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舞台 「最高の家出」 観劇レビュー 2024/02/17


写真引用元:ロロ 公式X(旧Twitter)


写真引用元:ロロ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「最高の家出」
劇場:紀伊國屋ホール
劇団・企画:パルコ・プロデュース2024
作・演出:三浦直之
出演:高城れに、祷キララ、東島京、板橋駿谷、亀島一徳、篠崎大悟、島田桃子、重岡漠、尾上寛之
公演期間:2/4〜2/24(東京)、3/6(高知)、3/9(大阪)、3/14(香川)、3/20(宮城)、3/23(福岡)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:劇中劇、ラブストーリー、音楽、舞台美術
個人満足度:★★★☆☆☆☆☆☆☆


映画『サマーフィルムにのって』など、演劇だけでなく映像方面でも活躍している劇団「ロロ」を主宰する三浦直之さんが作演出を務める新作公演を観劇。
三浦さんは今作で初めてパルコ・プロデュースで作演出を担当することになり、主演に「ももいろクローバーZ」の高城れにさんを起用しての商業公演となっている。
商業公演とはいえど、作演出が三浦さんなので劇団「ロロ」の作風は残しつつの公演になるだろうと思っていて、そんな小劇場の作風がどのように今回の座組で上演されるのかを楽しみながら観劇することにした。
劇団「ロロ」の公演は、『四角い2つのさみしい窓』(2020年2月)、『Every Body feat.フランケンシュタイン』(2021年10月)、『ロマンティック・コメディ』(2022年4月)、『BGM』(2023年5月)と4度観劇しており、劇団公演以外で三浦さん演出の舞台もKERA CROSS『SLAPSTICKS』(2022年2月)も観劇している。

今作は、高城れにさん演じる立花箒が、夫の向田淡路(尾上寛之)との結婚生活から家出する物語である。
家出した箒がテントの中で眠っていると、藤沢港(東島京)という男と出会う。
港は、近くにスタッフ募集をしている劇場があることだけを告げて立ち去ってしまう。
箒はその劇場に辿り着いてみると、そこではたった一人の観客のために模造街を作って一つの演劇を上演していた。
その演劇には、珠子という女性を演じる蒔時アハハ(祷キララ)がおり、その相手となる静男役を募集していた。
箒は静男役を務めることになるのだが、演劇をやったことがない箒は台詞が全部棒読みでアハハには嫌気が刺されて...というもの。

心がじんわりと温かくなる反面、失われてしまったものに思いを馳せて感傷的にさせてくれる三浦さんの脚本の持ち味が、パルコ・プロデュースということで商業演劇化されてどうなるかと思っていたが、結論役者の演技や演出が全体的に三浦さんの戯曲の良さを薄らいでいるように感じてのめり込めなかった。

特に前半パートは、箒の台詞が全部棒読みという設定もあって、なかなか無駄な間が多くてテンポの悪さが目立ってしまっていた。
また、稽古不足?と思ってしまうくらい役者同士の掛け合いが噛み合っていないようにも感じて、中盤に尾上寛之さん演じる淡路が勢いよく登場したことでやや緩和された部分もあったが、それまでの尺も長かったので物語に没入しにくかった。
また演出面に関しても、今作は商業公演というのもあって割と台詞中に流れる音楽を多用して盛り上げようとするものが多かったが、そのベタな演出が逆に三浦さんの脚本の良さをかき消してしまっているように感じて勿体なかった。
三浦さんのノスタルジーある脚本は、ベタに演出するというよりは、小劇場で役者が観客と近い環境でじんわりと漂わせるくらいのアンニュイな演出の方が向いているのだなと改めて感じた。

脚本自体はとても三浦さんらしさが詰まっていて、特に後半と終盤のメッセージ性は好きだった。
劇中劇と演劇上の現実世界が混在していくメタ構造は、演劇にはありがちな設定だけれど、それを活かすことによって演劇の魅力を存分に観客に伝えようとする姿勢にも感じられて好きだった。
普段観劇慣れしていない方からすると、このメタ構造を難解だと感じてしまって混乱するかもしれないが、公演パンフレットなどを読んで頂いて理解を深められれば魅力は伝わる気がする。
また、三浦さんの脚本の魅力には欠かせない、失われたものに対するセンチメンタルな感情を引き立ててくれる物語性は健在で、今作を観劇して人によっては東日本大震災を想起するかもしれないし、ウクライナやイスラエルで続く戦争を想起する人もいるかもしれず、そういう胸にグッとくるシチュエーションを上手く構成しているという点では素晴らしかった。

