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僕が「なにか要る?」と聞く理由。
建設業の自分は、週末になると担当の現場を回ることがある。
自分は土・日休みを貰っているけれど、現場は動いている事が多い。
その中で、作業員さんや現場職員さんに「何かを買って」現場を
訪問する。
休日近い現場を訪れると、少しだけ緊張感もほぐれていて、
仕事以外の、いろんな話が聞ける。
自分と業者さんとのコミニュケーションの一環でやっている。
「今から行こうかと思うんだけど、なにか要る?」
これが、自分が相手に尋ねる言葉だ。
これは仕事&プライベートに関わらず、相手に対して尋ねる事が
殆どで、挨拶代わりになっている。
もちろん、相手によっては「何もいらない」という人もいるし、
「これが必要!」と答えてくれる人もいる。
けど、自分は相手が「必要・不要」に関わらず、相手の事を思い、
自分が思う「相手に見合った」ものを買っていく。
これって物を贈るのが目的でもない。
人に何かを施す。というのでもない。
ごっこ遊びでもない。
相手を思う=慕う気持ちの「一種の伝え方」だと思っている。
この気持ちが数年前に、とても強くなったきっかけがある。
これはあるドラマの出来事だ。
仕事と家庭に押し潰されそうな主人公が、いろんな障壁の中で、
自分を日々取り戻しながら奮闘している。
それを見守る1人の少女がいる。
主人公の彼は、残業や兄弟の付き合いで毎夜遅くなって帰宅する。
そんな中で、いつも家族に今から帰る連絡をする。
彼は言葉少ない人ではあるけれど、必ず決まって言う言葉がある。
「何か要るか?」「何か買って帰ろうか?」と・・・。
彼を見守る1人の少女は、その行動を「彼の優しさ」だと言った。
自分は思う。
今は目に見えない人。ましてや目に見える人に対しても、
優しさを掛けてあげるほどの余裕がない。自分もそうだ。
けれど、自分くらいは。
自分だけは、そんなギチギチした余裕のない生活をして、
目の前にいる人を、余裕がないからといって、眼前から
消してしまう事は避けたいんですね。
気に掛ける事は誰でも出来る。
余裕があっても、全く無い状態でも、これくらいの行動は
出来る。
相手がどんな状況・状態なのかは、相手が心を打ち明けないと
誰にも分からない。
ただ、自分の持つ心を少しでも開いていければ。
そう思っています。
※ただし。
優しさの押し売りだけにはならないように気をつけないと。
自分は自然にやっているようでも・・・ね。
ゆうさん
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