フォローしませんか?
シェア
YUMIKO
2020年3月26日 12:43
【前回の記事】前回に続く…【理念を落とし込む】今日の記事は、では実際にはどのようなお店にしていったかを具体的に書いていきたい。前回の記事で経営理念をこのように書いた。「役割をもって仕事をしている人のための安息の地を作る」だ。では役割をもって仕事をしている人とは…。仕事をしている以上、役割を待っていない人はいないのだが、私が指し示したい人は生活の中で仕事の比重が高い人のことだ。仕事へ
2020年3月22日 11:08
【前回の記事】ある時、コンビニの肉じゃがを見て思った。最近肉じゃがを食べてないな…。この感情がこれから作るお店の核となってゆく。【なぜ肉じゃがが気になったのか?】独立資金を作るため朝から晩まで働いた2年間。今ではもう2度とやりたくないと思うのだが、無我夢中な時は周りが見えていないのでそれ程辛くは感じていなかった。辛さの根本は周りとの比較にあり、比較対象を身の回りから取り除いてしまえばそれは
2020年3月18日 04:30
【前回の記事】震災を経験し、何もできなかった事を後悔した。でも頑張ってる方々の姿に自分にも何かが出来るような気がした。そして2年間勤めたバーを卒店し考えはじめる。私に一体何ができるんだろう。【お店を辞めた直後】飲食店を経営するってどういう事なのか?調べ始めた。ネットは今ほど情報が沢山あった訳ではないので、本を数冊買ったような気がする。お店の家賃の事とか売り上げの事とか、借り入れのこととか…
2020年3月17日 10:31
【前回の記事】東日本大震災の後日のニュース。どこかの飲食店で帰宅難民に方が飲めるようにと給水所を店先に作っていた。このニュースを見た私は、私にも出来たことがあったと気付かされた。【一体何ができただろうか】このニュースを見た後、すぐに考え始めた。あの時一体何ができただろう。帰宅難民者が求めていたものはまず食べ物と水。そしてニュース、あとトイレだ。今だったら携帯の充電スポットやWiFiも欲
2020年3月14日 01:55
【前回の記事】2011年3月11日、東日本大震災は起こった。茨城出身、当時は東京で生活していた私はほとんど被害を受けずにすんだ。それは家族や親戚、友人も同様、職場もその日のうちから通常営業ができていて、安心感すら感じ始めていた。しかし、テレビから流れるニュースは受け入れ難いほど悲惨な状況を伝えていた。それを見ているとやがて絶望感を感じた。安心感と絶望感、解離したこの二つの感情がなぜ私に
2020年3月12日 04:47
あの日から9年が経った。東京に住んでいた私ですら凄まじい日だった。地震が起こった瞬間からテレビはニュース速報ばかり、関東エリアのどこかの工場で火災が起こっている映像を見たのを覚えている。この後、被害はどんどん大きくなっていった。最終的には2万人以上の命が失われ、原発事故は今もなお解決の見通しがついていない。発生から数日後に、未曾有の事態と表現されるようになった。当時の事を思い出すと今でも胸が詰