【読書記録】ダイアローグ〜対立から共生へ、議論から対話へ〜
外出自粛の日々が続く中で、どうすればこの期間を有意義に過ごすことができるだろうか…?
前回、読書録として紹介した『リーダーシップとニューサイエンス』を読み終え、まとめ終えた時、今までなかなか手を出していなかった『対話』『組織論』『ファシリテーション』といった分野の古典や名著と呼ばれる本を一冊ずつ読み終え、記録していこう!
そんな風に思いつき、仲間に何か気になる本、ある?と尋ねてみたら出てきたものが、この『ダイアローグ〜対立から共生へ、議論から対話へ〜』でした。
物理学者であり、哲学的な思索を進めた著作を多数出版しているデヴィッド・ボーム(David Bohm)のこの著作は、私自身、20代の頃に読み進めようとして何度も挫折した一冊です。今回は、心機一転、気持ちを新たにこの本をまとめてみようと思います。
この本を一言で表すとしたら?
思い切って一言でこの本をまとめるとすれば…
著者デヴィッド・ボームによる、物理学的な研究成果から見えてきた視点を元に、世界を取り巻く問題に取り組む1つの方法として対話(ダイアローグ)およびコミュニケーションについて論じた実践的な思想書です。
前回の読書録、『リーダーシップとニューサイエンス』でも述べましたが、20世紀初頭以降、物理学をはじめとする科学技術の領域では、絶対と信じられてきた既存のデカルト=ニュートン科学の理論では理解できない実験結果、研究結果が続出し、新たな科学理論の構築と世界観の見直し(パラダイムシフト)が起こっていました。(詳細は以下の当該記事を参照ください)
その中でボームもまた、世界のあり方を「レーザー光線」とそれを用いた「ホログラフィー(立体映像)」に喩えて説明する、「内臓秩序(Implicate Order)」「顕前秩序(Explicate Order)」と言う考え方を提出する等で、デカルト=ニュートン的な考え方をはっきりと否定する態度を示しました。
そして、今回読み進めた『ダイアローグ〜対立から共生へ、議論から対話へ〜』は、これらボームの物理学での探求から、新しい世界観や人々のあり方について思索を進め、コミュニケーションやダイアローグをテーマにした講演録や論文をまとめた一冊となります。
ダイアローグとは何か?
ダイアローグにおいて、人と人、人と集団、人と社会においては何が起こっているのか?
こういった問いに対し、物理学者的な視点からの洞察を紹介してくれている一冊です。
本書は、ボームが亡くなった1992年から4年後に初版が出版され、2004年には『学習する組織(Learning Organizations)』著者であるピーター・センゲ氏の序文を加えて再版されたものです。(邦訳出版は2007年)
90年代までの著者の見解が現在の状況とそぐわない点、今にも共通して問いかけ続けている点等あるかもしれませんが、可能な限り丁寧に紐解いていければと思います。
言葉の定義:ダイアローグの探求の準備として
ボームは本書において、普段何気なく使っている言葉に対して、その語源が意味するものを問うています。また、物理学用語でもある専門語を多義的に用いている場面があるため、はじめにそれらに触れておく必要があるかもしれません。
以上のような意味で、ボームはコミュニケーションおよび、ダイアローグを捉えています。
また、物理学用語にも使われるコヒーレンス(coherence)、およびインコヒーレンス(incoherence)という表現が本書中は頻出するのですが、各種引用もしつつ、以下のような意味で活用されています。
上記を踏まえて、ダイアローグとは何かを改めて探求を深めていきたいと思います。
ダイアローグとは何か?
ここで一度、本書を読了して中で読み取れた、ダイアローグの定義といったものを思い切ってまとめてみようと思います。
先述したボームのダイアローグの定義、および、世界を見つめる上でのアイデアであるコヒーレンス(一貫性)/インコヒーレンス(一貫性のないこと)の考え方、および本文中の記述等を踏まえると、ダイアローグとは、以下のように表現できるかもしれません。
また、こう言い換えることもできるかもしれません。
では、このようなダイアローグを求めている世界とは、どんな姿をしているのでしょうか?著者には、どのように世界が見えていたのでしょうか?
なぜ、世界はダイアローグを求めているのか?
