見出し画像

上田豪さんに名刺デザインをお願いしたら、人生を全肯定できた話。

タイトルと矛盾するが、いま自分のズボラをとても情けなく思っている。
上田豪さんに名刺を作ってもらったことをnoteにアップしようと思っていたら、書いている途中で、私より後に作ってもらった坂上薫さんがnoteを先に公開された。薫さん、やること早っ。

ちなみに坂上薫さんとは、昨年11月の稲田万里さん著『全部を賭けない恋がはじまれば』のイベントをご一緒させていただいてからのご縁だ。

名刺の話の前に、人にはどうでもいいことで恐縮だが、私は昨年からアカウント名を「タカハシ ユカンチ」に変えた。
ツイッターを始めた当初、私はコピーライターやライターの仕事をしていて、投稿者(いわゆるツイ主)への取材もあったため、本名の「菅原裕佳子」としていた。
けれども取材の仕事が一段落すると、私はアカウント名を本名かつ漢字の菅原裕佳子にしていることに居心地の悪さを感じはじめた。それで、カタカナで「スガワラユカコ」にしてみたが、それでもしっくり来ず、旧姓の高橋を入れて「スガワラユカコ(タカハシ)」としてみたり、はたまた、タカハシを先頭に「タカハシユカコ(スガワラ)」に変えたり、コロコロと改名していた。
なんとなく、夫側の姓である菅原(あるいはスガワラ)が入っていることに抵抗を感じていた(男性で、けしからん!と思った方がいたらごめんなさい)。
仕事でもなく、また、学校みたいに子どもの親としてでもない、ひとりの個の自分として生きていられるツイッターという自由な空間ぐらいでは、旧姓の「タカハシ」を入れたいという思いがあった。
自分でもなぜそんなにこだわるのか、以前はよくわからなかった。単純に独身時代の名字が好きだから?それもある。選択的夫婦別姓に賛成だから?まあ、それも多少あるかな。
でもいちばん大きいのは、一昨年、父が亡くなってから「自分が父と母の間に生まれた子ども」ということが、自分にとって最も大切にしたいアイデンティティなんだ、と気づいたせいだと思う。
そして旧姓の高橋=タカハシこそが、アイデンティティの象徴なんだ、と認識するようになった。
アイデンティティという言葉を辞書で調べると「自分という存在の独自性についての自覚」(新明解国語辞典 第七版)とある。ちょっとだけ何言ってるのかわからない気がするが、とにかく自分が自分であることの、ほかにはない自分らしさについて認めること、みたいなことなんじゃないかと思う(もっと何言ってるかわかんなくなってる気がするが…)。

また、下の名前の「ユカンチ」にも、「ユカコ」から変えた理由がある。ユカンチは、世の中で私の父だけが呼んでいたあだ名だ。でも、父は亡くなった。私はこの世で私をユカンチと呼んでくれる人がいなくなったことに気づいた。そして自分がユカンチという呼び名を案外好きだったことにも。

そこで私は思いついた。だったら誰かにユカンチと呼んでもらえるようにすればいいじゃないか。
これはリアルの友だちの間ではちょっと実現しにくい。リアルの世界では幼馴染みや学生時代からの友だちもいる。私のあだ名は完全に定着しており、いきなり「こういう訳で、今後はユカンチでよろしく」というのは無理がある。
そういう意味でツイッターでアカウント名を気軽に変えられたのはよかったし、また、それに気づいてさっそく私をユカンチと呼んでくれた方がいたことも、とてもうれしい出来事だった。

自分の意識にも変化があった。
ツイートの内容そのものは大して変わらないのだが、自分がタカハシユカンチとして発言していることが心地よく、うれしい。それは、父と母の遺伝子を半分ずつもらってできた私の頭で考えられた言葉なんだと実感する感情だった。ツイートがポジティブだろうとネガティブだろうと何の意味もなかろうと、私のあらゆる思考や発言が、父と母の遺伝子がベースになって生まれている。大げさかもしれないが、私のキャラクターを、アイデンティティを、タカハシユカンチの名が背負っているんだと思った。

