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【読書記録】前編:世界で一番親切なまちとあなたの参考文献〜人見知りで世間知らずな俺がまちづくりを始めて20年が経ったんだが

今回の読書記録は、私の友人であり、まちづくり活動において先輩にあたる谷亮治さんの『世界で一番親切なまちとあなたの参考文献〜人見知りで世間知らずな俺がまちづくりを始めて20年が経ったんだが』です。

やや文字数が増えてしまったため、こちらは前編の記事となります。

谷さんの著作はこれまでの書籍を含めて三冊あり、これらを今の私の立場から読み解こう、という思いつきからまとめ始めました。

一冊目は、『モテるまちづくり:まちづくりに疲れた人へ。 (まち飯叢書)』

二冊目は、『純粋でポップな限界のまちづくり: モテるまちづくり2 (まち飯叢書)

今回扱う『世界で一番親切なまちとあなたの参考文献〜人見知りで世間知らずな俺がまちづくりを始めて20年が経ったんだが』は、その三冊目の書籍です。(前編・後編を合わせた完全版は以下のリンクからどうぞ)

いずれも、著者のこだわりとセンスを感じるタイトルです。


著者・谷亮治さんと私について

今回の三冊の著者である谷亮治さんは、1980年大阪生まれ。大学時代から住民参加のまちづくりの実践と研究に携わり始め、その後大学院へ。大学院での研究の傍らまちづくりNPO法人の事務局に務めて現場経験を積まれ、現在は社会学博士として、京都市まちづくりアドバイザーとして、あるいは専門社会調査士として、その他大学講師や作家としても活動されています。

まちづくりと聞いて思い浮かぶイメージに、「コミュ力が高くて、人間が好きで、お祭りやイベント大好き!ワッショイ!な、イケイケな人が集ってワイワイやっている取り組み」というのもあるかもしれませんが、まちづくりに出会った当初の谷青年はいわゆる「ぼっち」タイプだったそうです。(イケイケでキラキラしたまちづくりのイメージは、studio-Lの山崎亮さんが現れたり、『ソーシャル〇〇』『シェア〇〇』といった用語がトレンドとして頻出するようになってからのイメージとも言えるのかもしれません。)

そんな「ぼっち」タイプの谷青年は、大学のゼミ活動でプレ山崎亮時代のまちづくり活動に関わり始めます。

まちづくりとは、自分だけではなくまちという広い社会のために、金銭的に儲かることが約束されたわけでもなく、称賛されるかもわからない活動です。それにも関わらず、多くの場合ボランティアとして取り組まれている地域の諸先輩方の姿に感動したことが、その後の進路のきっかけでもあったようで、その後も谷青年は現場に携わり続け、そこで得た学びを書籍や論文にまとめることで、今に繋がっているとのことです。

私が彼と初めて出会ったのは、当時住んでいた大阪から京都へ引越しする前後くらいの頃です。彼は『モテるまちづくり』を書き上げたばかりで、白衣姿にゆるいパーマ、眼鏡、眼鏡の奥の笑っていない目に、頬に張り付いた笑顔という風貌で、マッドサイエンティストを名乗りながら連続講座をされていました。元ぼっち青年は、サブカル系まちづくりお兄さんに進化していたようです。

変な人だなぁ……と素直に受け取りつつ、その連続講座の教本になっていた『モテるまちづくり』が本当に面白かった。これは面白い!と書いた私の投稿等をきっかけに、「私も読んでみたい!」「どこに問い合わせれば良い?」といった問い合わせがやってきて、本の紹介・仲介等をしたのも良い思い出です。

その後、私は本格的に京都に移り住み、NPO法人場とつながりラボhome's viのメンバーとして京都市伏見区のまちづくり事業に関わることになるのですが、そこでまたご縁があり、京都市まちづくりアドバイザーの谷亮治さんと再会したのでした。


現在でも、彼が書籍やnoteで時折放り込むまどマギネタ、ジョジョネタ、その他サブカルネタにクスリとさせられつつ、勉強させてもらい、なんだかんだ仕事以外の場でも付かず離れずで関係が続いている、ありがたいパイセン的な存在です。

「まちづくり」の定義について

さて、そんな谷さんは「まちづくり」をどのように定義しているのでしょうか?

本書における「まちづくり」とは、「まち(の人なら誰でも使える公共財)づくり」と定義されています。

公共財」とは、「非競合性あるいは非排除性の少なくとも一方を有する財」と定義される経済学由来の用語です。

非競合性とは、ざっくり「資源の奪い合いにならない度合い」を言い、非排除性とは、ざっくり「利用者を選ばない度合い」を意味します。

「まちの人なら誰でも使える財産を創り、育て、しまう営み」……そう言った営みを谷さんは「まちづくり」と呼んでいます。

以上、今回扱う『世界で一番親切なまちとあなたの参考文献〜人見知りで世間知らずな俺がまちづくりを始めて20年が経ったんだが』を読み進める準備が整ってきました。

続いて、本書がまとめられるに至った背景について見ていきましょう。

本書の背景

まず、本書はこれまでの谷さんの書籍とは異なり、連続講座の講義内容を書籍用に取りまとめたものです。

大阪市生涯学習センターが主催した「いちょうカレッジ まちクリエイト!チャレンジコース」という市民向けまちづくり連続講座にて、谷さんは講師として登壇されました。

地域団体のボランティア活動家、町内会の会長、自治体や中間支援団体の職員、福祉事業者、企業のプロジェクトで地域開発に関わる方など、まちづくりを既に実践されていた多様な方々が参加され、彼らとのやりとりの中で育まれた知見もまた本書には盛り込まれていました。

