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「悪眼」傍観。(冷眼傍観)

最近、映画を見るだけで動悸がするようになった。

90分~120分ほどの映画を見る事が出来ない。
この「映画を見て動悸がする」という事象は、以前からあった。

なぜか?

それは「映画の中に引き込まれ過ぎている」のが原因だ。

これはやはりやはり「パニック障害」と通じるものがある。
一点凝視で見てしまっている=集中している映画に限って、
突然「あ・・・コレはダメだぞ・・・。」と我に返った瞬間。もうアウト。

なので、最近は配信している映画は「何回かに分けて観る」ように
しています。

この「引き込まれてしまう」という習性は、どうも自分が赤ん坊の時から
持っていたようだ。

物凄い近くで見ないと分からないが、自分の首には小さな火傷の跡がある。

これは、自分が赤ん坊の時に「蚊取り線香」をずーっと見ていたと。
それが一周して自分の首に火傷を残しても見ていたと、母から聞いた。

これは仕事においてもそうだ。

与えられた仕事を、本当に期日まで終わらせる事が出来るのか?と、不安に
なる時があるが、出勤してしまえば、もう集中力が途切れる事は無い。

しかし映画鑑賞とは異なり、動悸等の不調が出ないので有りがたい。

今は映画の話で、自分が引きずり込まれていく。という話をしましたが、
これが、自身の考え、思考にも深く影響しているんですね。

物凄く集中する、そして元来の性急な心も災いして、特に怒った時は
手が付けられないのです。(知人の多く。知っている人は知っています。)

また、何かに嵌ると、それ一本になる。
アイテムや人間関係、色んな繋がりをとてもとても大事だと思ってしまう。

そして、人の意見などお構い無しに行動してしまう。

ここ。

そうここを正していかなければならないのですね。

例えば、SNSやネット。
情報過多、情報スピード、情報内容。
どれを取っても、自分には「苦しい=悩む事象」ばかり。

そこを突き止めようと。
つまり「自身で反芻⇒昇華」したいと、必死でもがく。
自分のこの導き出した答えは正しいのか?誤っているのか?
いや・・・その意見は自分としては「好きか?嫌いか?」

巡るめく思考の渦に巻き込まれて、もう藻掻けば藻掻くほど、
沈んでいくような状態。

一連の、こうした事象にほとほと疲弊し、本当に求めるべきは
「安らぎ」なんだと、気づくわけであります。

最近読んだ本の中で「放っておく力」というのがあった。

ネットに疲れた自分にとって、夜の読書はまさに「クールダウン」
できる場所なんです。

自己啓発とも言えば良いのか、この手の本には余り触手が動かない
のですが、あえて疲れている心に、何らかの知恵を。と思い、
読んでみました。

書いていることは、
「そう。そうなんだ。そういうことなんだよなぁ。」という、人の感情に
関して、放っておきなさい。つまり、目にするものを疑うことすらせず、
その情報や環境に身を置かない。
そう「放っておきなさい」という言葉が詰まっている本です。

これって、考えれば「定説・・・?」とも思える本なのですが、どこかでこの
正論を忘れている自分がいる。
そしてこうやって気付き、思い直し、行動に移せる。
ありがたい本でしたね。

東京都知事選の、あの氾濫した情報がSNSに溢れ、
そして、今でもその情報に甲乙反駁でやいのやいのの状態。

そしてトランプ氏の件で、もっと溢れかえってしまった情報。
けどね。
この情報って、一個人の感想が多数で、中には文面の最初からレッテル貼り
をしていて、見る側の心にグサグサ刺さる刺さるようにしているんです。

それならば・・・。

もう見ない。

自分事と捉えない。

放っておく。

これが、今の自分にとっては「メンタルを休める」事に繋がるんだろうなと
今一番、大事にしたい事です。

タイトルに「悪眼」と書きましたが、実は水滸伝では「冷眼」と書く。
(冷眼傍観)

少々、自分の持つ悪い顔。悪い眼。
純真真っ直ぐな心では無く、ちょっとだけ悪い心を持ちつつ、
色んな事象が仕事&プライベートに働いても「放っておく」傍観する。

自分のメンタルが疲弊しているんだから、これくらいの気持ちで、行動で
今はいたいですね。

ゆうさん


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