脚本の素晴らしさは上演からも垣間見られたからこそ、今回の役者の演技や演出がその脚本の良さを引き出せていなくて勿体なかった。
三浦さんの作品は、やっぱり商業演劇ではなく小劇場演劇向きなのではないかと改めて痛感させられた。
けれど、それは私が劇団「ロロ」の過去作品を小劇場で沢山観てきているので、今作で初めて「ロロ」の作品に触れた方にとっては、新鮮な観劇体験が出来てまた違った感想を抱くのかもしれないと思った。

写真引用元:ステージナタリー パルコ・プロデュース 2024「最高の家出」より。(撮影:岡千里)




【鑑賞動機】

劇団「ロロ」が大好きで、三浦さんがパルコ・プロデュースに進出するということで観劇を決めたのだが、ロロの作品を商業公演化するイメージがあまり湧いていなかったので、どんな仕上がりになるのかはドキドキしながら観劇に臨んだ。あとは、公演パンフレットの対談記事が、三浦直之さんとテレビプロデューサーの佐久間宣行さんだったので、そちらも楽しみにしていた。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

雨が降っている。テントの中で立花箒(高城れに)が眠っている。そこへ、藤沢港(東島京)がやってくる。藤沢は雨宿りをしようとテントの中に入ろうとすると女性が眠っているのに気がつき驚く。それによって箒も目が覚めて驚く。港は、自分の周りに本物のハチが飛んでいて驚き、怖がる。
箒は、自分が夫との結婚生活に疑問を抱いて家出をしてここにいることを告げる。すると港は、すぐ近くに劇場があって、そこでスタッフを募集しているから仕事を見つけたかったら、その劇場に行くと良いと言う。港はその場を後にする。

場所は変わって、「フラワーあわい」と書かれた花屋の建物がある模造街。そこは劇場のステージとなっていた。ステージには、舞台監督の蝉川夏太郎(亀島一德)と蒔時アハハ(祷キララ)がいた。アハハは、先日港に告白するも振られてしまったということを自白する。夏太郎は持っていたバケツを地面に落とす。
そこへ、客席側から箒が現れる。箒は、どうやらこの劇場で仕事を募集していると聞いてやってきたのだと言う。この劇場で求められている仕事というのは、藤沢港が失踪してしまったので、港が務めるはずだった静男という男性の役を演じてくれる代役のことだった。箒は「ここで働かせてください」と言って、演技経験はないが静男の代役を務めることでこの劇場で働くこととなった。

アハハは珠子という女性を、箒は静男を演じることで劇中劇が始まる。アハハ演じる珠子は、自分の趣味は旅行の計画を立てることで、どこに行くか、予算、プランニングなどを練って空想に浸ることが好きなのだと言う。これなら、旅行代理店に務めれば良かったとも思っていた。
しかし静男役を演じる箒は、「あー」と全部が棒読みで終始台本を抱えている始末だった。そんな箒の様子にアハハは怒り出す。これでは全然演劇として成立していないではないかと。珠子を演じるアハハは、赤子を抱えて赤子をあやすおもちゃを力強く振りながら怒っている。
舞台監督の夏太郎は、この演劇が上演されるようになった経緯について話す。この劇場は、珠子という女性が立てた劇場で、観客は珠子しかおらず、珠子の自分の過去の現実を演劇にして上演して思い出に浸っているのだと言う。珠子は静男という夫がいて、アハハは二人の娘である。しかし静男はしばらく家族の元を離れることになった。そして珠子は、実在する夜海原商店街の「フラワーあわい」で、静男と再会を果たしたのだと言う。そんな過去の現実を演劇にしたいと珠子は劇場を立てて、一人でその演劇を観劇して過去に浸っているのだと言う。

舞台の裏側では、スタッフたちがせっせと働いていた。そんな様子を箒は横で見ていた。夏太郎は天井にある小道具を取ろうとしていた。その時、夏太郎の腕は非常に長く伸びていたが、それを箒が触ったことによって触るなと怒られてしまう。
一方で、町山テレカ(島田桃子)は失踪した港を探そうと、劇場の至る所を捜索していた。この劇場のスタッフのルールとして、一切外へは出てはいけないというルールがあった。外へ出ようとしても誰かに見つかって出てはいけないものだと。しかし、そんな目を掻い潜って出ていってしまったのかと呆然としていた。

