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フリーダ・カーロの日記から

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#フリーダ・カーロの日記

フリーダ・カーロの日記ー新たなまなざし

フリーダ・カーロの日記ー新たなまなざし

メキシコを代表する画家フリーダ・カーロが、自ら描き綴った絵日記。待望の日本語版(カラー)刊行です。解説は堀尾眞紀子先生。

度重なる手術、流産、離婚、復縁…精神を保つために絵を描き、ディエゴを愛し傷つき、間違いを繰り返し、それでもディエゴでないとダメだと気づく。彼との関係性を探り、母となり、同志、分身となりながら模索する軌跡。

Amazonなどで予約が始まりました。どうぞ宜しくお願い致します。

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ディエゴとの関係性(フリーダ・カーロの日記#14)

ディエゴとの関係性(フリーダ・カーロの日記#14)

ディエゴとの一体化
1944年、ちょうど日記を書きはじめたころ、フリーダは結婚15周年の記念日に『ディエゴとフリーダ』 というオブジェをディエゴに贈っています。これはディエゴと自分の顔の半分を一体化したオブジェで、私たちはかけがえのない存在であるという表明でもあったのでしょう。

母子に見る包括的な愛
いっぽうディエゴは、1945年、壁画『アラメダ公園の日曜日の午後の夢』の一部に、母親のフリーダと

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ピカソとフリーダ(フリーダ・カーロの日記#13)

ピカソとフリーダ(フリーダ・カーロの日記#13)

フリーダはピカソと1939年にパリで知りあいました。ピカソはフリーダの作品を賞賛し、親愛のしるしに手型のイヤリングを贈っています。メキシコでは病や事故の快復に感謝して、手や足など身体の一部を型どった「ミラグロ(奇跡)」と呼ばれる奉納物を祭壇に捧げる風習があるため、こうした身体の部位を型どった飾り物はよく見られます。フリーダはこのイヤリングを大変気に入っていたようで、1940年に製作した「エレッサー

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インクの染みから(フリーダ・カーロの日記#12)

インクの染みから(フリーダ・カーロの日記#12)

フリーダは日記の中で、滲み出たインクと裏抜けした部分を3頁にわたって想像力に富んだ絵に仕上げています。はじめは犬らしき動物、それは次のページでさらに獰猛化し、その次のページではターバンらしきものを髪にまいた女性が空を飛ぶ絵に変化しています。また、はじめに登場するインクの犬らしき動物の下には別のインクの染みもあり、こちらは葉脈が描かれた1枚の葉から、次ページでは「戦死した兵士」というコメントをつけて

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点と線の国の奇妙なカップル - ネフェリシスとオホ・ウニコ -(フリーダ・カーロの日記#11)

点と線の国の奇妙なカップル - ネフェリシスとオホ・ウニコ -(フリーダ・カーロの日記#11)

1945年の絵画作品『モーゼ』に、フリーダはネフェルティティを描き、「ネフェルティティは非常に美しかっただけでなく、“解放された女性”であり、賢明な夫の協力者であったに違いないと思う」とコメントしています(Hayden Herrera, Frida: A Biography of Frida Kahlo)。

フリーダの日記の中で、「点と線の国の奇妙なカップル」と題するページがあります。フリーダは

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チョコレート伝説 ~メキシコのカカオから~ (フリーダ・カーロの日記#10)

チョコレート伝説 ~メキシコのカカオから~ (フリーダ・カーロの日記#10)

フリーダの日記には、メキシコ原産のカカオが生き生きと描かれているページがあります。まず、色のイメージを書いたページでは、茶色を連想するものにチョコレートソースの「モレ」をあげています。「モレ」はメキシコで肉料理に使われる辛味のチョコレートソースのことです。チョコレートが菓子としてではなく、料理に使用する身近な食材でもあるのです。その数ページ後に、ページの真ん中に巨大なチョコレートを描き、ナワトル語

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『La llorona:ラ・ジョローナ』~泣き女の伝説とチャベラ・バルガス(フリーダ・カーロの日記#9)

『La llorona:ラ・ジョローナ』~泣き女の伝説とチャベラ・バルガス(フリーダ・カーロの日記#9)

Eloisa Aquino, THE LIFE AND TIMES OF BUTCH DYKES,B&D Press 2010

フリーダの日記には、たくさんの涙と泣き顔が登場します。8頁に及ぶディエゴへの愛の手紙の最後に添えられた線描は、複数の瞳が木の根やこぶの隙間に描かれたもので、いくつかの瞳からは涙がこぼれています。フリーダが好んで使用したと思われる涙のモチーフは、彼女個人の痛みや悲しみを表

