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【キャリア】今の自分に希望が持てなくても-転機を活かし人生を創造するおもしろさ―ジェラット、クランボルツの理論からこの10年を振り返る♯101

先日、40歳の誕生日を迎えた私。
誕生日に特別な思いを抱くことは最近は無かったけれど、年代が変わる瞬間は、少しだけ意識をしてしまう。
30代から40代へ。一つの節目だと思い、私の30代を振り返ってみる。

20代後半。私は八方塞の最中にいた。当時、会社員だった私は、全社的なプロジェクトを担当。入社時からやりたい仕事ではあったけれど、あまりに忙しく東奔西走していた。始発で出社し、皆が出社する前に1日の準備をする。その後、打合せに4,5時間入ることもよくあって、それが終わると打合せ内容をまとめたり、メールや電話の対応をしたり、夕方になってから会議の資料づくり…気づけば終電なんてことがザラにあった。
そんな日々を過ごしていたので、彼氏をつくる暇なんてなかった。でも両親がそんな私を心配し、お見合いのセッティングなんてしてくる。「結婚相手くらい自分で見つけるわ」と思って断っていたけれど、前の彼と別れてから、ただ月日だけが経っていた。だから29歳の時は、週1で、合コンすることを自分に課して、土日はそのノルマをこなしていた。
仕事にほぼ全てのエネルギーと時間を注ぎ、深夜に帰って煎餅布団に一人寝る。そんな日々から充足感は得られず、寂しく、こんな毎日がこれからもずっと続くのか・・・と思うと、希望が持てなかった。

そんななか、29歳での婚活が奏功し、30歳の誕生月にプロポーズをされる。私の30代の始まりは、まさに、自分の20代をリセットする転機の始まりだった。

結婚を機に、いずれ継がなければならない家業に転職。幸い子供も授かったので、出産後、体が落ち着いたら、子連れでも行ける職場なので、すぐに仕事をするつもりだった。しかし、ここで、まさかの夫の転勤辞令が下りる。

関西から東京へ。東京の大学に通っていたので、幸い友達はいた。
ただ、当時と違うギャップ。それは、私の名前で呼んでもらえないこと。子供と一緒の東京での生活は、「〇〇くんのママ」でしかなかった。
会社員としての顔も無くなり、私は何者なんだろう、と考えることが多かった。そんな悶々とした気持ちを抱え、東京都が主催する女性の起業セミナーなるものに行ったとき、子どもが小さくても、そして本業を持っていても「場づくりのデザイナーをやってる」「フードロス削減のプロジェクトをしている」「バギーランを定着させる活動をしている」といったように、自分なりのプロジェクトを持つ参加者が沢山いた。彼女らを見て、私には一体何があるんだろう・・・いや何も無い!という現実を突きつけられた。会社員を8年間やったけれど、何のスキルがあるかと聞かれると、駅員時代に身についたマルス(切符を出す機械)の早打ち、車掌時代に身についた放送スキル、そして官僚的な職場で身についた事務処理能力・・・これ、何の役に立つねん!と思うものばかりだった(しかし、のちにこのスキル、経験の活かし方がわかってくる)。
そして、そもそも私は自分の人生で何がしたいんやろう・・・と、考えるように。

♬なんのために生まれて、何をして生きるのか。わからないまま終わる、そんなのは嫌だ!♬

まさしく、アンパンマンの歌詞。
ショック療法的に、自分のこれまでを棚卸をすることに。
同じように、育休期間に私と同じような問いに向き合う大学時代の友人と再会したことで、私のスモールスタートが始まっていく・・・
この詳細は、こちらの記事を参照。

その後、1年もたたぬまま、今度は広島に転勤になり、広島→京都(第二子出産するも単身赴任。その後コロナ禍へ・・・)→イギリスと転勤は続く。

「夫の転勤」という予測不能なライフイベントの連続だったが、そこで知り合った偶然の出会いをテコに、直感的に「おもしろそう!」と思ったものには挑戦をしていった。

そして京都に戻った今、私は本業は不動産業をしながら(宅建士の資格を取得)、キャリア支援(キャリアコンサルタントの資格を取得)、高校の非常勤講師、子連れMBA、NPOのプロボノ活動と、ポートフォリオワーカーとなった。今は、「人や組織の内側を強くすることに関心があり、自分軸づくりや、人と組織の相互作用に対する理解や経験を深めたい」と言えている。そして、20代のときよりもはるかに充足感を得られている。

20代のとき、自分はこの先、ずーっとこの会社で大した出世もすることなく、誰でもできる仕事を続け、骨をうずめることになるんだろう・・・とお先真っ暗な気分で過ごしていた。
そして30歳の時は、人生の「マイプロジェクト」のようなものをもつ女性たちに、自分には何もないことを突き付けられた。
その時点で、40歳の私の姿は一切想像ができなかった。

今の自分は、ありたい姿を描いて逆算思考で、現時点にたどり着いたわけではない。

キャリアの理論家、ハリィ・ジェラットは「積極的不確実性」という考え方を打ち出し、「未来は存在せず、予測できないものである。それは創造され発明されるのである。合理的なストラテジーは時代遅れなのではなく、もはや効果的でないというだけである」と述べている。
2001年のジェラットの講演会では、不確実性が多いなかで、合理的な意思決定も必要ではあるが
・左脳ばかり使うのではなく、右脳も使う意思決定
・夢見ることを大切にする意思決定

の重要性を示している。

またジョンクランボルツは「計画的偶発性理論」のなかで、「未決定」が望ましい状態と考え、予想外の出来事をチャンスに変えるうえで、
①好奇心  ②持続性  ③柔軟性  ④楽観性  ⑤冒険心 といった姿勢が重要であると述べている。

20代のときの私は会社が描くキャリアステップに乗ることが重要で、管理職、さらにはその先の役員(役員までは到底行けないだろうと早々に諦めていたけれど・・・)という姿を描いて逆算しなければならないと思っていた。だからこそ、優秀な人たちのなかで、20代で既に自分の未来が見えていたようで辛かった。
しかし、30代、予測不能な自分の人生をクリエイトしていくことの面白さを知った。ジェラットやクランボルツの理論を実践することで、こんなにも日々の捉え方が変わるとは。

さて、自分の40代、きっと体調の変化や、家族の介護、子どもの受験・・・いろんなライフイベントは起きるのだろう。それに対して、ある程度の備えは必要なのかもしれない。けれど、あえて、自分の未来は想像しない。一つひとつのライフイベントをその時の自分がどう捉えて、どうアクションを起こすのか。10年後、50代を迎える私がどんな風に毎日を、人生を捉えているのかを楽しみにしながら、この10年間を過ごしてみる。


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