【調査報道】「働きがいのある」グローバル企業は、発達障害者にも働きがいがあるか SDGsブームにも警鐘
2021年7月、あるグローバル企業での「障害者差別と人権侵害」をめぐる大きな裁判が起こった。
その企業とは、2022年2月1日に本社移転と社名変更をした、セールスフォース・ジャパン(旧セールスフォース・ドットコム)。(本社所在地:東京都千代田区丸の内1-1-3 日本生命丸の内ガーデンタワー、代表者:小出伸一社長)(カバー写真が東京・千代田区の本社ビル、Salesforce Tower Tokyo。同社サイトより引用)
セールスフォースといえば、CRM(顧客管理クラウドシステム)で急成長を遂げ、ニューヨーク証券取引所に上場し時価総額は20兆円以上。マーク・ベニオフ会長兼創業者が「ステークホルダー資本主義」にコミットメントし、成長と社会貢献を両立させるサステナブル経営をリードするグローバルな企業だ。日本国内でも、特にSDGs目標8「働きがいも経済成長も」に沿って、「誰もが平等にやりがいを持って働ける環境づくり」を訴求してきた。
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「誰もが平等にやりがいを持って働ける環境づくり」を信じてきた層には、ショッキングな事態ではないか。
「SDGs」が2021ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされたように、日本でもSDGsのブーム的現象が見られる。
そうしたなか、人々はこれをどう考えていけばいいのか。当事者だけでなく、専門家の声も交え、この企業の取り組みの今までとこれからをデータも加えて示しながら、これまで出せなかった詳細をレポートしていく。
「相性が悪かった」という問題ではない
「原告からのご報告」。裁判の概要とスケジュールが掲載されている。
訴状などによると、発達障害を抱えるAさんは、労働契約上の地位確認(雇い止めの無効)、合理的配慮拒否などで受けた精神的苦痛への損害賠償など約1200万円を請求。入社から、上司との関係、困りごとを相談した結果、症状悪化し休職、復職ならず雇い止めに至るまでの状況が、Aさんの思いと併せて、以下のサイトに克明に公開されている(「原告からのご報告」:【注意】著しい差別的言動・暴言・パワーハラスメント等の具体的な記述を含みます。二次障害のある発達障害の方など、フラッシュバックや代理受傷の危険性がある方はご自身の体調に十分留意して閲覧ください)。
【記者会見】原告からのご報告 - 発達障害の女性、大手IT企業を提訴 「合理的配慮を受けられず、雇い止めされた」【注意】十分留意して閲覧ください
Aさんが提訴した日に厚生労働省で開いた記者会見の模様。(原告からのご報告)
自らも発達障害をオープンにする担当弁護士の伊藤克之弁護士(日野アビリティ法律事務所)は、「運悪く相性の悪い上司に当たってしまった、という問題ではない」「Aさんの合理的配慮の求め方に問題があったとはいえず、もっと穏やかにやるべきだった、とも言えない」「ダイバーシティを掲げる同社において、このような事態は到底容認できない」と述べた。
DPI(障害者インターナショナル)日本会議、日本自閉症協会、東京都自閉症協会などの障害者団体が、SNSで傍聴を呼びかけるなど裁判支援に乗り出している。SNSで活動する発達障害当事者インフルエンサーも、「何があったのか検証のために、発達障害コミュニティ全体が裁判に関心を持つように」呼びかけている。
裁判で争うには証拠が必要になる。2月9日に行われた第四回口頭弁論で、Aさんは「パワハラを受けていた時」などと主張する音声データや反訳の証拠品を提出した。
5月19日に東京地裁で第五回口頭弁論が予定されている。次回より裁判官3名による合議体での審議となる。
訴えの内容は主張や証拠が出て審理が進むのを見守るとして、人々はこれをどう考えていけばいいか。
Zoomで解説する佐藤暁子弁護士。
企業の人権デューデリジェンスや精神障害者の人権をテーマに活動し、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ナウ次長も務める佐藤暁子弁護士(ことのは総合法律事務所)に聞いた。
