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忘れるのを防ぐためのノート

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気持ちがおかしくなりつつあるとき,宇多田ヒカルの曲を聴いている。前兆,前兆。あぶない,あぶない。

腰の椎間板ヘルニアの痛みがでるときは必ず,仕事が恐ろしく溜まっているときだ。溜まっていく仕事に耐え切れなくなっている。そして,完全に動けなくなる。痛みで仕事ができていない。痛みに逃げているとも言える。本当に恐ろしい痛みだが。それほど,心は苦しんでいるのかもしれない。

苦しい時に苦しい記憶が想起されやすいのは,過去の経験から学ぶよう,そう私たちの心が作られているからではないか。

何か起こりそうだ。ヘルニアになりそうだ。アキレス腱を切りそうだ。そういう思いがすこしでも脳裏に浮かぶときは用心用心。ほっとくと必ず起きる。だから,ケアを忘れない。いつも身体は私たちにメッセージを送ってくれている。もっと素直に。

心配していることは,たぶん,起きない。

とても怖いことに気づいた。感動したことを教えてと言われて,何も思い浮かばなかった。こわー。こんな人生,怖過ぎる。感動したことがないのは,一生懸命頑張ったことがないからなんだろうな。おし!一生懸命,がんばりたい。きちんと生きたい。

こっちから見た真実と,向こうから見た真実がちがっている。悲しい世界を生きる人と,幸せな世界を生きるひとがいる。ひととひとはわかりあえない。だから,対話という行為が生まれて,今もある。

私は足に痛みを感じています。この言い方が正しいとすると,私と私の感じているこの感覚は別物です。私は悲しく思っています。この言い方が正しいとすると,私と私の抱いている感情は別物です。そして,私は世界についてこう考えます。この考え方が正しいとすると,私と考えの総体とは別物となります。

これからのひとびと

これからのひとびと

泣くよ鶯平安京。719年か。ほっとけごみ屋さん。538年。仏教伝来。そんなひとつひとつの知識は昔から意味がなかった。多くの知識があつまってひとつのまとまりになって,それを一言で言うとなんなの?そんな洞察力が必要だった。

世界の新しい見方を発見して,それをてこにして,世界を変えていく力が必要だという。けれども,それを言っているひと。それができているのか。新しい取り組みには,いつでも反発がある。それ

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こんなふうに死にたい 斎藤一

こんなふうに死にたい 斎藤一

斎藤一,藤田五郎こんなふうに死にたいというモデルがある。斎藤一。新撰組最後の剣客。明治では藤田五郎と名乗った。

他の本でも同様の最後の姿がもうすこし詳しく描かれている。それによると,斎藤一は,坐禅を組みながら最後を迎えると言い,家族に抱えられながら座敷に向かう。痰がでるので,それを家族にとってもらいながら,坐禅を組み,そして,息を引き取る。

僕はこういうふうに死にたい。何に憧れるか?

喉が痰

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この世は理不尽すぎて,だから,昔から人は地獄があればいいなと思ったにちがいない。この世の春を謳歌する悪人。この世では裁かれない。せめて,地獄があったらいいなと昔のひとは思ったのだろう。でも,地獄はたぶんない。