ステージ上では、箒、アハハ、そして喫茶店のマスターの吾郎役を務める川名身軽(篠崎大悟)と、街中華を営む太助役を務める身軽と兄弟の川名足鳥(重岡漠)がいた。箒が演じる静男が棒読みであることに加え、足鳥は台本に書いてあることしか言わず、アドリブは一才行わなかった。それによって、非常に噛み合わない芝居が続いていた。
その様子にアハハは怒り出す。これでは、演劇をやっていても楽しくないし、港が静男を務めていた方がよっぽど良かったと。
そこへ、夏太郎からこの演劇に対する観客の感想が手紙で届いていると言う。そこには、静男の代役を務める箒の演技を絶賛するコメントが書かれていた。今まで様々な静男役を見てきたけれど、他のどんな役者よりも全てがオールOKだと。

場転が始まり、音楽が流れ、舞台セットが回転しながらステージが進む。箒は上演を重ねて何度も静男役を演じる。そして最後には、周囲から拍手が沸き起こるくらい箒は演技が認められるようになった。

箒とアハハがいる。アハハは、人が一人入ることが出来る大きな緑色のボックスを持ってきて、マジックの練習をしようと言う。箒は緑色のボックスの中に入り、外からアハハが刀を刺し込む。どうやら刀が箒に刺さってしまったらしく痛がる。箒は、いつしか自分の体が透明になって見えなくなってしまうのではないかと言う。
アハハは、自分は劇場の外には出たことがなくて、外には何もない更地がずっと続いている退屈な光景が続いていると聞かされていると言う。しかし、夜海原商店街や「フラワーあわい」は実在すると聞かされている。
そこに、夏太郎や芦川背中(板橋駿谷)もやってくる。彼らは暫く話していると、劇場に箒の夫である向田淡路(尾上寛之)がやってくる。淡路は、自分の妻である箒が失踪してしまって捜索しているのだと言う。箒はずっと緑色のボックスに隠れている。淡路はここらあたりはないかと尋ねるが、アハハが先ほどまではいましたけど、劇場から出て行きましたと嘘をつく。その嘘が引き金となって色々と劇場の中を淡路が捜索してしまい、箒は見つかってしまう。
淡路は箒に追及する。どうして家出をしたのだと、ここで何をやっているのだと。箒は、この劇場で役者をやっていると答える。どうやら淡路も小さい頃から俳優を経験したことがあったらしく、8歳で『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノを演じたことがあるといって演技に対する自信を見せる。そして淡路は、では静男役をどちらが上手く演じることが出来るか勝負しないかと言う。箒は、どうして淡路は自分の居場所をそうやってすぐに奪おうとするのかと愚痴る。
場転が始まり、箒と淡路は静男役を演じる準備を始める。衣装を揃えたりなど。周囲の人間は、静男役が二人もいるなんて可笑しいでしょと言うが、淡路は気にしない。結果、二人で静男役を演じることで大成功を収める。

その頃、ひょっこり劇場内に港が戻ってきて姿を現す。その姿を、夏太郎たちが発見する。港は、劇場の外に出て、本物の夜海原商店街や「フラワーあわい」が存在するものだと思って、電車を乗り継いで海岸へ行ってみたが、それらしきものはもう無くなってしまっていたと語る。だから戻ってきたのだと言う。
箒は、地下室に過去の静男役を演じた男たちが監禁されているのを発見する。そして箒はそのことについて夏太郎に話すと、アハハの部屋に無断侵入したなと言って、真相を語り出す。
珠子は静男と現実世界で再会した過去を演劇にしたと言ったが、実はそれは嘘で珠子は静男と再会を果たすことが出来なかったのだと言う。そして、夜海原商店街も「フラワーあわい」もかつてはあったが、無くなってしまっていた。珠子は、静男が家族の元を離れると共に商店街自体もなくなってしまい、珠子が描いた静男との再会と商店街が今でもあったらこんな現実になっていたであろうという架空の物語を、この劇場で演劇として上演していたのである。
この演劇には、珠子が旅行の計画を立てる趣味というのがある。その旅行こそ、帰ってきた静男と二人で行く旅行の計画だったのだと言う。
箒とアハハが二人で話す。外の世界には、退屈な何もない更地が広がっていることを。外の世界には難民がいるのかなとか、スパイダーマンはいるのかななどと話す。
戦時中のようなサイレンと共に場転する。