こんな風に考えるようになったのは、父の死が強く影響しているのは明白だ。父が生きていたら、自分が父と母の遺伝子をもらってよかった、なんてしみじみ思うようなことは多分なかっただろう、というよりありえない。私の顔や体形は昔から父に似ているとよく言われており、それを嫌悪していた自分が、父の遺伝子をもらってよかったなんて思うはずがない。人間、変われば変わるものだ。
もっと言えば、もしかしたら私はいま、父のおもかげ、あるいは残像みたいなものを、自分のなかに見つけようとしているのかもしれないとも思う。それはそれで、いいじゃないか。
ツイッターやnoteのなかでは、タカハシユカンチとして生きていく。それは、自分の心の拠り所みたいな、ありのままの自分でいられるような、いまはない、生まれ育った実家の座敷で寝転んでいるような、そんな安堵を伴った意志なんだと思う。

*****

前置きが長くなりました。
さて、今年5月、私は晴れてひろのぶと株式会社の株主になることができた。
昨年わずか27分で完売してしまった株式が、1年越しでマッチングにより取得できたのだった。5月末には株主総会と株主ミーティングが控えていた。
そのダイジェストがこちら。いまこれだけを観ても、ワクワクして感動がよみがえる。

そうなんだ。自分も株主総会・株主ミーティングに行くと決まって、それで初めて思いついたのだ、新しい名刺を作ろう、と。理由は簡単で、いまの自分を表す名刺を持っていなかったからだ。
私は2年ほど前までコピーライターやライターをしていたが、いまはそれらの仕事から離れてしまったので、当時の肩書の入った名刺はもう使えない。

フリーランス時代の名刺は活版印刷。気に入っていたけど、少しカタいかも…?

また、現在は転職して広告やライティングとはまったく接点のない学童保育で補助支援員として働いているが、まだ学童関係の資格をもっているわけではないので肩書はない。
けれども、株主総会では名刺交換がある、と前回の株主総会レポートで知った私は、どなたかに名刺をいただいたときに、「名刺なくて、すみません」とお茶を濁すことを繰り返すのはなんとなく落ち着かないし、それ以上に、名刺をくださった方にとっては、そのときはご挨拶できたとしてもその後、私についての記憶が残らないかもしれず、せっかくの機会なのにもったいないと思った。それでいっそのこと、肩書はなくても、名前だけの名刺がほしいな、と思った。
私が株主に正式になれたのは5月10日すぎだった。株主総会まであまり時間がない。となると、名刺の発注先として真っ先に思いつくのは、近年すっかりメジャーになったプリン〇パックなどの格安印刷会社だ。スピーディーに、しかも驚くほどリーズナブルに、人様に見せても恥ずかしくないクオリティの印刷物が完成する。名刺もテンプレートが豊富に用意され、ネットで選んで注文すれば、数日後には納品される。株主総会に余裕で間に合う。
よし、それでいこう。
とは、思わなかった。
私は思いきって、あの方に名刺デザインをご相談することにした。そう、それが、乗り過ごし業界(?)で知らない人はいない、また、ひろのぶと株式会社のロゴや新聞広告をはじめさまざまなツール類、さらには稲田万理さん著『全部を賭けない恋がはじまれば』の広告やグッズ、田所敦嗣さん著『スローシャッター』の装丁や広告などのデザインも手がけられている、アートディレクターでグラフィックデザイナーの上田豪さんだ。
いまにして思うと、なんて無謀な思いつきだったのだろう。
しかしながら、上田さんにはお会いしたこともない私だったが、奇遇にも少しだけご縁があった。というのは、数年前に私が携わっていたクライアントの担当者の方が、上田さんが経営していた会社の元社員だったと伺っていたのだ。なので一方的に、ちょっとだけ身近に感じていた。
ただ、そのクライアントに私が関わっていたことを上田さんがご存じかはわからないし、そもそもお会いしたこともないので、上田さんにとっては私はただの(一応)相互フォローの人のひとりに過ぎない。
が、勇気を振り絞って、ダメ元でDMでご相談したところ、なんとご快諾いただけた。
そして上田さんにデザインをお願いしたことで、私は自分だけでは見つけることが到底できない考えに至ることになる。

