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散髪箕踞。(さんぱつききょ)

現在、高校時代から20代前半に起こった「yuka」との思い出を書きつつ、
その中で、こうして「とりとめもない事」を書いている。

実際、こうした物を書くというのが好きで、数年書かれているブログの類
が、数件ほどある。

そのブログサイトが閉鎖し、十数年前に書いた文章全てが消えている物も
あるのは惜しい事だ。

短編の小説。ちょうど3000~5000字程度の小説を書いてた時もあって、
そのブログ自体は残っている。

今、このSNS時代にあっての自分の想いを「シオマネキ」を主人公にして
書いてみたいと思っている。

本来なら、今日にでも書けるような短編だったのですが、もう少し頭の中で
妄想を膨らませて書いてみたい。

書いてみたい・・・か。

もし手元に十分な。
生活にさえ困らないほどのお金があれば、やってみたい事が2つある。

1つは、この「物書き」という、自身の表現手段をしっかりとやりたい。
後は「遺跡・史跡」を研究したい。探求したい。

そうなると、自分は人から見れば、今の時代に合っていない、
「浮世離れ」した存在になるだろうなぁ。

自分の生活の原点は「仕事」にある。

しかし、その考えは年数を重ねていくにつれて、そして時代の反芻の中で
変わっていく。その変化点で、自分は「うーん。うーん。」と悶えながら、
いつも「羽化の苦しみ」を味わう。

家庭=家の経済としての仕事を、もうしなくていい。となれば、
ミノムシの様な生活になるのは間違いないだろうと思う。

明治&大正期に「高等遊民」と属される若者が居たそうだが、
そこまではいかなくとも「遊民化」する自分を、心の中では
待ち望んでいるかもしれない。

先週は仕事で、自分としては「とても辛い」経験をした。

経験をしたが、考えてみれば「周囲の環境の変化」ではなく、
「自身の立ち振舞いが、周囲に変化をもたらせた」事に気付いた。

それが分かった「今日」
言い方が難しいが、1つ1つ「どうでもいい心の引き出し」に
仕舞い込む事が出来そうで、かなり楽になった。

後は、次週以降からの自身の行動をその気持ちに合わせて変えること
である。それもそんなに大した労力は使わなくても良さそうだ。

自分は「悩みの原因を、他の楽しさで昇華する」事は出来ない。

悩みと向き合い、煩悶し、挑戦し、行動する事でしか、その悩みは
解決できないものだと思っている。

その中での、今回の一件と、自身の感情の変化&次週からの行動は、
とても大きなものになりそうだ。

今日、ちょっとした事で、その自分にとっては正しき事を誤り、
他人に「おんぶにだっこ」しそうになった。

これは完全に自信を見失う事になる。
「あ・・・あっぶねぇ・・・」とは、正にこの事だ。

そういった、自分の中では「避けて通れない&逃げる事は許されない」
休日の中での命題が解けた事は、本当にありがたいと思っている。

そしてまだ明日一日ある。
まだやらなければならない散らばっている心のピースをしっかりと
埋めきって、次週に望みたい。

もしその中で希望があるのならば。
晴耕雨読の日々から、
散髪箕踞の日々を憧れつつ、日常を過ごしていきたい。

ゆうさん


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