まず、ダイアローグがなぜ今の世界で求められつつあるのか、各小論の執筆や講演を行っていた当時、著者がどんな風に世界を捉えていたのか、著者自身の言葉で語ってもらうことが、探求の始まりにふさわしいように思います。
これが、著者に見えていた世界の姿です。
では次に、私たち一人ひとりが構成している社会を、著者はどう見ていたのでしょうか?
以上までが、著者による世界および社会の問題意識であり、ダイアローグの可能性を述べた記述です。
先述したように、著者は世界や社会の様相について、コヒーレント/インコヒーレントという、物理学的・一般的な多義的な意味で用いながら説明しています。そして、ダイアローグはインコヒーレントな状況に陥っている世界、社会、人々における意味を共有し、コヒーレントな状態に導く可能性があることを示しています。
では、どうして世界、社会、人々はインコヒーレントな状態に陥ってしまうのでしょうか?
インコヒーレンスをもたらす思考(Thought)
先述したように、ボームは地球上の様々な問題の根源は、対話が的確にできていない状況、「意味の共有(shared meanings)」ができていないこと=インコヒーレントな状態にあると主張しています。
また、社会を一つにするためには「意味の共有」が不可欠になるのですが、そのためには私たちの普段の思考(Thought)を生み出す「暗黙の領域(tacit ground)」の根本的な変化が必要になってくると、合わせて主張しています。
ここでは、私たち一人ひとりの思考が生み出す様々なインコヒーレンスに、どんなものがあるかを取り上げていきたいと思います。
①対象・事実の認識における、思考の構造的なインコヒーレンス
私たちは、一人ひとりが事実を認識していると考えています。しかし、ボーム によれば、人は3つのプロセスを経て、初めて事実を事実として認識します。
1、対象を認識するための関心・興味が暗黙の領域の思考により作られる
2、対象を認識する
3、認識した対象が思考を元に解釈され、事実とする
この3つのプロセスを経る段階で、同じ対象を複数の人が見た時、全く別々の解釈を元に事実として受け取られることは容易に想像されることです。
そもそも、対象を認識するための関心、興味と言うレンズすらも思考から形作られるため、人によっては全く認識されない事物も存在します。
この、対象を認識する時点で既に、人々の間でのインコヒーレンス(意味の一貫性のなさ)は始まっているのです。
また、思考と言う用語の使い方から、ボーム自身は思考を多義的に…意見、想定、知識、価値観といった様々な意味合いを含めた用語として活用していることも見て取れます。
②科学技術の発展・要素還元主義が人々にもたらしたインコヒーレンス
世界、社会、人の思考をインコヒーレントに陥らせてしまう要素の1つとして、ボームはいわゆる要素還元主義的なパラダイム…デカルト=ニュートン科学が生み出した価値観・パラダイムがもたらした物事を「断片化(fragmentation)」する思考傾向について、言及しています。
他方、20世紀初頭以降の科学技術の発展に伴う世界観・パラダイム転換により、上記のような「断片化」した物事の捉え方だけでは、十分に理解することはできないという見方も生まれてきています。
③自己の認識・自身の思考への無自覚さが生み出すインコヒーレンス
ダイアローグを行う際には、様々な背景と思考(意見・想定・価値観)を持つ人々が参加することが考えられます。そうなった際、相手と自分の意見の対立が生じることもありますが、それらはいくつかの要素が自己の認識・自身の思考への無自覚さによって生み出されていることがあります。以下、二点を見ていきたいと思います。
1、自身と意見(思考・想定・価値観)との同一化について
意見の対立により葛藤が生まれたり、自分の意見に固執し、守ろうとする姿勢は、どこから生まれてくるのでしょうか?
ボームによれば、それは意見と自分との同一視する想定から生まれてきます。
また、人が意見を守ろうとしている際には多大な暴力性(権力、激怒、憎悪、恐怖心によって生まれる)が秘められており、自己防衛的な態度を撮り続ける限り、ダイアローグによって生み出される意味には限界が生じる(=インコヒーレントな状態に止まってしまう)、と説明しています。
2、自身の持つ思考と感情の関わりについて
次に、思考と感情との関係はどのように捉えるべきでしょうか?