ニュースが伝わった後、インターネット上にはAさんへの批判も少なくない。例えば「企業側の負担も考えるべき」とする意見。
Aさんは、2018年にアクセンチュアが発表したレポート「“Getting to Equal: The Disability Inclusion Advantage”(平等を求めて:障がい者インクルージョンの利益)」を引用し、「障害平等のチャンピオン企業はそれ以外の競合に比べ、収益が28%、営業利益が2倍、収益性が30%それぞれ高い」「障害者の雇用を、負担とするか利益とするかは会社次第」と話す。「工夫次第でうまくいくはず。本当にマイナスばかりなのだろうか」
こうした裁判があると「企業がリスクと捉え、障害者の雇用が控えられてしまうのでは」という意見が出されることもある。そうしたことは実際に起こり得るのだろうか。ある大手人材会社の障害者雇用支援事業責任者に聞いた。
裁判になるケースでは、合理的配慮をめぐり会社の考える認識と障害者の考える認識に溝ができる構図があるという。
類似した別の裁判を起こしたある人は、証人尋問で会社側証人が「本人の望むような配慮はできなかったかもしれないが、できる範囲で配慮していた」と述べたことを語った。「障害者にどんなにひどい対応をして悪化させても、証拠なく『ちゃんと配慮しました』と言えば許されてしまう社会ではいけない」と怒りを表した。
働く障害者への合理的配慮をめぐる判例は数少ない。国立富山高等専門学校の松原義弘教授が、2017年に発表した研究論文「障害者雇用における合理的配慮に関連した裁判例の考察」では、2013年のバス会社における内部障害への勤務配慮をめぐる裁判の判例が示されている。判決では、労働契約において障害を理由とする勤務配慮を行うことが労働条件として黙示的に合意されていたと認めるのが相当とした。合理的配慮も労使による話し合いを重視するが、そこで合意が得られた配慮の内容は労働条件の一部と見るべき、という点がポイントだ。
論文では、以下のように結んでいる。
松井優子氏による、提訴のニュースへの考察も合わせた解説。(障害者雇用ドットコム)
障害者雇用コンサルタントの松井優子氏は、次のように述べた。
「共感して入っただけに残念な思い」
Aさんと同じような時期にセールスフォースに在籍していたBさんが、提訴のニュースを知り、オンライン取材に応じた。
「組織再編があったからといって、入社直後から仕事がない状態は、必要とされていない感じだった」
入社後に組織再編があった影響もあって、仕事量が非常に少ない状態が続いた。1日の勤務時間のうち90%が待機状態だった日もあった。
入社時に提出した書類に基づき、「双極性障害への合理的配慮」として「2週間に1回、上司と面談する」という取り決めがされたことも、マネジメント経験が豊富な上長は部下をたくさん持ち、多忙であったため、面談が実施されない期間があった。
実際の業務の指示・監督はマネジメント経験がないと思われる人で、自身の通常業務に追われており、Bさんへの対応まで手が回っていなかった印象を受けたという。
Bさんは今、同社に訴えたいことをこう語った。
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カルチャー浸透の取り組みは画期的ではあった
セールスフォースは、「信頼」「カスタマーサクセス」「イノベーション」「平等」の4つのコアバリューを持ち、なかでも「平等」を重視していることを発信してきた。(2022年2月にはコアバリューに「サステナビリティ(持続可能性)」が新たに加わることが米国本社から発表された)多数に及ぶ社員のインタビュー記事や登壇イベントを見ると、障害者やその他マイノリティとの関わり方を考えさせるための機会を多く提供するなど、カルチャーを浸透させるための取り組みはかなり行き届いており、代表者以下社員一人一人のカルチャーに対する意識も強いことが伝わってくる。就業時間・製品・株式のそれぞれ1%を社会貢献のために使うという「1-1-1モデル」も周知されている。2022年1月からは一般人にも知名度のある著名人を起用したCMの放映も開始した。