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アウソクローモとクロモフォーロ(フリーダ・カーロの日記#8)

アウソクローモとクロモフォーロ(フリーダ・カーロの日記#8)

  Fabian Negrin, FRIDA y DIEGO, Editorial Ateneo, Grupo ILHSA, 2014

日記の中で、フリーダは自分とディエゴを特別な名称で呼んでいます。

・・・

フリーダのディエゴへ宛てた愛のメッセージは、ほとばしる情熱のままに綴られた暗喩に富んだ散文になっています。ディエゴを語る時、フリーダはあまりにも饒舌になり、語り尽くせないほどです。

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「三文オペラ」の劇中歌の一節(フリーダ・カーロの日記#7)

「三文オペラ」の劇中歌の一節(フリーダ・カーロの日記#7)

Stamp from the former East Germany depicting Brecht
and a scene from his Life of Galileo

フリーダ・カーロは、日記の中で、ドイツ人劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』にある劇中歌「マック・ザ・ナイフ」の歌詞の一部を、ドイツ語で書き写しています。

『三文オペラ(原題:Die Dreigrosche

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フリーダの色彩感覚(フリーダ・カーロの日記#6)

フリーダの色彩感覚(フリーダ・カーロの日記#6)

Photo by Miguel Á. Padriñán,Pixabay

日記の中で、フリーダ・カーロは様々な色に対して抱くイメージを記しています。その中で特に目を引くのは、メキシコ人であるがゆえの彼女の色彩感覚です。例えば非常にメキシコ的だなと思われるのは、赤紫を 「 ノパールサボテンの実が流す古い血 」 の色、茶色を 「モレ」 というメキシコの肉料理に登場するチョコレートソースの色をイメージし

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ディエゴへの手紙 ―象と鳩の結婚―(フリーダ・カーロの日記#5)

ディエゴへの手紙 ―象と鳩の結婚―(フリーダ・カーロの日記#5)

Clarion Books; Frida & Diego: Art, Love, Life、2014

フリーダは人生で二度の事故に遭遇したと言っています。1つめは18歳の時のバスの事故、2つめはディエゴとの出会い。1929年8月21日、ディエゴとフリーダは結婚します。フリーダ22歳、ディエゴ42歳、まるで「象と鳩の結婚」と周囲は表現しました。

フリーダの日記にはあらゆる頁にディエゴが登場します

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爆弾に結んだリボン(フリーダ・カーロの日記#4)

爆弾に結んだリボン(フリーダ・カーロの日記#4)

1938年にメキシコを訪れたアンドレ・ブルトンは、フリーダの絵を絶賛し、彼女の芸術を「爆弾に結んだリボン」と評しました。

ブルトンは、フリーダにニューヨークとパリでの個展を企画すると約束をし、フリーダはニューヨークでの個展終了後、1939年にパリに渡ります。しかし、パリで個展の準備は一向に進まず、フリーダはブレトンのいい加減な人柄に嫌気がさしてブルトンの家を出てしまいます。

その後、マルセル・

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日記の自動描画に見るシュルレアリスム的要素(フリーダ・カーロの日記#3)

日記の自動描画に見るシュルレアリスム的要素(フリーダ・カーロの日記#3)

フリーダ・カーロの日記には、絵画の下絵やいたずら書き等、数々の素描が描かれています。彼女の線画に描かれる宇宙観や思想感は不可思議で目が離せません。

たとえばこちら。

      P.38 EL DIARIO DE FRIDA KAHLO:UNA NUEVA MIRADA,         La vaca independiente

青インクで描かれた複数の点と線の結合からなる暗示的な描画。点

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自動筆記とシュルレアリスム(フリーダ・カーロの日記#2)

自動筆記とシュルレアリスム(フリーダ・カーロの日記#2)

「シュルレアリスム宣言」発表の頃のブルトン

フランスの詩人アンドレ・ブルトンは、シュルレアリスムの定義を「純然たるオートマティスム(自動筆記)によって、心の真の作動を文章もしくは他の方法で、逐語的に表現しようとするもの。理性のおよぼすいかなるコントロールも受けることなく、またどのような美的道徳的配慮をも超越した、思考による指令」と説いています。(ヘイデン・エレーラ『フリーダ・カーロ』 249 頁

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