ここでボームの言う文化は、人と人との結びつきと、意味の共有によって生まれたものを指しています。また、人を誤った方向へ導く文化とは、意味の共有が十分ではないインコヒーレントなものであることも、これまでのボーム自身の記述から明らかになっています。
④不適当な課題設定を行うことにより生じるインコヒーレンス
ここまで、
①では、思考の構造
②では、科学技術のパラダイムによって影響された思考
③では、自身と思考の関わり
といった様々な形で、インコヒーレンスが生み出されることを見てきました。
最後、思考のもたらすインコヒーレンスについて、この④で取り上げるのは、私たちの目の前に横たわる困難な出来事、困難な事実を、「問題」と設定することによってインコヒーレンスが生じる危険性についてです。
では、私たちが何気なく使っている「問題」という言葉について、ボームはどう捉えているのでしょうか。
ここで言われていることは、ロナルド・ハイフェッツの提唱した技術的問題(technical problem)と適応課題(adaptive challenge)の特徴に対応しています。
技術的問題(technical problem)とは、既存の方法で解決できる問題、適応課題(adaptive challenge)とは、既存の方法で一方的に解決できない複雑で困難な問題のことを指します。
心理的な問題、人間関係に関わる困難な出来事に対しては、「問題」と設定して一方的な「解決」を目指すのではなく、「逆説(パラドックス)」と設定して、その不条理や矛盾を「解消」していくことをボームは薦めています。
心理的、人間関係的な困難さに対して、技術的課題に対するような一方向的な解決策を求めるアプローチでは、うまくいかない場合が多いというのです。
なぜなら、心理的な葛藤や人間関係においては、喉が渇いたので水を飲む、というような直線的な解決をする場合が少なく、複数の立場や意見・価値観が並立し、それらの葛藤や対立にどのように対応していくか?というようなアプローチが求められるためです。
ある意見・立場・考え方を一方的に排斥・排除するという一方向的なアプローチでは、よりその「問題」の構造を強化してしまい、混乱は高まり続け、成長し、インコヒーレントは増幅されていってしまうためです。
『他者と働く』著者であり経営学者である宇田川元一氏もまた、同じく適応課題へのアプローチに関して、「対話」が有効なアプローチであると述べています。
では、ボームが提唱するダイアローグを進める上で、「意味の共有」をコヒーレントなものにしていくためには、どのような方法や考え方があるのでしょうか?
ダイアローグを促進するコヒーレンスへの道
ここまで世界、社会、人々の内面という様々な場面において「意味の共有」を妨げ、むしろ問題を強化・増幅させてしまうインコヒーレントなプロセスについて探求してきました。
このインコヒーレントなプロセスは、いずれも私たち一人ひとりの思考において発生します。では、この思考をインコヒーレントではなくコヒーレントなプロセスへ導くためには、何が必要になるのでしょうか。
ボームは、私たち一人ひとりの物事の捉え方、感じるものについてより深い気づきを得て、意識していくこと(=自己受容感覚または覚識)、そして、その感覚を持った上で「参加する(participate)」ことが必要として、ダイアローグのプロセスにおいて私たちの内面で渦巻く意味の混乱を冷静に見つめる行為、方法について紹介しています。
以下、三点が特に本書中で取り上げられています。
①保留(suspension)する
②鋭敏さ(sensitivity)を呼び起こす
③観察(observe)の性質を知る
以上、①②③のような意識と五感の働きや、思考の動きについての気づきを以て、自身の一貫性を得ていく働きを、ボームは自己受容感覚(proprioception)ないし、覚識(アウェアネス:awareness)とボームは呼んでいます。
自己受容感覚や覚識は、より一般的な表現だと自己認識、自己知覚、自覚といったものが近いかもしれません。
④分かち合う/参加する
そして、最後。この自己受容感覚ないし覚識を高めた上で、対話に「参加」すること。これが、この読書録の最後に紹介するコヒーレントへの鍵です。
まとめ
以上、デヴィッド・ボームの『ダイアローグ〜対立から共生へ』を読み解くことで、世界、社会、人々、そして一人ひとりの内面においても、暗黙の領域から生まれてくる思考がインコヒーレンス…すなわち、意図や意味が混乱し、問題解決のための行動がむしろ問題を複雑化させたり、増大させているプロセスを見てきました。