著者である谷さんとしても、この講座の中でご自身がまとめてこられた「まちづくり」に関する考えを体系的に参加者の皆さんへ伝えていくことを意識されていたとのことです。

著者である谷さんとしても、この講座の中でご自身がまとめてこられた「まちづくり」に関する考えを体系的に参加者の皆さんへ伝えていくことを意識されていたとのことです。

ここからは本書の内容へ。そもそも、昨今の私たちが意識する「まちづくり」がどのような経緯で生まれてきたのか、その歴史を歴史を概観していきます。

日本における「まちづくり」の歴史

戦後日本の「まちづくり」の歴史

日本は1945年の敗戦後、急速な復興を遂げました。1950年代には高度経済成長が発生し、産業構造の変化、過密化と過疎化、関係の希薄化が起こり、1960年代には公害病に対する公害反対運動も勃発しました。

このような背景の中、大規模に国や企業が行う「国土開発」に対し、草の根から小規模に住民自らが行う運動を「まちづくり」が生まれました。

1970年代には、革新自治体で運動を背景とする首長、議員が誕生することで環境権などの法制化が進み、目下の目標を失った住民運動は活動が鎮静化することとなります。

また、首長、議員の輩出を遂げたことで、「国家によって上から与えられるものに対する反対運動」から「私たちの地域をどうしていくのか、という計画」へ軸足が移っていきます。

この頃は、行政や建築・建設に関わる専門家、運動家が関わる行政事業、都市計画に、「市民参加」という形で一般の人々が「まちづくり」に取り組む時代でした。

しかし、1995年の阪神大震災以降、潮目が変わります。

多くの有志のボランティア活動家が注目されるようになり、1998年にはNPO法が施行されるなど、ボランティア活動を支える法的基盤が整備されていきました。

2000年代以降は、指定管理者制度の開始、地域おこし協力隊制度の開始、各地の大学ではボランティアセンターが作られ始め、公共事業は参加から協働へというトレンドへ移り変わっていくこととなります。

2011年には東日本大震災の発生、2013年には文科省による大学COC事業(センター・オブ・コミュニティ)が開始され、大学もまた地域連携が促進されるようになりました。

2017年には社会福祉法の改正により、社会福祉法人もまた地域貢献が求められるようになりました。

「"ゆるい"まちづくり」の登場

1990年代以降のまちづくりの潮目の変化によって、従来の専門家、活動家、地域団体のような特殊な技能や専門性も持たない層がまちづくりに参加する門戸が開かれたことで、「まちづくりの一般化」というような状況が起こりました。

ところが、新しいまちづくりの参加者は「どうすればまちづくりがうまくいくのか」という実践・方法に関わる疑問だけではなく、「そもそもまちづくりとは何なのか?」「私たちは何をめざすべきか?」といった、従来のまちづくりでは出ることがなかった疑問を抱えることとなりました。

まちづくりの潮目が参加と協働の時代となった現在、そのような疑問は地域貢献を求められ、CSRの実践を模索する企業、大学、社会福祉法人などでも同様です。

このような「一般化したまちづくり」を従来のしっかりしたまちづくりと区別する形で、「ゆるいまちづくり」と呼ぶ働きも現れてきました。

「ゆるいまちづくり」は、若新雄純さんが鯖江市での取り組みの中で生み出した造語・概念であり、著者によれば2015年頃から広がり始めたそうです。

若新さんは、高校生のような従来のまちづくりからは最も遠い存在を主役として、「ゆるい市民によるゆるいまちづくり」……従来の活動家のように育成するではなく、彼ら彼女ららしくゆるく地域を楽しみながら盛り上げるあり方を示そうとしました。

事実、主催者の想像を遥かに超える独創的な企画や活動も生まれてきたと言います。

「"ゆるい"まちづくり」の評価とこれから

他方、著者はこの「"ゆるい"まちづくり」を取り巻く状況について、大きく2つの懸念を抱いています。

ひとつは、「素人による程度の低い趣味的活動」として、いたずらにそのあり方を貶められてはいないか、という点です。

従来の専門家たちの取り組みから見れば、この潮流は非専門化・素人化に映るかもしれませんが、新しい層の人々がまちづくりに参加し、新たな市場が生まれる可能性が出てきたということでもある、というのです。

もうひとつは、「"ゆるい"まちづくりの再プロ化、再クライアントワーク化への変化」です。

少子高齢化による人口減少は、そのまま税収の減少に直結します。これに伴い、市民活動への公的な投資も減額されていくことが予想される。そうなれば、活動側にも行政側にもまちづくり活動そのものによるマネタイズを求める圧力が強くなっていくことも考えられます。