名刺をデザインしていただくにあたり、上田さんからのご提案で打ち合わせの場を設けていただけることになった。
まずそこに驚いた。相手が企業ならともかく、たった1人の個人の名刺デザインでわざわざ打ち合わせに出向いてくれるデザイナーは、一体どのぐらいいるのだろう。
デザイナーにとってはメールとか電話、せいぜいzoomで「どんな感じの名刺にしたいか」をやりとりすれば、一般的には事足りる話ではないだろうか。入れる要素(名前、メールアドレスなど)は何か。縦位置か横位置か。紙や書体はどんなのがいいか。何色をベースにしたいか。あとは任せてください。そんな感じじゃないだろうか。
なのでこの時点で、偉そうな言い方になってしまうがデザインに対する上田さんの一切手を抜かない姿勢、依頼主(恐れ多くも今回私が依頼主なのだな、これが…)へのまっすぐな誠実さを感じたし、どんな相手であっても態度を変えない方なのだなと、心が震えるような感動を覚えた。そして途端に緊張してきた。
何しろ一か八かのお願いだったから、その先のことなんて何も考えていなかった。その辺り、もうちょっと予測できてもいいんじゃないか私。
感激と緊張と興奮が入り混じるなかで、それならと、私は必要かどうかもわからないが、私についてほぼ何も知らない上田さんにお渡しするための自己紹介シートを用意した。

就職氷河期とはいえ、大学卒業後は3年も就職浪人して出版社や事務などのバイトを転々としていたこと。宣伝会議のコピーライター養成講座からの紹介で、コピーライターの永澤仁さんの事務所に飛び込んだが、1~2年はほとんど使い物にならなかったこと。それでもものすごい忙しさと2人きりの事務所の人間関係の濃さゆえ、4年ちょっとしかいなかったのに10年ぐらいに感じていること。同僚がほしくなって転職したこと。
出産を機に当時いた会社を退職したが、体調不良で長いこと専業主婦をしていたこと。フリーランスとして復帰してからは子育て系サイトや子ども向け雑誌の仕事を通じて、「子ども時代の過ごし方がいかに大切か」を思い知ったこと。
また、体調不良の頃は心療内科の先生や保健師さん、子ども館のスタッフさんなど、さまざまな方たちに支えられて幼児期の子育てを乗り越えてきたこと。
それらの経験から、今度は自分が子育てをする親御さんを支え、子どもの成長のお手伝いをしたいと思い、学童保育に転職したこと。学童では子どもたちがのびのびと過ごす姿を見ることが無上の喜びであり、いま自分の天職だと感じていること…。

とまあ、およそ順調だったとはいえず、そして何の一貫性もない行き当たりばったりの人生ながら、これらの内容をA4用紙2枚にしたため、打ち合わせ直前にDMでお送りした。

打ち合わせの席で、上田さんのコメントは意外だった。
「学童の仕事が天職って書いてあったけど、そうだろうなって思ったよ。結局、“コミュニケーション”なんだよね」
予想もしなかった言葉。どうして「そうだろうなって思った」のだろう?
でもその言葉は、私を一瞬で肯定してくれたような気がした。
これまで自分がコピーライターから学童に転職したことに、自分のなかでは理由がちゃんとあったし、転職してほんとうによかったと思っている。
家から自転車で学童に向かうとき、私はいつもウキウキしながらペダルをこいでいる。こんな仕事は初めてだ。
けれども、自分で選択し、人生でいちばん楽しく充実した気持ちで働けているにもかかわらず、「コピーライターから、異業種の学童に転職したこと」には、少しだけ違和感を感じている。
というより、「人から違和感を感じられているんじゃないか」という不安みたいなものがあった。広告制作をしていたのに、保育の仕事の経験がないのに、なぜ?と思われるんじゃないか、とか。結局広告が嫌になったからやめただけなんでしょ?と思われるんじゃないか、とか。
要するに私は、他人からの見られ方を気にしていた。見栄を張りたいわけだ(そもそも他人はそこまであんたに関心ないから。とツッコミを入れたい)。
けれども上田さんは、自然なことのように頷いてくれた。そのうれしさったらない。広告に携わる人が、私の異業種への転職を是としてくれたのだ。