この演劇の最後には、結婚式を挙げるシーンがある。結婚式を挙げるために背中が奔走して、背中が演じる道行とテレカが演じる雪代の結婚式が開かれる。周囲の人間は祝福する。
その結婚式のシーンに乗じて、静男を演じる港も珠子を演じるアハハと結婚したいと言う。そして、港はアハハと結婚出来ると思っていたが、実はウエディング姿の女性はアハハではなく別人だった。

一方箒は、劇場を後にして夜海原商店街に向かっていた。下水管のような空間をひたすら歩いている。そこへ、アハハも一緒に付いてくる。アハハはてっきり劇場に残って港と一緒に結婚して暮らすのだと思っていたが、どうやらアハハは実際港をよくよく考えてみたらタイプではなかったらしい。
箒とアハハは、夜海原商店街や「フラワーあわい」があったとされるエリアに辿り着く。そこは更地になっていて何もない。近くを通りかかった男女に、この辺に夜海原商店街はありますか?と尋ねるが、どうやら観光客らしく全く知らない様子である。今度は、地元の住人と思しき人がやってくる。彼に夜海原商店街のことを聞くと、この辺りにかつてあったと、更地を指し示しながら説明する。そしてこの辺りに、「フラワーあわい」があったと、こちらも更地を指し示しながら言う。
箒だけがステージに残って、空には星が輝いている。そして商店街の賑やかな声と活気だけが音声で聞こえていた。ここで上演は終了する。

今作が上演されるタイミングで、劇団「ロロ」の過去作品である『BGM』がYouTubeで無料配信されていたが、その理由がよく分かる脚本内容だった。たしかに今作を観劇していると、所々で『BGM』を想起させる。例えば、物語終盤で結婚式のシーンがあるのはまさに『BGM』もそうだったので内容的にも似ていたというのもあるし、ちょっとファンタジックで冒険譚的な感じがするのも、今作と『BGM』で似通っている。そして、海岸が登場するあたりも情景として似ている。
そして一番興味深かったのが、もし今作と『BGM』を重ね合わせて考えられるのであれば、静男が失踪してしまったことと、夜海原商店街がなくなってしまったことは、東日本大震災によって無くなってしまったと解釈出来る点である。『BGM』は、東北地方を巡る物語で、2011年の前と後で同じ東北地方の場所を辿って、その変貌を物語るのだが、その様変わりした背景には間違いなく東日本大震災がある。もし、今作を『BGM』と同じ立て付けで考えると、静男が失踪してしまったのも、夜海原商店街が更地になってしまったのも、東日本大震災で被災したからではないかと考えられて興味深い。きっと、「ロロ」の『BGM』を観たことがある人が今作を観劇すると、そのような感想を抱くだろうなと感じた。
だからこそ、後半パートの物語に凄く引き込まれたのだが、だからこそ前半パートのテンポの悪い演出が非常に作品の質を落としている感じがして勿体なかった。