同社がホームページ等で発表する働きやすい環境づくりは、一見至れり尽くせりだ。無意識の偏見やハラスメント防止のための研修プログラム、ハラスメント相談窓口、従業員リソースグループなど。なかでも、男女賃金格差の是正へグローバルで約1000万ドルの予算投入、性的少数者社員向け福利厚生制度として性別適合手術などへの補助導入は画期的ではあった。
セールスフォースの障害者向け採用ウェビナー。(同社サイトをキャプチャー)
障害者の雇用はとりわけ採用後の定着が重要とされる。障害のある社員には、障害者総合支援法に基づいた福祉サービスである就労定着支援機関のスタッフとの日常生活に関しての面談、社内カウンセラーとの仕事に関する面談、産業医・看護師との面談を受けられる体制があることが、2020年11月に公開された採用ウェビナーで説明されている。そのうえ「年収350万~550万円の給与水準や専門職も含めた業務内容を示す」(同社と提携する就労移行支援事業所)。事務補助や軽作業などの業務内容で、年収200万円前後であることが目立つ障害者雇用求人のなかで、「配慮」と「処遇・やりがい」を両立させた、理想的な就職先に見えた。
合理的配慮や定着支援に死角はなかったか
他方で、現場社員の障害者雇用および障害者、特に発達・精神障害者という存在に対する本音、人権尊重や合理的配慮の実践、就労支援機関による定着支援の効果は、実際にはどのようなものだったのか。それは当事者社員に聞いてみなければわからない。
当事者社員・元社員の声を拾っていくと、「障害の有無に限らずひとりの人間として見てくれる。意地悪な人はいない」という声がある一方で、「最初は上司に理解があってうまくいっていたが、途中から交代した上司には精神障害への理解が全くなかった」という声もあった。
Aさん、Bさんは、見た目で理解されにくい精神の障害者だった。2人は就労定着支援を利用していた。Aさんは、自治体派遣のジョブコーチから定着支援を受けていた。Bさんも、入社前に通所していた就労移行支援事業所から定着支援を受けていた。
Aさんは、立場の弱い障害者の側に立った定着支援の改善も求めている。Aさんによれば、ジョブコーチは、上司の発言はハラスメントにはあたらず些細なことだとして、Aさんに我慢するように促したという。Aさんがのちに証拠集めのために、ジョブコーチとの面談や対応の記録を管轄機関に開示請求した時には、会社の個人情報を理由に黒塗りにされた文書が送られてきただけだった。「ジョブコーチは中立の立場と言いながら、実際には会社寄りで、定着支援が入ってうまくいったケースが果たしてあるのか」という印象を受けたという。
一般に、ジョブコーチなどの支援者は会社にアドバイスできる立場にはあっても、強制力はない。90%以上の定着率をアピールする就労移行支援事業所が現れるようになった一方で、支援者によっては質にばらつきがある。支援者が「利用者を雇ってもらう」会社に対して厳しい意見が言いづらい、まして継続を考えているなら尚更だ、ということにもなりがちだ。会社側の協力姿勢も影響しやすく、特に管理部門以外の部門になると定着への協力を得られにくくなる傾向も見られる。
本人も、納得できる条件での就職・転職が困難ななか、会社責任者や支援者にものが言えない、「自分が我慢すれば」と沈黙する構図になりがちだ。
「平等と多様性」発信と、雇用率データの矛盾
筆者は2021年9月に、セールスフォース広報に質問状を送った。そのなかで同社広報は、訴訟に発展した問題やそれを受けての社内外向けの対応について、係争中を理由にコメントせず、回答の結びの言葉で「平等と多様性が私たちをより良い企業にすると信じていますので、私たちはより平等で、包括的で、持続可能で、より良い世界を目指しています」とコメント。
障害者向けに求人を出しての採用活動も継続している。
ここで、セールスフォースがもし、具体的な実績に基づいたデータ、例えば障害者の社員比率、採用数、定着率、正社員登用率などを開示していれば、一層透明性は増すのだが、そうしたデータは開示されていない。一方で、米国本社は障害のある社員の比率を公開対象にしている(2021年発表では障害者社員は3.1%)。
