自由律俳句(その7)
〇 2023年7月14日、連日の猛暑が一休みするが、猛暑の時と同様、ひたすら眠い。そして、難解な哲学書を読んだ後は、必ず睡魔が襲ってくるのは、おそらく脳が処理可能な量を越えた情報をインプットされたためだと、妙に納得する。
朝 目が覚めたとき そこが浄土であればといつも願う
我が魂は もうこの身体に飽いている では次はどうするのだ
結局この世で得たものは なんだったのだろう 答えはでない
思い出すのは 悲しいことよりも 自らの悪事ばかりか
私は普通になりたい では普通とはなんだろう 私ではないことか
信も不信も 知も愚も なんにもないことを思い知る
〇 2023年7月19~21日、道東と知床を旅する。
note掲載<旅行記>の前後編。
旅の初めの万世カツサンド 40年前と味は違わないか
突然聞こえる女たちの嬌声に ただ驚くしかない老爺の耳
氷雨か慈雨の出迎えか 釧路の道は寂しい
なぜ剥製たちが こんなにも悲しいのだろう 釧路市博物館
ビール飲むのを疎外されて 味わい複雑となる 勝手丼
流れるカヌーと草を食む鹿 ノロッコ号のレールは軋む
糖路駅舎で飲むコーヒー 熊の話が菓子代わりか
路線バスのアブたちよ 無賃乗車は死罪と知らぬか
大鵬とはなんだったのか 真新しい銅像に尋ねてみる
ぬる湯の大浴場を独占する 天上天下唯我独尊
硫黄がさび付くからんのメッキに 妙な詫び寂びをみる
大食大酒 煩悩煩悩 未だ娑婆暮らしの私
空から星だけが見ている 一人の夜の露天風呂
髭剃り後に湯が染みる 朝の露天風呂の涼気と
無賃乗車のハチ一匹 はやく逃げねば命がないぞ
誰もいない川湯温泉駅で くすんだ案山子が私を見送る
知床の 緑のカーテンに分け入る山道は 長く遠く
鹿肉バーガーは 窓の虫を眺めて食べる
青い空と緑の山とオホーツクの海 その境目に霧が生きている
高架木道の上と 下の笹藪 二つの次元がそこにある
知床の青い湖面が 寡黙に何かを物語る
山の向こうは知床の神 オホーツクの霧は天女が 密やかに棲んでいる
ベンチに佇み 旅行者の姿を眺める 過ぎゆく時間が心地よい
バスから熊を見た 知床の神の使いは私を見ない
ホテルの温泉で足腰を癒す ビールの冷たさよ
オホーツクの一艘の漁船 朝日を背にして進む
網走のビールは 出所後の味を考えて飲んでみる 苦い
私は無罪ですと通り抜ける 網走監獄跡の門衛所
天都山 鷲の翼に 言葉で追いかけてみた
モヨロ貝塚のカッコウは 二千年歌い続けているのだろう
空港で飲む旅の終わりのビール 一杯で終わりか
深夜のタクシー 必死に奪う中年夫婦 先はもっと長いのに
我が家のドアを開けて 次元が変わっているのを知る 旅の終わり
〇 2023年7月28日、二泊三日の旅から一週間経っている。
旅の記憶を整理して七日経った 日常に戻っている
ハエもアブも見ない 東京の街の不思議さよ
〇 2023年8月1日、アクアティクスセンターに高校生が集まっている。
老人ばかりの公園を そのときだけ若くする 夏休みの一日
蝉しぐれ 鳥たちも追い出される 夏の朝
我を急き立てる蝉しぐれ その若さがいつまで続くのか
〇 2023年8月6日、昼前の住宅街。遠くに大きな入道雲が見え、日差しが照り付ける歩道に人は少ない。日傘をさした若い女が小走りで駅に向かう。まるで、キリコの絵のようだ。道路から陽炎が立ち昇る。スーパーで欲しい買い物ができなかった。
人のいない炎天下 蝉さえも鳴りを潜めて
走りゆく人の姿 時間が止まり 私は異次元に
キリコの絵が 切り子になる 夏の午後
老婆占拠して 素麺取れずに蕎麦を買うスーパー
〇 2023年8月23日、残暑の中、実家を訪ねる。指も腰もふくらはぎも、みな痛い。
いたい、いたい、いたい。 だから、それで・・・
逃げられないものから逃げてはいけない しかし立ち向かうこともない
いたみを受け入れ いたみとつきあい いたみを忘れよう
からだのいたみと こころのいたみと どっちがいたい
いたいから生きている いたくないから死んでいる
良くなるのではない 悪くならないだけだから
〇 2023年8月28日、8月最後の月曜。日差しは弱くなり、時折冷たい風が吹く。夏は終わりを迎えている。
朝10時頃、地下鉄に乗ったら、いつもの大勢の外国人観光客の姿が見えない。そればかりか、日本人の家族連れの姿もいない。いつもどおりの、老人ばかりの世界。
その地下鉄の車内で新聞を拡げている老人がいる。図書館で新聞を拡げているのと同じ老人だ。今や新聞を読むのは、定年後の老人という「過去の人」、あるいは「過去の習慣から抜けられない人」だけだ。
若い女が大あくびをしながら優先席に座って、スマホをいじっている。目の前には、杖をつき腰の曲がった老女。若い女の隣に座っていた杖を持っていない別の老女が、杖をついている老女に席を譲った。
背中が曲がっても、人は生きている。きっと内臓が丈夫なのだろう。生きる力の不思議。私は、せめて杖をつかぬように精進したい。
夏の終わりは命のおわり 曲がる背中に問いかける
大あくび その口から命が逃げたと知るのは しばらく先か
新聞を読むときだけ その人は生きているのだろう
スマホより場所を取る新聞読み よう!元部長!
〇2023年8月31日、13年ぶりのスーパーブルームーン。東京の空は薄雲が覆っていたが、それでも満月は輝いて、むしろ幻想的だった。
月を見て 月に見られて 夜風吹く
我が痛み 取ってくれと尋ねる 月の光
焼酎飲むかと聞けば 雲に隠れる月の顔
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