写真引用元:ステージナタリー パルコ・プロデュース 2024「最高の家出」より。(撮影:岡千里)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観は非常に「ロロ」らしくてミニチュアみたいな手作り感満載の舞台セットが良かったのだが、その他の演出が一部「ロロ」には向いていないのではないかと感じてしまった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。舞台装置は大きく分けて3つのシチュエーションで変貌する。
一つ目は、劇場の模造街の舞台装置である。下手側と上手側には夜海原商店街の舞台セットが置かれ、商店街のアーケードのような作り物やシャッターの閉まった店などが置かれている。
そして舞台中央には、「フラワーあわい」と書かれた大きな花屋さんの建物が舞台セットとして置かれている。装飾も凄く手作り感があって全体的に淡い黄色で可愛らしさが際立つ。
この建物が回転出来るようになっていて、180度回転させると、劇場の楽屋になったりする。例えば、静男を演じた箒と淡路が衣装を選ぶシーンで使われたり、テレカが港を捜索しているシーンで使われたり、アハハの部屋で過去の静男役が監禁されているシーンで使われたりした。この舞台セットを回転させるという演出は、『Every Body feat.フランケンシュタイン』などでやっているので「ロロ」らしいギミックだと思った。「ロロ」は舞台装置を回転させるに止まらず、役者が舞台装置を使って無邪気に遊ぶシーンが多くて、そういったシーンを眺めているだけでほっこりする。今作でも、マジックと謳って緑色のボックスを登場させて人を閉じ込めて刀を刺したり、夏太郎が黄色い郵便ポストとなったりとユーモアが溢れていた。
二つ目は、劇場の外の森林のシーン。天井からは森を思わせる緑の装飾が垂れ下がり、自然の中にいる感じを演出している。物語序盤の箒と港が遭遇するシーンもそうだったし、物語終盤の箒が劇場を後にしてアハハがついてきたシーンもそうだった。
三つ目は、ステージ上には何もなく暗幕だけが背後にかかっているシーン。このステージに何もないという演出は上手いと思った。何もないことに意味があるから。そして観客は、今までこのステージに夜海原商店街や「フラワーあわい」があったのを目にしているので、そこに建物があった面影を感じやすい。もちろん、観客がずっと目にしていたのは、夜海原商店街の劇場のセットでしかなかったが、実物を見たことがなくても演劇を通じて、それらの建物に思いを馳せることができ、現実世界と演劇というメタ構造を上手く生かしたオチになっていると感じた。

次に舞台照明について。
舞台照明も明らかにシーンによって当て方を変えていて格好良かった。特に好きだったのは、「フラワーあわい」に朝日が差し込むような照明が入った時、同じシチュエーションでも照明が途中で切り替わったりして時間帯を上手く表したり、雨、晴れのような天気を非常に分かりやすく描く上でも効果的だったと思う。物語序盤の家出した直後のシーンでは雨が降っていて、家出した先で楽しむようになると雨が上がって晴れるみたいな天気が登場人物の心情とシンクロしているのも良かった。
あとは、場転シーンで音楽がかかりながら役者たちが楽しそうに回転する舞台装置に乗りながら演じるシーンで、照明がカラフルに格好良く切り替わっていくのもエンタメっぽさがあって好きだった。この場転は、少し長いなと私は感じてしまったが、かなり親しみやすい演出であったことには他ならないので効果的だったのではと思う。

次に舞台音響について。
そもそも紀伊國屋ホールの音響設備がそこまで高性能ではないのかいくつか気になった演出があった。例えば、ラストシーンの箒が夜海原商店街の更地に辿り着いて、商店街が活気づいた掛け声だけが聞こえるシーンで上演は終わるが、その商店街の環境音があまりにもガヤガヤとうるさく、むしろ過剰に感じてしまった。かすかに聞こえてくるくらいの方が演出としては良かったと思うのに、設備の問題もあるのかもしれないが、うるさく感じてしまった。
また音楽単体としては劇中のBGMも良かったし明るいポップな気持ちにさせてくれるのだが、どうしても役者の台詞と被せて音楽が流れていて、音楽が役者に打ち勝ってしまっているシーンが何ヶ所かあったのが残念だった。もしかしたら、役者の演技を盛り上げるためにかけている節もあるかもしれないが、それが余計にベタな演出になってしまっていてせっかくの三浦さんの脚本があざとくなってしまっていた。
ただ、地下道で声がこだまする感じの音響のエコーや、雨がバケツの中に落ちる効果音は非常にリアリティあってクオリティが高かった。エコーを聞かせる演出を重点的にしたかったせいか、他の音響のボリュームも大きくて、それらが演出的にミスマッチしているのが勿体なかったが。