これまでにも、まちづくりとして華々しい成果を遂げてきた人々や活動の中には、例えば不動産経営、観光プロモーションなどの専門家がまちづくりのプレイヤーとして新たに注目され始めたと言える事例も数多く存在します。

また、東京五輪におけるボランティアへの過剰依存問題も話題となり、活動参加に対する適切な報酬・ボランティアにとっての達成感・満足のバランスの見直しも迫られる状況にあります。

ともすれば、「やりがい搾取」と呼ばれるような状況を生み出してしまうでしょう。

このような中で、「受講生と共に"ゆるい"まちづくりについて考え直したい」という思いも胸に、『世界で一番親切なまちとあなたの参考文献』のもとになる講座が進められたそうです。

「まちづくり」に登場する関係者たち

ここからは、そもそも「まちづくり」にはどんな人が関わっているのかをみてみましょう。

まちづくり」には、人々の暮らしに密着した様々なサービスの提供や役割を担う関係者、ステークホルダーが多数存在します。

地域の特性、歴史等によってプレイヤーのあり方は様々ですが、おおよそどのような属性の人々が関わっているのかを知ることは、新たに活動を始める上でのヒントになるかもしれません。

"ゆるい"まちづくり当事者・プレイヤー

1990年代以降に現れた、有志のまちづくりの活動家たちです。

国土開発、都市計画への市民参加のような専門的な技能や限定的な参加ではなく、活動家一人ひとりが住みやすいまちを描き、趣味的活動のつながりからでも始めていくという新たな潮流の中で現れた人々でもあります。

"ゆるい"まちづくり経験者・支援者

「"ゆるい"まちづくり当事者・プレイヤー」を支援するソフト的なまちづくりのアドバイザー、支援者です。

「一般化したまちづくり」において、「私はこのまちで何がしたいのか?」「このまちがどのような姿であってほしいか?」等、専門家たちによって行われていたまちづくりでは生まれなかった疑問に答え、寄り添って活動を育てていく必要性から生まれてきた新たな専門領域でもあります。

専門家

「ゆるいまちづくり」以前から、そして以後もまちづくりに関わり続けてきた専門家の方々です。

まちに不可欠なインフラストラクチャ整備・維持管理、そのための都市計画といった領域においては欠かせない存在です。

後述の地方自治体、お役所と一部関係者や役割が重複している部分もあります。

地方自治体、お役所

いわゆる「ゆるいまちづくり」の活動家の多くが多かれ少なかれ関係してくる、行政の人々です。お役所の人とは、地方自治体に勤める「職業公務員」のことです。

行政は公的なサービスを安定的、持続的に提供することが求められるため、それを統率する仕組みとして文書主義・前例主義といった行動規範が採用され、時には「お役所仕事」「融通がきかない」と評されることもあります。

公共サービスの提供者という意味で「公務員」を捉えるなら、実は「公務員」の裾野は広く、地域のボランティア活動者も公務員に位置付けることができます。事実、民生委員、消防団、自治会活動等は公共サービスを提供していながら、ボランティア的な立場から関わる市民も多くいます。

日本が社会の営みを維持していく場合、公務員の数は世界的に見ても少なく、その分地域ボランティアにその働きを移管し、維持する必要もありました。一方で、前述の通り現在は少子高齢化が進んでおり、その構造的な限界も見えてきています(もしくは、税金を多く納めるという方法もあり得ます)。

今後、公的なサービスの提供とボランティアの関係のあり方も問い直されてくることでしょう。

町内会

自治会、区、町内会など様々な呼び方のある地域組織です。

いわゆる地域の活動を取りまとめる集会、会といったイメージですが、今日的な町内会の原型は第二次大戦中の翼賛体制において整備されました。

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の地方支部「ブロック」をモデルとしており、当時の日本の唯一政党・大政翼賛会の下部組織であり、エリア独占・全世帯加入の組織のため、擬似的な行政組織としても機能しました。

GHQの占領下において解散させられ、その後、今日的な町内会として復活、あるいは新たに立ち上げられてきました。

いわゆる「官製組織」として始まりましたが、住民による自発的な集会、結社としての役割も期待されるという複雑な立ち位置です。

しかし、地域に住む一人ひとりに公的なサービスや情報を届け、同時に民意を吸い上げるという機能は町内会独自のものであり、戦後のまちづくりにおいても重要な役割を果たしてきました。

人口減少、人々の流動化が進んだ現在では全世帯加入・エリア独占といった特異な役割を担うことが難しい現状もあり、新たに町内会同様の組織を行政のトップダウンで作るには難しい状況でもあります。

地方自治体、お役所と同様、私たち一人ひとりが公共サービスをどのように維持していくのか、について考えるきっかけをくれる存在です。

以上、「まちづくり」の関係者について見てきました。

ここからは、実践編。

いざ、「まちづくり活動をはじめよう」となったときに、どのようにすればうまくいくことができるのかについても探っていきたいと思います。

まずは、より人と人が協力する上で不可欠なところ。普段、意識されない人間関係、明文化されていない集団の力学を意識してみましょう。

(後編に続く)

参考リンク



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