同社日本法人への質問状で、日本法人でも障害者社員の比率を公開する予定があるのかどうかも問いかけたところ、「当社のポリシーにより、国ごとの部門・属性別の人員数については公開していない」(2021年9月同社広報)。
ところで、企業の障害者の雇用率や法定雇用率未達成企業が支払う納付金の支払状況は、情報公開制度の開示対象になる。そこで、東京労働局と独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構に情報開示して取り寄せた資料を元に、同社の13年間の障害者雇用状況を調べた。
すると、法定雇用率は2017年を除いて2009年~2021年まで未達成。納付金は資料が存在した2012年度~2020年度まで、2017年度を除いて年度ごとに160万~485万円を支払っていたことが明らかになった。
さらに2020年には、同社が障害者雇用促進法で義務付けられている障害者雇用状況報告を適切に行っていなかったために、東京労働局が保有する「令和2年東京都内民間企業の障害者雇用状況報告提出企業一覧」にデータが反映されていなかったことが、東京労働局への電話取材でわかった。報告が適切に行われなかった場合には罰則規定がある。
日本では、従業員数43.5人以上の企業には障害者を2.3%(2021年3月以降)の割合で雇用することが法律で義務付けられている。雇用率を満たしていない企業は不足数に応じて納付金を支払うことになっている。納付金は不足数1人当たり月額5万円。
しかし同社では2009年から一貫して、全体の増員に伴い雇用すべき障害者数が増えているにもかかわらず、障害者の採用は追いついておらず、2017年を除いて法定雇用率を下回ってきた。企業規模の推移を見ると、2009年には従業員数205人、2010年には252人、2011年には349人、2012年には443人、2013年には503人、2014年には575人、2015年には699人、2016年には957人、2017年には1109人、2018年には1329人、2019年には1676人、2021年には2946人と、急激なペースで拡大してきた。一方で、障害者の雇用数を見ると、2009年にはゼロで、2010年には2人、2011年にはゼロ、2012年には2人、2013年には4人と一桁が続き、2014年には10人、2015年には8人、2016年には17人、2017年には24人、2018年には前年から横ばいの24人、2019年には34人、2021年には62人だった。
「2012年に本格的に障害者採用をスタートした頃は、会社側も受け入れ準備が不十分だったため、業務内容、配慮すべき事項なども試行錯誤しながら進めていた。障害の特性によって、受け入れ部門がとまどう事も様々あり、相互理解に時間と労力を費やしてしまうことが多くあった。働くことはもとより、健康管理を含む勤怠もままならないケースがあり、自ずと雇用に消極的になってしまうという負のスパイラルに陥った。2018年からは雇用定着で就労移行支援事業所と業務提携するようになった」(同社と提携する就労移行支援事業所が2019年6月に実施した、同社人事へのインタビュー)
Aさん(2018年11月~2020年11月在籍)が入社したのは2018年11月。同社は2019年4月には「2024年までに3500人規模にする」という増員計画を発表した。増員計画には「障害者の採用計画も含まれている」(2021年9月同社広報)。
「セールスフォースでは過去(2018年まで)、バックオフィス中心に小規模な障害者採用をしていたが、2019年2月からは優秀な候補者ありきで職域開拓を行い、パートナーセールス、セールスエンジニア、ファイナンスストラテジー、アカウンティング、UI/UXデザイン、ビジネスストラテジーなどの各部門で、年間で二桁以上採用している」(2021年8月関係者リンクトインプロフィール)