最後にその他演出について。
全体的に前半の箒が台詞棒読みという設定の劇中劇が繰り広げらるので、その歯切れが悪くてのめり込めなかった。意図的ではあると思うが、箒が演技が下手という設定なのでそういう意味ではハマっているのだけれど、やはりそれだと観ている観客は面白くないなと感じてしまう。テンポの悪さと歯切れの悪さは意図的であってもあるだけで没入感が乏しくなるので、正直良い設定とは思えなかった。
また、劇中にはたびたびコメディシーンがある。客席は笑っている人もいたが、正直上記のようなテンポの悪さがあるので、滑っているように思えてならなかった。尾上さんの芝居は勢いがあってテンポも良くてだからこそ笑えるのだが、それ以外のキャストは申し訳ないが滑っていた。コメディはテンポが命なので、変な間があるなかでぶち込まれても失笑しか起きていないのは、観劇者としてもそれによってさらに乗れない気持ちになってしまう。
客席を使った演出は非常に面白いなと感じた。最近の商業演劇ではかなり頻繁に見られる演出だが、観客にウケの良い演出なのだろうか。ただ、今作は箒が客席から登場するシーンがあるが、これは凄く効果的だったと思っていて、紀伊國屋ホール全体を今作に登場する劇場に見立てているので、観客自身も演劇の世界に没入できるメタ構造を演出していたし、なんなら観客自身も劇中劇を観にきた観客なのではないかと錯覚させる演出にも思えて良かった。
あとは細かい演出だが、アハハだと思っていた港との結婚相手のウエディング姿の花嫁が、ウエディングベールを上げたら別人だったというのが面白かった。それまでずっとアハハだと思っていたのに違ったのかという感情は、港と観客がシンクロするので好きだった。

写真引用元:ステージナタリー パルコ・プロデュース 2024「最高の家出」より。(撮影:岡千里)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

様々なストレートプレイの舞台観劇を数年間してきた観客の身として、今作の役者の演技は正直全体的にもっとブラッシュアップできたのではないかと疑ってしまうレベルだった。
そして演技力だけでなく、キャスティング的にも上手くハマっていない役も散見された。
何人かの役者をピックアップして感想を述べる。

まずは、主人公の立花箒役を演じたももいろクローバーZの高城れにさん。高城さんの演技を生で拝見するのは初めて。
個人的にはもう少し主役として堂々とした演技を観たかったと思うばかりだった。たしかに役の設定として台詞棒読みの演技をしたことがないという箒役だったが、たしかに設定には合っているけれど、観客がそれを観て面白いと感じるかは別なのかもと思った。
何ヶ所かモノローグのシーンがあったかと思うが、どうしてもアハハの方が目立ってしまって箒の台詞が霞んでしまうのも勿体なかった。台詞はちゃんと聞き取れるので、もっと堂々としたら良かったのにというのが正直な感想だった。
ただ、紀伊國屋ホールという大きな劇場で主役を務めるというのは大きな俳優としての仕事なので、そんな役をやり切ったというのは素晴らしいことだと思った。

次に、蒔時アハハ役を演じた祷キララさん。祷さんの演技は、直近だとiakuの『モモンバのくくり罠』で観劇している。
祷さんは、いつもちょっと変わった学生や若者を演じることが多くて、その役が割と祷さんが放つ独特のオーラとマッチしているからこそ素晴らしい演技に感じたのだが、今回のアハハはどういうミステリアスの女性ではなくて普通の気が強い女性という設定なので、キャスティングがそもそも合っていないのではと感じてしまった。
祷さんの今までの違った演技を観れたといったら聞こえがよくなるが、無理に怒鳴ったり暴れ回ったりする演技はあまり得意ではなさそうに見えて、かなり無理している感じに受け取ってしまった。
そしてその演技を上手くコメディとして消化しようとした演出意図に感じたが、テンポや歯切れが悪かったために、やはり笑いもあまり起きなくて、結果的に滑った芝居になっていた印象だった。
今までと異なる性格の役を演じるという挑戦としては良いかもしれないが、個人的には過去演劇作品で演じてきたような役の方が安心して観られる感じがした。

今作で一番良い演技をしていたと感じたのは、向田淡路役を務めた尾上寛之さん。尾上さんの演技は舞台で何度も拝見していて、直近だとナイロン100℃の『Don't freak out』で観劇している。
正直、物語中盤から尾上さんが登場したことによって舞台の空気に新たな風が吹き込んで、全体的に演技がマシになった感じがあって、尾上さんがいらっしゃらなかったら、この座組は一体どうなっちゃうんだろうというレベルだった。それだけ、尾上さんは今回の座組で良い方向に空気感を変えるだけの力を持っていて素晴らしかった。
尾上さんの演技は、やはり単独でも凄く面白くて勢いがあるからこそ、舞台の空気の流れを一気に変える力を持っていた。そしてその推進力が今作では凄く効果的に働いていて良かった。たしかに、この淡路だったら『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノ役を演じることが出来るなと感じてしまう。そのくらいハマっていた。
また、この勢いがあるからこそ箒が嫌がって家出をしてしまったという合点もいく。正直、淡路のこの勢いは箒の静男役を喰ってしまうレベルだというのは誰でも分かることである。だからこそ、それが箒の中でネガティブに働いてしまうというのは筋が通る。そんな淡路の姿は、弱気存在を喰ってしまおうとする強者や社会そのもののようにも感じた。

