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ドイツの小学生デモにみる「表現の自由」

ドイツの教育と日本の教育を比較した際、大きな違いのひとつに「発言力」がある。
詳しくはこちらから。

2018年9月8日(土)ハンブルグにおいて、デモが行われた。
このデモの発起人は、7歳の男の子である。
彼は親がスマホばかりに目をやり、自分と遊んでくれないことへの不満をデモという形で表現した。

"Spielt mit MIR! Nicht mit Euren Handys!"
(僕と遊んでよ!スマホとじゃなくて!)

このデモを3つの異なる観点から見ていきたい。まずは「子ども」から。

スマホ依存の親に対して、不平・不満を持つ子は多いだろう。
しかしながら、その思いを大衆を前に声をあげようと考える子どもはどのくらいいるのだろうか。
そして、その考えを実行に移せる子どもの割合はどのくらいだろう。

ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由という記事をみつけた。

小学生が「デモの手順」を学校で学ぶ
政治に限らず、ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。発言の有無が成績にもつながるため、堂々と意見を表明することが「ごく普通」に身に付いている。喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。また、小学校で「抗議から社会運動までの手順」を学ぶ機会もある。たとえばマンホールから異臭がするという問題があれば、「まず市役所に言う。それで解決しない場合は地元紙の『読者の手紙』へ投稿する。それでもだめなら、社会運動を行う」といった内容だ。(上記記事から引用)

記事内の
「喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている」
本当にその通りである。

ドイツでは、授業中に手をあげないことには成績があがらない。
どんなにテストで点が良くても、評価につながらない。
「答えがあっている、あっていない」よりも、「手をあげるか、あげないか」に焦点があたっているのだ。
確かに頓珍漢と感じる答えがでることも多いだろう。でも、それでいい。
素晴らしい答えを発言する必要はない。
自分が思っていることを、素直に表現する。
世の中には、さまざまな人々が暮らしていて、みな同じ価値観を持っているわけではないからだ。
だからこそ、意見をぶつけ合い、その中から解決策を見出していくことが大切になってくる。

実際にデモを行うには、提案し、計画し、実行に移さなくてはいけない。
そこには、やってみようという好奇心を始め、勇気や行動力も不可欠だ。
「できる!」と自分を信じる心も欠かせない。
次は、「子ども」を達成へと導いた「親」の存在にフォーカスしてみたい。

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