2020年2月にはコロナウイルス拡大の影響により、同社は全社員に在宅勤務を推奨し、4月にはオフィスを閉鎖した(6月にオフィス一部再開)。日本では在宅勤務導入の遅れが問題視されていたなか、同社の判断を「先駆的」と称賛する人々が見られた。一方で、障害者の雇用は「コロナの影響によるオフィスの一部閉鎖とリモートワーク長期化に伴い、今後の新たな障害者雇用の創出を模索する段階」(2020年9月同社広報)になった。この年には雇用状況報告が東京労働局に適切に提出されなかった問題があった。また、Aさんが「うつ病による休職後に復職を目指していたが、感染リスクのあるなかで満員電車での通勤訓練を強要された」ことや、「退職勧奨され雇い止めされた」と主張している時期でもある。
2020年9月30日には障害者のリモートワーク可能な求人が公開されたことが、関係者のツイッターで判明している。2021年以降は、東京のみならず全国を募集対象としたリモートワーク可能な求人の公開も始めた。
2021年6月時点では従業員数2946人に対して障害者の雇用数は62人で、実雇用率は2.1%と未達状態だった。前年(2020年)の全国平均実雇用率(2.15%)を下回り、不足数は5人以上で、この状態では厚生労働省の指導である「雇入れ計画」の対象となる基準にあたる。雇入れ計画の対象となった場合、達成できなければ「企業名公表」のリスクが高まる。
2021年7月の提訴のニュースが採用や雇用状況に影響したかどうかは不明。2021年には、「採用は昨対比大幅増だった」(2022年1月関係者ツイッター)。国内で障害者のリモートワーク化が十分に浸透していないなか、リモートワークを希望する求職者層を取り込んだとみられる。
その後、雇用率を達成したかどうかは明らかではない。今後、2024年までに3500人規模になれば、法定雇用率2.3%で計算すると障害者を少なくとも80人雇用しなければならないことになり、雇用率引き上げがあれば採用ノルマはさらに増えるとみられる。
それにしてもこれまで「平等と多様性」を発信しながら、障害者雇用では国で定められた基準を満たしていなかったり、行政への報告が適切に行われていなかったりしたのは、一体何故だろうか。
2020年に雇用状況報告が適切に提出されなかった理由について、同社広報に質問状で説明を求めたが、回答は得られなかった。適切に報告されていれば雇用数は何人だったか、明らかにはならなかったが、2020年度には納付金355万円を支払った記録があり、雇用率は未達状態だったことが伺えた。
国の責務は…
東京労働局職業対策課は筆者の質問状に対し、セールスフォースにどのような指導や措置を行ったかは「会社の個別事案につき回答できない」とし、2020年の雇用状況報告が適切に行われていなかった問題で罰則が課されたかどうか、2021年の報告を受けて2022年から雇入れ計画の対象となったかどうかは明らかにしなかったうえで、「増員計画をすれば雇用すべき障害者数が増えるので、今後も注視していく必要がある」と回答した。
同課の地方障害者雇用担当官はまた、「雇用状況報告がされていなければハローワークは雇入れ計画作成命令を出す根拠になる数字を把握できず、達成指導が入るかどうかの判断ができない」とも述べた。報告未提出企業には督促状を出すなどして対処しているという。2020年にはコロナの影響で、厚労省は報告の提出期限を延長する措置を取った。企業が在宅勤務に切り替えるなか、ハローワークの企業への指導にも支障が出ているという。
厚労省は雇用率達成指導を厳格化し、不足数の多さが目立つ企業に改善を求める雇入れ計画を課している。雇入れ計画の対象となった企業の代表者に対し、厚労省本省で直接指導を行う場合もある。達成できなければ厚労省サイトで企業名公表という措置を取っている。令和3年度には6社が公表された。
障害者雇用促進法が「共生社会を目指す」という立法趣旨に反して、「雇用率達成ありきの制度」と受け取られている現実がある。
一般に、多くの企業では雇入れ計画の対象となりうる状態になると採用が積極的になる傾向にあるが、決まった時期までに雇用することありきとなり、社内の理解が不十分なまま採用を進めることにもなりがちだ。理解が不十分なまま採用を進めれば、短期離職につながるリスクも高まる。
