている物も あるのは惜しい事だ。 短編の小説。ちょうど3000~5000字程度の小説を書いてた時もあって、 そのブログ自体は残っている。 今、このSNS時代にあっての自分の想いを「シオマネキ」を主人公
昨日、彬子女王:著「赤と青のガウン~オックスフォード留学記」を読了。 皇族のイメージがガラリと変わるほどの、人間的な、1人の女性としての 奮闘、涙あり笑いありの留学記を読むことが出来て、自分の今いる環境に おいて、大きなエポックメイキングとなった。 そして、彬子女王には本当に失礼な言葉ではあるけれど、彼女をとても チャーミングな女性だと思った。 自分は夜、寝る時にイメージするのが、前にもnoteに書いた、 「泉湧き出づる洞窟」に住むさま。 そこに、近現代の著名人を侍らせ
yukaがオレに対して「告白なのか分からない言葉」を電話で告げられた。 「ゆうきが私の事を想っている何百倍プラスアルファよりも、私のほうが想っている。」 どういう事=答えをyukaは言いたかったんだろう。 この時、高校3年のオレにすれば、これはyukaの告白でいいのかどうか さえも分かりませんでした。 そして、森さんの行動(オレが森さんに好きだと言ったという「嘘」)も あって、ますます事実は分からず・・・。 しかし、この事で自分の腹は決まった。 「明日、必ずyukaの目の
「ゆかー」 電話の声はyuka。 するとすぐさまyukaが弾んだ口調で、 「聞いたよー。森さんから!」と言った。 「あーそうなんかー。そうだったら早くワタシに言えば良かったのに!!」 「ふーん。それだったら相思相愛やん!これはワタシがいたからこその 関係になったなー!!ふふふ!!」と・・・。 何をyukaが言っているのか、さっぱり分からない・・・。 「yuka。オマエ何を言うてるん?」とオレが聞くと、 「もぉーーー。ワタシから言えることでないやん!もうゆうきから言わんと
yukaを好きだと分かった日。決心した日。 放課後の製図室。夕焼けに染まったyukaの横顔を見た時。 オレはこの想いをyukaに伝えたい。そう決心しました。 ちょうどこの頃、周りの同級生から2人に対して、色んな「噂」が 飛び交っていました。 放課後になると、製図室で2人っきりでいる。 今まで2人だけでいる所を、何人かの同級生には見られていた。 特に男達からは「あれはもう付き合っているんじゃないか?」とまで 噂されていて、わざと製図室へ数人で押し掛けては、悪い顔して
建設業の自分は、週末になると担当の現場を回ることがある。 自分は土・日休みを貰っているけれど、現場は動いている事が多い。 その中で、作業員さんや現場職員さんに「何かを買って」現場を 訪問する。 休日近い現場を訪れると、少しだけ緊張感もほぐれていて、 仕事以外の、いろんな話が聞ける。 自分と業者さんとのコミニュケーションの一環でやっている。 「今から行こうかと思うんだけど、なにか要る?」 これが、自分が相手に尋ねる言葉だ。 これは仕事&プライベートに関わらず、相手に対
自分は良く「悪い顔」という言葉を使う。 コレは「自分の本音」つまり、良い自分も悪い自分もさらけ出すという事。 人間関係は、生活でもプライベートでも大きなストレスになる事がある。 親しい、心分かち合える人のなんという少ない事かと、グッタリする。 そんな中で、自分の思い出を形に残すために。 そして自分を赤裸々に見せたいという思いで、noteを書き始めた。 しかし。 「表面上では赤裸々な部分を見せて」いたとしても、 「内面上の自分までは、表現という形ではあったとしても、全て
yukaと初めて2人で帰って、その夜に互いが冗談をいいつつ電話を終え、 ここ2・3日の、2人に起っていたトラブルは、解消できたなと思った。 翌日学校に行き、放課後になるまでクラスの中で別々の生活を過ごし、 文化祭準備の放課後。オレはいつものように、いや、昨日の暗く沈んだ 気分を変えようと、気分を上げてyukaのいる製図室へ行った。 行ったんだけど・・・いない。 いつもいる窓際の奥の製図机にyukaはいなかった。 もしかすると、教室にいるんじゃないか?と思って教室へ向かう。