あとは、舞台監督の蝉川夏太郎役を演じた劇団「ロロ」所属の亀島一徳さんも良かった。亀島さんの演技も舞台で年度も拝見している。
夏太郎は特に、この劇場の支配人という印象があってモノローグを語るシーンが良かった。実は珠子は静男と再会出来ていないの下は亀島さんのモノローグが良かったからこそジーンとくるものがあった。そこまで出番は多くなかった印象なのだが、重要なシーンでしっかり夏太郎が存在感を発揮していて美味しい役だと感じた。

写真引用元:ステージナタリー パルコ・プロデュース 2024「最高の家出」より。(撮影:岡千里)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作の脚本について私が感じたことを考察していこうと思う。

公演パンフレットの三浦直之さんと佐久間宣行さんとの対談記事は、細かい字で6ページ分くらいに渡っていて、非常に読み応えがあって楽しかった。佐久間さん自身、「ロロ」の公演は2011年にこまばアゴラ劇場で上演された『グレート、ワンダフル、ファンタスティック』から観劇しているようで、私なんかよりも随分昔から無名の時代から「ロロ」のことを知っているのだなと感じた。
三浦さん自身も、今までは「いつ高」に代表されるような青春ものを演劇でずっと手がけてきたが、メンバーも成熟して一旦「いつ高」シリーズを終えて、現在は今後の劇団としての活動指針的なものに対しても悩んでいると赤裸々に打ち明けられていて興味深かった。
創作者でもなんでもない私でさえ、自分が歳を取っていくにあたって自分の価値観だって変わっていくし、それによって自分のキャリアや進路を悩んだりするものだが、創作者はその価値観の変化が直接自分のクリエーションにも影響を及ぼすから大変だよなと思う。クリエーションに影響が出たら、ついてくるファンだって変わるだろうし、自分がこうありたいと思っても、クリエーションの変化によってそうはいかないことも沢山あるだろうなと思ってしまって、創作者の大変さを垣間見た気分だった。

そして佐久間さんが「ロロ」に感じている印象というのが、私が「ロロ」に感じている印象をそのまま綺麗に言語化されていたので一部引用する。

三浦さんの作品は失った人やものに思いを馳せるところがあって。でも観ていると、失われたはずの人やものが全部ひっくるめて、自分の側にいるみたいな感覚になる。だから観ている人も自分にとってのそういう存在に思いを馳せるというか。ロロを観ているときにしか開けない、感情の箱があるような感じがする。

公演パンフレットより一部引用


まさに、この佐久間さんの言葉が「ロロ」という劇団の公演の良さを端的に表現していると感じた。今まで私が観劇してきた『四角い2つのさみしい窓』も『Every Body feat. フランケンシュタイン』も『ロマンティック・コメディ』も『BGM』もそして今作も、全部似ている作品では全然ないのだけれど、どこか共通点があるような気がして、でもそれが上手く言語化出来ないでいたけれど、この佐久間さんの言葉を目にして、これこそが「ロロ」のどの作品にも共通するエッセンスだと感じた。
『Every Body feat.フランケンシュタイン』も『ロマンティック・コメディ』も、死をテーマに扱ったり、その演劇上には直接登場しない人物を扱っている。存在はしていないけれど、でも間違いなくその物語に登場する人物たちに影響を及ぼしていて、その不在の存在に思いを馳せてしまうのである。
そして『BGM』や今作の『最高の家出』は、失われた場所に思いを馳せる物語である。『BGM』では、東日本大震災の前と後での東北地方を描くことで、間違いなく震災によって変わってしまった場所を描いている。場所が変わってしまったということは、かつていた人がいなくなってしまったりする。でもかつてそこにあった、いた痕跡が全くなくなった訳ではなく、しっかりと同じ場所に残されている。そして、私たちの脳の中にも記憶として残っているからノスタルジーを感じるし、感傷的になれる。