セールスフォースでは、Aさんが入社する直前の頃、2018年6月1日時点でも、従業員数1329人に対して障害者の雇用数は24人で、実雇用率は1.81%と未達状態だった。前年(2017年)の全国平均実雇用率(1.97%)を下回り、不足数は5人以上で、雇入れ計画の対象となる基準に該当していた。つまり「企業名公表リスク」が迫っていることが否定できない状態だった。ただこの年の8月には、省庁の障害者雇用率不適切計上問題、いわゆる「水増し問題」が発覚。それを受けて、民間企業への影響が考慮され、令和元年度においては厚労省により特例的に「行政措置」の猶予が実施された。
同社では2009年以来、雇入れ計画の対象になるか否かという状態が続いてきた。これまでの直近2年間でAさん、Bさん、Cさんの少なくとも3人の半年~2年という期間での契約満了が判明しており、うちAさん・Cさんは不本意な契約満了だった。そして2021年7月にAさんの提訴があった。それでも、採用を進めていかなければならない現実はある。
社会全体で「障害者の雇用を増やすのが責務」とはいっても、それは「安心安全な職場環境や適正な仕事の内容・量が担保された雇用を増やす」というのが前提だ。
国は、企業の実態を十分に精査せずに雇用率を達成すればいいとするのではなく、企業の上層部や現場で働く社員の意識改革や負担軽減、職場環境改善にリソースを充てられたり、雇用に積極的な企業へのインセンティブが働くような制度設計を一層充実させるべきではないか。
現行の納付金制度や各種助成金制度は、インセンティブとして機能しているとは言い難い。一般に、従業員規模別での障害者雇用率は大企業で大きく、中小企業で小さい。中小・ベンチャー企業で障害者の雇用が進まないのは、雇用は無理せず最小限にとどめ不足数は納付金の支払いで対処しておく方が経営上で理にかなっていると考えられている可能性があり、大企業で雇用が積極化しているのは、雇用して受け取れる各種助成金や雇用率を達成した企業が受け取れる調整金よりも「企業名公表」という不名誉が「罰則」として効果を発揮してプレッシャーとなっている可能性がある、という見方もある。
またセールスフォースのようなSaaS(Software as a Service)ビジネスが含まれる情報・通信業は他業種に比べて障害者雇用に困難を抱えており、厚労省による令和3年の障害者雇用状況の集計結果によると、実雇用率は1.80%(全業種では2.20%)、雇用率達成企業の割合は26.3%(全業種では47.0%)にとどまっている。
セールスフォースがベンチャー規模だった2009年~2018年には障害者の雇用が進まず、従業員数1500人以上に達し増員計画が発表された2019年以降に雇用が積極化した。経営課題において、障害者の平等はどのように位置付けられてきたのか、疑問がある。
2019年12月にはマーク・ベニオフ氏が、世界経済フォーラム・ダボス会議で立ち上げられた、障害者の雇用などを経営課題として扱う国際運動「The Valuable 500(ザ・バリュアブル・ファイブハンドレッド)」に同社が加盟すると宣言した。同社は2021年5月には、加盟するグローバル企業500社(日本企業50社含む)のなかから「13の象徴的リーダー」の1社になった。同社は経営課題として「全社的に障害者社員比率を増やす(We will grow representation of people with disabilities throughout the Salesforce ecosystem.)」を設定し、トップダウンで取り組むことをコミットメントしたのだが。
SDGsウォッシュにならない、人的資本の情報開示を
Zoomで解説する、日本マネジメント総合研究所の戸村智憲氏。
元国連専門官として「国連グローバルコンパクト(UNGC)」広報等にも携わり、現在はダイバーシティ経営やSDGsをめぐる問題、不祥事対策において企業を指導する、日本マネジメント総合研究所の戸村智憲氏に聞いた。
