ベニシオマネキの「内緒」
とある干潟での出来事。
遠浅の潮の干満が激しいこの干潟では、多くの生物が存在している。
その中で「シオマネキ」の一群が生活をしていた。
オスは大きな片方のハサミを持ち、絶えずハサミをこまねいている。
その姿は、人間が見れば愛らしい仕草ではあるが、シオマネキから
すれば、色んな意味を持つという。
その中の1つが「メスへのアピール」というのもあるらしい。
多くの動物に見られる「求愛行動」
「求愛ダンス」とも言われる行動の1つとも言われている。
この大きな干潟のシオマネキの一群に、とても綺麗な紅色をした
シオマネキがいた。
あえて「彼女」というが、彼女は「メス」である。
しかし突然変異なのか・・・。
彼女の片方の手は、オスと同じ「大きなハサミ」を持っていた。
オスのシオマネキからすれば、干潟に紅咲く、同じハサミを持った
このシオマネキに、興味を注がないはずは無かった。
シオマネキは満潮時。つまり干潟が海に没する時は、その大きな
ハサミを利用して縦に穴を作り、住処とする。
その周りに掘った砂を丸めておいておいて、それに蓋をして
海水が流入するのを防止している。
干潮時なればその蓋を開け、外界に出てきて、砂の中にあるプランクトン
などを食べる。
さて、紅色のシオマネキ。
彼女も他のシオマネキと同じく穴を掘り住処にしているが、大きなハサミ
を上手く扱えないせいか、蓋になる砂が小さい。
一生懸命に彼女は砂を丸めて蓋を作るが、尽くサイズが小さくて、
彼女の穴の周辺には、小さく丸まった砂が円状になって取り囲んでいる。
それを見たオスのシオマネキは「それがまたカワイイ仕草だ」と、
彼女を注目させる一つになっている。
また、干潟になった時に、彼女は外に出てこようとはせずに、
穴の外から大きなハサミをヒョイヒョイと出して、その周辺の砂地に
ある食物を取っている。
顔の見せない、しかし紅色に身を纏ったハサミだけが、穴の中から
出てくる仕草が、オスのシオマネキには、愛情表現に見えて、
とても愛らしい仕草であった。
謎の多き異性には、誰でも惹かれていくのであろうか。
多くのオスのシオマネキは、彼女に色んな形で求愛を示す。
しかし、彼女はどのオスにも求愛行動に答える様子はない。
ましてや、彼女が彼女としている姿は、このひょいひょいとする
大きなハサミ以外、何も無いのである。
そこがまた「神秘的」と感じるオスもいれば、
これだけの求愛をしても反応もない彼女に愛想を尽かすオスもいた。
そんな彼女にも、自分の姿をさらけ出す「時」がある。
それは満月の干潮の夜。
月夜に照らし出された砂浜で、彼女は紅色の姿を晒して、
大きなハサミを上下に振りつつ、巣穴の周りを回るのである。
それは人が見ても神秘的な、そして優雅で、気品すら感じさせる
踊りに見え、多くのオスたちがその踊りに魅了されていた。
そうなれば当然、彼女に求愛を申し込む、いや、近づきたいオスが
多くなる。
しかし、彼女はオスが「個」として近づくと、
静かに、そっと、小さくサイズの合わない巣穴を閉じてしまうのである。
物語としては、シオマネキが人の感情を持って話しかけ、その彼女が
思う事を書くのだろうけれど、これが実態なのだ。
人以外に物を感じ、人と接し、思案し、行動し、自己の想いを告げる
生物はいない。
しかし、生物それぞれに感じる想いはある。
それは人にさえ推し量れない推量の域を超えない。
しかし。
人においても、行動表現が、感受性の強弱や、思考、経験等が
見えていたとしても、本来の奥底にある心の部分は見えないもので、
それは「自己の想いを自己が推し量れない」という、自己矛盾に
満ちた結果でもあるだろう。
他の生物は、種の存続として、性を生み、子を宿さなくてはならない
という習性を持つ。
しかし人はそうではない。種を残すための性があれば、互いの気持ちを
高める性もある。
そして、性というのはただ単に性行動以外にも、人それぞれの愛情表現を
人に与えるという行為が人間に含まれている。
このベニシオマネキの世界にも、こうした魅了されていく女性にも、
秘密な部分。これを今回の題名は「内緒」と書いた。
人においても、内緒な、秘密な部分がある。
それを相手から引き出すというのは、シオマネキの例でも理解でき、
ましてや人になると、これは多事多難な出来事だ。
さて。
このベニシオマネキの今後はどうなっているのか?
それは、これを読む人の想いに任せたいと思います。
それだけ人の想いがあるから。
ゆうさん
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