そして、私たち一人ひとりの内面のコヒーレンス…意図や意味が共有され、行動に至るまでに一貫性を持つ状態を取り戻していくことの重要性を追ってきました。
以上を踏まえると、
ダイアローグとは、異なる背景・思考を持つ人と人が出会い、コミュニケーションする中で、意味を共有するプロセスに参加し、新たな意味の獲得と、そこから生まれる新たな思考・行動を手にしていく営み
という風に捉えることができるかもしれません。
私はこの読書録のはじめに、二通りのダイアローグの定義を無理やりまとめてみようとしました。
ここまでお付き合いいただいた読み手である皆さんには、少しでもボームの言わんとする世界観と、その世界観から生まれてきたダイアローグというものを感じていただくことができたでしょうか。
デヴィッド・ボームの推奨するダイアローグの進め方
最後、ボームが実施する中で大事にしていたり、想定しているダイアローグの原則、グランドルールを紹介しておきたいと思います。
①対話のグループ立ち上げの前に、まず「対話そのもの」について探求する
②参加人数は、20〜40人程度を想定。ある組織ないし社会の「縮図」を作る
③輪になって座る
④リーダーを置かず、何の議題・目的も設定しない
⑤進行役の役割は、最終的に自身がグループに不要になるよう促進すること
⑥参加者にとって自由でオープンな空のスペースを設けること
⑦意味が共有され新しい行動が生まれる準備ができた時、グループは終わる
⑧あえて目標を置くとすれば、コヒーレントなコミュニケーションをする事
まとめ終えてみての所感
どうして自分がかつてこの本を読むときに挫折したのか、ようやくその意味がわかりました。
この本で語られていることは、ダイアローグに限らず、デヴィッド・ボームの世界の見方…それも、地球規模から国家、社会、集団、個人の内面に至るまで複数のレイヤーについて言及しているため、その言わんとしている意図を拾い上げ、まとめるということに相当エネルギーを要することが、今回のまとめでよくわかりました。
ただ、物理学者出身のボームの、レーザー光線の喩えから、人々の間で交わされているコミュニケーション、ダイアローグがコヒーレントかインコヒーレントか、という新たな視点を得ることができたことは、大きな収穫でした。
対話をテーマに書かれている書籍は、本書が英語で初めて出版された90年代とは比べ物にならないくらい増えていますが、ボームが構想したように社会はコヒーレントになったのかと問われれば、とてもそうは思えません。今なお、必要とされ続けている考え方のように思えます。
だからこそ、かつての自分はこの本を手に取り、今、読み終えたんだなぁ、と感じます。
「意味が共有」され、対話に参加した一人ひとりの可能性が高まり、願いや祈りが実現されていく世界をめざして、ダイアローグ(対話)に関する探求をまた続けていきたいと思います。
関連書籍〜次なる探求の種として〜
マルティン・ブーバー『我と汝・対話』
マルティン・ブーバー著の対話および、人と人の関係性に関する古典。現在、論文を書いている友人に貸し出し中の一冊。
アダム・カヘン『それでも、対話をはじめよう―対立する人たちと共に問題に取り組み、 未来をつくりだす方法』
ロイヤル・ダッチ・シェル社のシナリオ・プランナー(当時)だったアダム・カヘン氏による書籍。はじめ、お互いの様子を探り合うような形式的・表面的なコミュニケーションから、場そのものから新しいアイデアや感覚が生まれてくる生成的な対話に至るプロセスについても紹介されている。かつて、相棒に紹介された思い入れのある一冊。
宇田川 元一『他者と働く─「わかりあえなさ」から始める組織論』
本文中でも紹介した、2019年出版というごく最近出版された一冊。かつて父から継いだ会社の事業再生に取り組んだ経営学者である著者の、平易な文章でありながら、メッセージも強く、学びになる一冊。
J. クリシュナムルティ 『時間の終焉: J・クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集』
著者デヴィッド・ボームは、生前はアインシュタインとの共同研究を行ったこともあったが、哲学的思索にも精力的に取り組み、インドの哲学者であり教育者でもあるクリシュナムルティとの交流や対話を重ねていた。その対話集である一冊。
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