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いま大企業を中心に、自社事業をSDGsと結びつけてイメージアップを目指す取り組みが行われている。
しかしそれとともに、企業がアピールする内容に実態との矛盾がないかも問われている。取り組み自体は事実だが不十分さやマイナス面が目立つ、ある取り組みで実績を出している反面で人権・労働問題を引き起こしている、などで意図していなくても「SDGsウォッシュではないか」と指摘される場合がある。
海外では、SDGs実現のための手段としてESG投資が活発化し、投資家や民間団体が経営陣や規制当局に対して情報開示を求める姿勢を強めていることから、企業の人的資本の情報開示が先行している。セールスフォースでも米国本社は、女性・非白人・性的少数者等に加えて、障害のある社員の比率を公開対象にしている。
日本法人が、2021年12月に企業の多様性への取り組みを表彰する制度で、障害者雇用も評価項目に含まれる「D&Iアワード2021」(JobRainbow主催)に応募して最上位の「ベストワークプレイス」認定されたことをアピール、これまでにもアピール材料にしてきた「働きがいのある会社ランキング」の2022年版で、上位(Openwork主催のランキングで4位、Great Place to Work主催のランキングで1位)を例年通りアピールし、積極的に発信するのを見て、不穏な予感が大きくなっている。D&Iアワードの評価システムには雇用率に関する質問項目がなく、また主催者に問い合わせたところ、差別で訴えられても1年以上先の判決を待って事実確認して判断するとのことなので、雇用率未達成でも訴訟問題を抱えていても高評価を取ることが可能。「働きがいのある会社」調査では、同社の場合、回答している社員はランダムに抽出したとしても98%が健常者社員であること、マイノリティの声を調査結果に反映させることが難しいという現実も痛感した。社内に違和感を持つ人はいないのだろうか、あるいはいたとしてそれで何か変わる環境なのだろうか。
「働きがいのある会社」は、障害者、特に発達・精神障害者にも働きがいがあるか。具体的な社員比率、採用数、定着率、正社員登用率、人権を守る体制、苦情処理メカニズムなどの開示があれば、説得力は増すはずだ。そして自信を持って開示し説明できる体制を作るように、自社の置かれている状況を認識することが望まれる。
長期間にわたって法定雇用率を上回って雇用し、それで完璧とすることなく、発達・精神障害含め多様な障害特性・職種で雇用してきた企業は他にもある。まだ少数だが、雇用率を有価証券報告書に記載したり、定着率や正社員登用率を採用活動で説明する例はある。
とりわけ発達・精神障害者には高い潜在能力や専門技術を持ちながら、同調圧力的な職場環境への適応が難しいために、埋もれている人材となっているケースが多い。こうした人材を活用するニューロダイバーシティの重要性を、野村総合研究所が2021年にまとめた(「デジタル社会における発達障害人材のさらなる活躍機会とその経済的インパクト 」)。
障害の有無に限らず、カルチャーを愛する人々のためにも、真摯に向き合っていくことではないだろうか。
華やかな広告よりも、具体的なデータを。
後記
提訴の記者会見(2021年7月20日)では主要新聞数社と弁護士ドットコムが出席していたが、デルタ株感染拡大するなか東京五輪開幕直前という時期であったことも関係してか、弁護士ドットコム以外で主要新聞社の報道は皆無だった。
そして判決という「お墨付き」が得られるまで、「いやでも被告側(多くは係争中を持ち出し取材を受けない)の言い分を聞かないとわからないから」「両論併記すべきだから」などと理由をつけて「障害者の労働問題は難しい、わからない」と思考停止する姿勢が日本のメディア全体にあるのなら、大変残念なことである。世界的に「平等と多様性」「ビジネスで社会変革」を謳う有名企業で絶望的な人権侵害を訴える裁判が起きているというのに、この国のダイバーシティの現状が示されているようだ。
誰も取り上げなかったら、人々はいつ気付くのだろうか。