さらに、「コミュニケーションなんだよね」という言葉を上田さんから聞いて、一言で本質を突かれた気がした。そうか。広告も学童も、根っこは同じなのか。
広告は、コミュニケーション戦略とも言われる。商品やサービスや企業を、それを必要とする人や企業に結びつけたり、多くの人に関心をもってもらったりすることが仕事だ。
その効果を最大限にするためにどんなアプローチをしたらよいか、つまりどういうコミュニケーションの手段(コピー、ビジュアル、媒体など)を選んだら相手に届くか、響くのかを考える。
一方学童は、働く保護者に代わって家庭の役割を担う。放課後、あるいは夏休みなどの長期休暇に子どもを預かり、保護者のお迎えまでの時間を一緒に過ごす。学童は「家の代わり」という考え方であり、子どもが安心して、自分らしく主体的に過ごせる場であることを目指している。
学校から学童に来た子は「ただいまー」と言って部屋に入ってくる。私たち大人は「おかえりー」「おかえりなさい」と返す。それが「家の代わり」を表す象徴だと思う。
学童には、いろんな子がいる。話し好きな子、やんちゃな子。勉強好きな子、ちょっと苦手な子。お絵描きが上手な子もいるし、サッカーが得意な子もいる。1人の時間がほしい子もいれば、寂しがり屋な子もいる。
集団にありながら、個性の違うひとりひとりの子に対してそれぞれがリラックスして過ごせるような声かけや対応(一緒に遊んだり、宿題を見たり、話を聞いたり、ときにはそっとしておく)をするのが、日々の学童で最も重要なことではないかと、個人的には思っている。どんな言葉をかければ、その子は穏やかな気持ちでいられるのか。どんなケアをすれば、その子は居心地がよいのか。そこに日々、心を砕いている。
上田さんに「コミュニケーションなんだよね」と言われるまで、学童の仕事がコミュニケーションという土台の上にあるという当たり前のことに気づかなかった。コミュニケーションという言葉で、広告と学童が手をつないだように思えた。自分がコピーライターから学童に転職したことは、言葉や伝えたい思いを届ける対象が変わっただけのことなんだな、と思った。
上田さんとの打ち合わせで、これらに気づかせてもらえたことが、自分に自信をもたらした。名刺デザインの打ち合わせなのに、何かを相談したわけでもないのに、自分が元気づけられていた。

翌日。さっそく上田さんから、名刺のデザイン案が届いた。それも複数ある。誰にでも思い浮かぶデザインはひとつもなかった。それでいて、奇をてらっているわけでもなく、どの案も打ち合わせでお伝えした要望をわかっていただけている。これを1案に絞るのか。
自分がコピーライター時代はクライアントに複数案提出して、1案に絞られ、ほかの案は当然捨てられていたわけだが、今回初めて自分が「1案に絞る側」になってみて、それがどんなに心苦しいことかを痛感した。なぜなら、いちばん好きなのを決めたら、その時点で2番目に好きなのも、3番目に好きなのも、全部ナシになってしまうのだ。選ぶって難しいし、選ぶ側、選ばれる側どちらにとっても残酷なことだったんだな。
自分がコピーライター時代に捨てられて世に出なかった案に対する執着よりも、今回自分が上田さんの案を1つに絞ることでほかの案が消えてしまう申し訳なさ、残念な気持ちのほうが、大きかった。
1日迷った末、最終的に私はこれに決めた。それは上田さんのイチオシでもあった。

オレンジ色の「カ」には、明るさ、温かさ、パッションの意味が込められているのだそう。

名字と名前がクロスオーバーしている名刺なんて、いままで一度も見たことがない。インパクトは絶大だし、オレンジ色が効いていて、パーッと明るい気分になる。名刺から、すぐに会話が弾みそうだ。それに「タカハシ」からでも「ユカンチ」からでも読めるところもいいな、と思った。
この案に決めたことを上田さんにお伝えしたところ、このような返信が届いた。