今作『最高の家出』でも、夜海原商店街という失われた場所が描かれていた。珠子はそんな失われた思い出の場所に思いを馳せて劇場を作り、演劇を上演する。そしてその演劇はまるで現実なのか空想の中なのか分からなくなっていく曖昧模糊な存在となっていく。まさしく「ロロ」の作品にふさわしい一作だと感じた。
この夜海原商店街はどうして失われたのだろうか、そして静男はどうして珠子の元に帰って来なかったのだろうか。その理由は、直接本編では言及されていない。むしろ言及されていないからこそ、私たちはその理由について解釈の余地を与えてくれる。その解釈の余地こそ三浦さんの演出意図でもあると思っている。
一つは先述したように、『最高の家出』が『BGM』の作品をベースに創作されていると考えると、東日本大震災によって夜海原商店街は津波によって失われたと解釈出来る。きっと、「ロロ」の『BGM』を直近で観た人ならきっとそういう解釈が最初に思い浮かぶことだろうと思う。夜海原商店街は海岸沿いにあると描写されているし、ステージ上のなにもなくなった状態を見ていると、私がかつて仙台で暮らしていた時に訪れた被災した地域の海沿いの町を彷彿させる。今でも東北の海沿いの町は、所々震災によって住宅が流されて更地になっている箇所がある。そんな光景を思い浮かべて涙が出そうになった。

二つ目は、夜海原商店街は戦争や紛争によって失われたとも解釈出来る点である。脚本の中に、難民って存在するのかなと外の世界に箒とアハハが思いを馳せるシーンがある。その時私は、ハッとウクライナやイスラエルの戦争のことが頭をよぎった。それから、珠子が赤子を抱いて夜海原商店街にやってくるシーンでサイレンの音が戦禍のように感じたり、珠子が被っている頭巾が、イスラム系の女性の方が身に纏っているヒジャブのようにも見えてきてますます戦争や紛争を思い起こされた。きっと、今まで「ロロ」の作品を観たことがない方は、昨今の社会情勢を考えるとこちらを想起するのではないかと思った。
先日、ほろびての『センの夢見る』という演劇を観劇したが、その作品も人によっては戦争を想起するようだが、私としては今作の方が戦争や紛争を思い起こさせるという意味で演出として適していると感じた。

他にも、最近は少子高齢化によって地方の衰退も著しいので、そういった再開発や地方の過疎化の影響によって、夜海原商店街が失われたと解釈するのもありかもしれない。
「ロロ」の世界観には、どこか東京のような都会ではなく人の少ない地方を想起させる要素も強くて、そういったノスタルジーとも重なる部分はあるのかなと思った。

あとは、タイトルの『最高の家出』について。
箒や港にとっては、たしかに家出となった。なぜなら、最終的に帰ってきたからである。箒は結婚生活に不満があって家出をし、珠子の劇場で俳優として苦労したことで自己成長した上で夫の淡路と再会する。いろんな経験をして成長した家出ということで「最高の家出」だったに違いない。
港にとっては、アハハに告白されて振って、劇場にいたくなくなって家出した。しかし、実在すると思っていた夜海原商店街は存在しなかったということを知り帰ってくる。自分の居場所は、やっぱり劇場だったのだと気がついて、アハハに対しても家を出る前と比べて好意的になる。だから結果的に港にとっても最高の家出だったのだろう。

しかし、静男は決して珠子の元に戻ることはなく失踪したままで、家出ではなかった。しかし、演劇にして静男が戻ってきたというフィクションを作りあげることで「最高の家出」にしようとした。そしてそれが、劇中劇のメタ構造によって現実で起きたことなのではないかと錯覚するくらい、ノンフィクションに近づいていく。これこそ演劇の魔力?である。
物語のラストで、箒もアハハも劇場を抜け出して夜海原商店街を目指す。実際帰って戻ってくるかは描かれないので家出になるかわからない。これが「最高の家出」になるかどうかは観客のイマジネーションに託されている。私は「最高の家出」になるのではないかと期待したい。夜海原商店街はたしかに実物として存在しないが、かつてそこに夜海原商店街があったことを知る人に出会った。それによって、きっと箒は夜海原商店街へのイメージもさらに膨れ上がったに違いない。だからこそ、そんな今の夜海原商店街を知ったことで、また違った静男の演技をしに劇場に戻って来れるのではないかと思う。その家出は、箒やアハハにとって間違いなくプラスに働く家出だと思うから。

写真引用元:ステージナタリー パルコ・プロデュース 2024「最高の家出」より。(撮影:岡千里)


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