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性善説と「しょうわる」説。

最近、この「純粋真っ直ぐくん」に頭をもたげる事が多い。

なぜに自分は「聖人君子、清廉潔白、謹厳実直」と思っているのだろうか?

極端になると、悪い行動を周囲に見せているくせに、他人には・・・。
そう「厳しい目と言葉」を仕向けるのである。
なんなんだこのルールは( ´_ゝ`)

今の仕事場。自分の職場が新しいフロアに「一括まとめられ」たので、
特にその傾向が強くなった。
(自分はそのフロアにいなかったので、人間関係を知らない。)

20人程度の座席表を見つつ、以前からそこにいた人に、
「この人とこの人は仲が悪い。」
「この人とあの人は以前物凄い喧嘩をした。」

人間相関図がもうボロッボロッの状態を呈している。
そこに自分は「性善説の(稚拙)な弊害」を感じたのですね。

そもそも。

人って「悪い」と思って付き合うほうが、極端に言えば
仲が良くなると思っている人なんですね。

いわゆる「企み」とでも言うのがいいのか。
誰でも、そういった心は持っているものだと思うんです。

小さい出来事ならば、誰でも「魔が差す」事もあるでしょう。
それを敵視し、攻撃するのが・・・もはやなんとも・・・と考えます。

結局、自分を清らかに考えている人は、社会の波に飲まれると弱い。
清濁併せ呑むという感情を少しでも持っている人は、その汚れを
気にしない。むしろその汚れを逆に有難がる。

例えて言うならば。(例えになってるかどうか分かりませんが。)
高校球児が試合のユニフォームを洗わずに、それを勲章&ジンクスとして
汚れたままで次試合に向かうような感じですか。

自分が正しい、自分は間違っていない。

この気持ちでいると、もはや人生の判断の時に、自分を苦しめる事になる。
それならば、ちょいとくらい「悪い顔」して企んで、
「しょうわる同調」的な顔をしていたほうがいいと思うんです。

これはあくまでも「自分の考え」なので、推奨はしませんが、
いや・・・仕事場ではよく言ってますね。

「あんたも他の人もどっちもどっち。それならば仲良く出来るじゃないか」
と・・・。

今日はこういった出来事が頭をもたげた一日でした( ´_ゝ`)

ゆうさん



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