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人間に想像力があるから、片想いが成立するのかもしれない。

「好きって何?」

高校生の時、友人が言ったそれをふと思い出した。


中学生の頃は「〇〇くん、あんたのこと好きらしいよ!」で、「両想い(はーと)」となって、どぎまぎして、終わり。そんな恋が溢れていた。

高校生になると、周りがちゃんと「付き合う」という状態に突入し始めて、話す内容ももう少し深くなった。

デートの時の服が…。一緒に帰った時に公園で…。彼氏と喧嘩して…。

「好き」と「好き」で「両想い(はーと)」という、単純な噂話では終わらない。

誰かが誰かのメールアドレスを聞いたらしい。誰かが誰かと一緒に帰ってたらしい。誰かのメールアドレスには本人以外のイニシャルと誕生日らしき数字が入ってるらしい。誰かがメールアドレスを変えたから別れたのかもしれない。誰かが誰かを花火大会に誘ったらしい。誰かと誰かのプリクラが出回ってる。

などなど。

好きな人の噂話を仕入れては憤慨する。それでも好きな人に優しくされて、そこから何かを想像して歓喜する。彼氏の噂話に困惑する。それでも彼氏のことが好きと発狂する。日々の会話はそんな話題ばかりだった。

そんな中で、ポンと出てきた初めての「好きって何?」という言葉。

友人の「彼氏があまり積極的に遊ぼうとしてくれない」というトピックで生まれたものだったと思う。

「もぉ、好きって何?付き合うって何?」と、ぷりぷりする高校時代の友人の顔は何故か今でもはっきりと思い出せる。

こういう場合の女子のそれに、答えはいらない。

この現象は男子にはあまり理解できないらしい。大人になった今でも思う。(私の周りの)男性はすぐに答えを出そうとする。

「好きって何?付き合うって何?」

「ほんとそれ!好きって何なんだろうねぇー」

これでいい。終了。これを何度か繰り返す場合も有り。

それなのに(私の周りの)男性はこの問いに、辞書の文言や精神科学の論文、哲学的観点での推測やどこぞの偉い人の言葉、そんなものを引っ張り出して答えを叩きつけようとしてきたり

「結局、何って言って欲しいの?」

と、言ってきたりで、空気がピリつく。

そんな個人的経験談はさて置き、恋愛トークにおいてこの「○○って何」シリーズは様々なバリエーションで登場する。

好きって何?

付き合うって何?

彼氏って何?

結婚って何?

夫婦って何?

など。

この言葉が出てくる時、100%に近い確率で怒っている。

怒っているという事は、幸せな心ではないということになる。

それなのに、このシリーズは「両想い」の相手が存在している、幸せであるはずの状態で発生するのがほとんどな気がする。

その「両想い」の状態というのはどの時点なのか。

①あの人のことが好き→×
②相手もどうやら自分を好きらしい→〇
③なんとなくお互いそれを知っていて付き合ってはいない→〇
④付き合う→〇
⑤喧嘩する→〇
⑥結婚を意識する→〇
⑦婚約→〇
⑧結婚→〇

ほとんどそれだった。

こうしてみると、ひとつの恋愛の中では両想いである状態が大半を占めていて、片想いの状態はほんの少ししかないらしい。

その片想いの状態で「○○って何?」シリーズがあまり出てこないのは何故だろう。

片想いというのはそれ以外の状態とは何か少し違う、異様な存在である気がする。

一番幸せではない状態であるにもかかわらず、後になってみると一番楽しかったようにも思える。

自分の気持ちが一方通行で、何も返ってくることがないというのに、何故好きと言い続けられるのだろう。

自分の勤める会社が自分のことを何も考えてくれていなくて、働いた分の給料もくれなかったら、いくらその会社が好きでも働いていられない。


気が遠くなるほど昔のことを思い出してみる。

まるで希望のない恋をした時、私は何を考えていたのか。

違う人と仲良く話していたり、違う人との噂を聞いたり。それなのにどうやって片想いである状態を続けたのだろう。

若くてエネルギーに満ち溢れていた。というのは置いておくとすると…

やはり、妄想しかない気がする。

噂はただの噂で、本当は私のことを好きでいてくれてるかもしれない。

という、なんともポジティブな妄想。

目が合ったのは、私を見てくれているからかもしれない。

という、都合の良い妄想。

デートに行くとしたら、あそこに行って、ここに行って…

という、完全な妄想。

想像力というものが私の片想いを支えていたらしい。


アイドルや芸能人を好きになるのもこれに似ている気がする。

好きな芸能人がもし自分の目の前に現れたら。

もしこのセリフを自分に言ってくれてるとしたら。

もしお近づきになれたら。

今もしかして目が合った…?

そんな妄想をしてみたりして、夢に出てくることだってある。


となると、全ての片想いは、想像力で成り立っているのかもしれない。

想像力で成り立っているから、片想いが一番楽しく思えるのかもしれない。

一番楽しいから、片想い中に「好きって何?」という疑問があまり出てこないのかもしれない。


ただ、片想いが悪い方向に終わるとき、世界が終わるのかしらと思う程に絶望する。

しかしながら、想像力というのは強い。

ラブソングや失恋ソングに自分を当て嵌める想像力があるから、また次の片想いに取り掛かることができる。


BGM:グレープフルーツ/LOST IN TIME

今日もすきだぞー!


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