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「三文オペラ」の劇中歌の一節(フリーダ・カーロの日記#7)

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Stamp from the former East Germany depicting Brecht
and a scene from his Life of Galileo


フリーダ・カーロは、日記の中で、ドイツ人劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』にある劇中歌「マック・ザ・ナイフ」の歌詞の一部を、ドイツ語で書き写しています。

そうさ サメは するどい牙を
むき出しにした 面がまえ
ところで メッキーは ナイフ持ちだが
そのナイフ だれも 見たことがない

『三文オペラ(原題:Die Dreigroschenoper)』は、ざっくりまとめると…

1900年頃のロンドンのスラム街を舞台に、盗賊団のボスで色男のメッキー・メッサーが複数の女性との関係の中で逮捕と逃亡を繰り返し、終いには死刑宣告と思いきや、最後の土壇場で恩赦が下り、さらには貴族にまでなってしまうという超ハッピーエンドのストーリー。資本主義社会やブルジョア道徳を痛烈に風刺した作品とも言われています。

フリーダはブルジョワを嫌い、メキシコの大衆芸術に価値を見出した画家でした。大衆演劇を好んでいたため、お気に入りの作品であったのかもしれません。フリーダの父方の家系がドイツ人であったこともあって、一層愛着が湧く作品であったのかも…。前に少し触れましたが、当時のメキシコは、大衆テントで様々な風刺の寸劇が上映され、有名な喜劇役者が数多く誕生した時代でした。

メキシコの作家カルロス・フエンテスは、『フリーダ・カーロの日記』の初版本のプロローグの中でこう書いています。

フリーダは、アカデミックな規制から風景や色彩や形式を解放した人たちであるサントゥルニーノ・エラン〔(1887-1918)メキシコ人画家〕やアトル博士〔(1875-1964)ヘラルド・ムリージョ。アトル博士のアトルとは雅号であり、ナワトル語の「水」を意味する〕を賞賛していた。また、ブリューゲルとその大衆的謝肉祭の中に溢れんばかりに描かれたもの、鮮やかな色彩と太陽の光の下で無邪気な怪物たちや手におえない大食家たちでいっぱいのそれを、我々の日々の糧として差し出された暗い幻想に満ち溢れたその絵を愛していた。現実性を伴う幻想、つまり真昼の光の下にある内なる闇を。こうしたものは、フリーダ・カーロの芸術に基本的な影響を与えたのだ。

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フリーダが、生涯ほの暗い町を求めて出かけていき、その匂いや味わいを見つけ、テントの中で笑い、酒場を飲み歩き、付き合える仲間を見つけようとしたのは、フリーダがカチューチャスに始まり、後のロス・フリードスといったような同志や集団および親密な交友関係を探し求めた孤独な女性であったからではあるが、メキシコ人の知的生活の中にある獰猛なカニバリズム(食人の風習)から身を守るために、人間手榴弾とも言うべき厄介なならず者の連中の一員にならざるを得ない、メキシコならではの必要性によるものでもあった。

これを読むと、フリーダが大衆芸術に惹かれる理由が分かる気がします。大衆芸術とのつながりは、彼女の幼少期の病や事故に起因するところがあるからだと。

劇中歌の『メッキー・メッサーのモリタート』は、後に『マック・ザ・ナイフ』として、ジャズのスタンダード・ナンバーになりました。


日本では、なんと美空ひばりさんが「匕首(あいくち)マッキー」と題して歌っていました。


『三文オペラ』の書籍は、時代や訳者によってさまざま。読み比べてみると面白いかもしれません。


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