そうしたなか、「聴覚障害児の逸失利益を考える裁判」(大阪地裁で係争中)という、これまた「難しい、わからない」と言われる領域の問題が、NHKのドキュメンタリーやクローズアップ現代のイシューになっているのを見た。判決のタイミングを待たずしてメディアが取り上げたことで、事故死した障害者が逸失利益を低く算定されたりゼロとされたりしてきた現実が社会に知られるようになり、問題意識が喚起されることになった。障害者雇用の賃金が低く定着も難しいことで副次的に起きている問題で、こちらの調査報道とも地続きの関係にあることで注目している。番組をよく見ていくと、従来の裁判報道のように双方の言い分を伝えて両論併記することを最重要点としていない。被告側に取材したが回答を得られなかった旨も示しているが。まだ係争中で判決が出ていないうちから遺族一方の言い分だけで「逸失利益を低く算定するのは差別だ」と断定するかのような伝え方は避けつつ、過去の判例、専門家の意見を入れるなどして、考える材料を提供するように伝えている。
これをメディアが、判決を待って結果を伝えるというスタンスだったら、全く違った展開になっていたのではと思う。
それをモデルケースにして、社会的イシューにしていく記事にすることを目指した。
障害者問題の裁判を取材していると、障害者は何か行動を起こすことで、相手側から「逆恨みからくるリベンジ行為」と受け取られることや、周囲から支持されず、心ない言葉を浴びせられることを気にしている様子も見受けられることがある。彼らがそれを気にしなければならないようにさせているのは何か、ということにも目を向けていくべきではないかと思った。
実際に、裁判という手段に出た障害者は、インターネット上で以下のような言葉を浴びせられたという。
「⼥のくせに会社を訴えるなんて、けしからん」
「お情けで雇ってもらっている障害者が⼝答えするなんて⽣意気だ」
「うちの会社なら即クビ」
「⾃分の部署にも発達障害の社員がいたが、使えないやつで困った」
みなさんの周りでも、何かあるとこうした言葉にあるような考えが出てくることはないだろうか。「いやそれは極端な人だ、自分やうちの職場は違う」と言い切れるのだろうか。
2018年の精神障害者の雇用義務化を背景に、発達・精神障害者に門戸を開く動きは始まったばかりだ。負担やリスクを恐れて発達・精神障害者の直接雇用を控え、不足数は納付金の支払いで対処する方向に巻き戻すのではなく、職場環境や処遇が担保された雇用をいかに増やすか、SDGsのあり方についても、解決に向けての建設的な社会的議論を進めるきっかけとしたい。
これを考えることは、私たちがどういう社会で生きていきたいか、どういう社会を理想の社会として作っていくか、そこがぶれないようにしていくことそのものだと思う。
※3月8日、第五回口頭弁論の日程変更に伴い、修正しました。
※3月14日、第二報を執筆しました。
※3月17日、PDF版をダウンロードできるようにしました。
※3月31日、「省庁の障害者雇用率不適切計上問題を受けての厚労省の特別措置」に関する記述を修正しました。「2019年から雇入れ計画の対象となった民間事業所はなかった」としていましたが、厚労省の発表資料に基づき、「民間企業への影響が考慮され、令和元年度においては厚労省により特例的に『行政措置』の猶予が実施された」としました。
※4月4日、障害者雇用状況の表を修正しました。
筆者・長谷ゆう D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)ライター
生まれ育った神戸市内の大学に在学中に、広汎性発達障害(こだわりの強さなど)の診断を受ける。東京都内で官庁での調査業務、外資系通信社での経済ニュース翻訳記者を経て、フリーランスで取材・執筆・翻訳。発達障害や障害者雇用の知見を活かし調査報道を行う。ビジネスSNS・リンクトインで「2020年版トップボイス・最も人を惹きつけるクリエイター10人」に選ばれた。13年間東京で活動し、コロナ後のリモートワーク化が進んだことを機に2021年6月に神戸に戻って過ごすようになる。
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