「明るい印象の人(子供を導く人)」
「面白そうな人(元コピーライター)」
というのは表現したいと思いました。

それと(中略)タカハシというアイデンティティと、
ユカンチという呼称への想い。(お父様への想い)

それを「カ」をクロスオーバーさせることで
あたらしい生きるチカラ(カ=漢字の力に見える)を表現できればと考えました。

これはもう、名刺をこえてロゴの考え方だ、と思った。ロゴには、企業や商品のコンセプトや目指す方向性、メッセージなどが詰まっている。
この名刺デザインには、父と母への想いも、私がコピーライターだったことも、学童の仕事が楽しいことも、すべて盛り込まれている。いわば「全部のせ」だ。こんな贅沢なことってあるだろうか。
それに、明るいオレンジ色の「カ」によって、私が快活な人のように見える。それもうれしい。なぜか私は「おっとりしてるよね」とか「おとなしいよね」と言われることが多く、内心、苦痛だった。
実際は「おい、お前ら!いい加減にしろ」と息子らを叱ったり、嫌なことがあると「ちくしょう、あいつ、なめやがって」などと毒を吐いたりすることもあるのはここだけの話としても、おっとりとかおとなしいとは正反対の人間で、おっとりに見えるのは、ただ話すのが遅いからなんです。
また、ツイッターではちょいちょい落ちこんだり愚痴をこぼしたりもするが、せめて初対面の人に名刺を渡すときぐらいは、明るくて楽しそうな人に見られたいものだ。

上田さんのこだわりがこんなにも細部にまでわたっているとは、いい意味で期待を大きく裏切られた。
そういえば、思い出した。母が、もし私が男だったら、名前を「力(ちから)」にしようと思っていた、と話していたことを。
上田さんは、母の遠い昔の想いまでも、テレパシーのように掬い取ってくれたのだろうか…? それが偶然だとしても、「力(チカラ)」のこもった名刺を見ているだけで、フツフツとパワーがみなぎってきた。
これで堂々と、ひろのぶと株式会社の株主総会に臨める。会いたかった人たちに、名刺をお渡しできる。

株主総会当日。私は意気揚々と、六本木・東京ミッドタウンの会場に向かった。
会場に着くと、入ってすぐのところに上田さんがいらした。まずは刷り上がりを見てほしい。色味や全体の仕上がりがイメージ通りか、確認してほしかった。名刺が納品されたのは印刷会社から直接、私あてだったので、上田さんはまだ実物を見ていないのだ。
私は上田さんに改めて今回のデザインのお礼をお伝えしてから、「刷り上がり、見ますか?」と、名刺をお渡しした。緊張のあまり(何しろお会いするのはまだ二度目だ)、そのときのやりとりをはっきり覚えていないが、「いいねえ!」「はい、すごくいいです!」と言い合った気がする。上田さんの目は虹がふたつ並んだように半円を描いていて、とてもうれしそうに見えた。それで私もなんだかほっとしたのだった。
同時に私は、上田さんと私でひとつの印刷物の仕上がりについて話し合っているという夢のようなことが起きていることに、また感動してきた。こんな展開、1分前まで想像してなかった。人生、ほんとうに何が起きるかわからない。
その日は名刺をお渡しした方たちから「素敵な名刺ですね」「どうしたんですか?これ」と、名刺に注目していただけた。上田豪さんにデザインしていただいたんですと答えると、誰もが驚いた。それはそうだよね、まさかただのフォロワーが、名刺デザインをお願いするなんてね…。自分でもまだ信じられない思いだった。

上田さんがデザインしてくださった名刺のおかげで、私は自分の山あり谷ありな人生がまるごと肯定されたような気持ちになれた。コピーライターやライターをやめても誇りを持ってていいし、学童の仕事が大好きなことも、もちろん胸を張っていい。
そして自分がタカハシでありユカンチであるという、父と母への想いを含んだ愛着は、いっそう強固になった。
このデザインが発するイメージを、また誰かが受け取ってくれる。これがタカハシユカンチさんなんだねと思ってもらえる。そのとき私は、いままでの名刺交換ではできなかった、心からの笑顔になれてるんじゃないかなと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?