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舞台 「パンドラの鐘」 観劇レビュー 2022/06/11

【写真引用元】
杉原邦生さんTwitterアカウント
https://twitter.com/kuniooooooooo/status/1517039422910656513/photo/1


【写真引用元】
杉原邦生さんTwitterアカウント
https://twitter.com/kuniooooooooo/status/1517039422910656513/photo/2


公演タイトル:「パンドラの鐘」
劇場:Bunkamura シアターコクーン
企画:COCOON PRODUCTION 2022
作:野田秀樹
演出:杉原邦生
出演:成田凌、葵わかな、前田敦子、玉置玲央、大鶴佐助、柄本時生、片岡亀蔵、南果歩、白石加代子、森田真和、亀田一徳、山口航太、武居卓、内海正考、王下貴司、久保田舞、倉元奎哉、米田沙織、湧田悠
公演期間:6/6〜6/28(東京)、7/2〜7/5(大阪)
上演時間:約145分
作品キーワード:歴史、神話、戦争、ラブストーリー、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


1999年に亡き蜷川幸雄さんに依頼されて野田秀樹さんが書き下ろした戯曲「パンドラの鐘」を、杉原邦生さん演出で初観劇。
野田秀樹さんが書いた舞台作品は、「フェイクスピア」(2021年)「赤鬼」(2020年)と数回観劇しており、杉原邦生さん演出作品も「オレステスとピュラデス」(2020年)「更地」(2021年)と数回観劇している。

物語は、太平洋戦争開戦間近の1941年の長崎と古代の長崎にあった王国が舞台であり、1941年と古代という2つの時系列を行き来しながらストーリーが展開される。
1941年、長崎で遺跡の発掘調査を行っていた考古学者のカナクギ教授(片岡亀蔵)たちは、数々の出土品からここに古代王国があったことを突き止めていた。
一方古代では、王女だったヒメ女(葵わかな)に兄が亡くなったことによって女王として王位を継承させようとしていた。
その時ヒメ女は葬儀屋のミズヲ(成田凌)と出会い一目惚れする。
当時王国は他国から宝物を盗みながら財を成していたが、運び込まれた宝物の中に巨大な鐘があり、ヒメ女の命令でその鐘を開けてしまう。
その後、古代王国と1941年の長崎にいたカナクギ教授たちは不幸に見舞われていき...というもの。

野田作品らしく、邪馬台国や出島、太平洋戦争、エジプト文明、「パンドラの箱」といったギリシャ神話など、日本史や世界史を織り交ぜながらも、最後にしっかりとこの作品で伝えたい強いメッセージ性を感じられる素晴らしい物語だった。
天皇制に対する批判、反戦舞台作品というのは凄く伝わってくるのだけれど、個人的にはそれ以上にヒメ女とミズヲのラブストーリー、そしてオズとタマキの恋愛模様といった人と人との交わり関わりの部分で心動かされた。そういった点で、多くの人に親しまれやすい野田作品なのではないかと思った。

また舞台美術も見どころで、まさに杉原演出と野田作品の融合といった感じであり、NODA・MAP(野田秀樹さんが主宰する演劇団体)によくあるアンサンブルによるダンスパフォーマンス、ステージ上を駆け回る役者陣といった運動量のある演出に加え、杉原演出ならではのほとんど舞台上にセットが存在せず、ステージ上になにも暗幕などが敷かれていない素っ裸状態のステージから始まり、一気に舞台装置がステージ上に運び込まれながら物語が進行する演出や、現代的でポップで明るく映画らしい舞台音響といった世界観があり、野田作品×杉原演出を存分に堪能出来る舞台作品に仕上がっていて楽しめた。

野田作品が好きな方にはもちろんのこと、多くの方にオススメしたい舞台作品。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/480384/1834380


↓戯曲『パンドラの鐘』


【鑑賞動機】

1999年にNODA・MAP第7回公演として初演された野田秀樹さんの傑作を、杉原邦生さん演出で上演するから。杉原さんの演出は個人的に凄く独特な印象があって好きなので、彼が野田作品を演出するとなるとどうなるのか観たかったから。
また、玉置玲央さん、前田敦子さんといった以前舞台で演技を拝見してもう一度芝居を観てみたいと思える役者陣と、成田凌さん、葵わかなさんといったまだ生で演技を観たことがないけれど気になる役者も沢山出演されていたため。



【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

一人の白装束を着た男・ミズヲ(成田凌)が客席からステージ上へとやってくる。ミズヲは床に耳を当てる。「ゴーン、ゴーン」と鐘の音が聞こえ始める。
井戸のようなものが舞台上へ登場し、そこからカナクギ教授(片岡亀蔵)、そして教授の助手のイマイチ(柄本時生)、オズ(大鶴佐助)が登場する。1941年、太平洋戦争開戦直前の長崎。彼らは古代遺跡の発掘作業を進めていた。そこには発掘作業を命令したピンカートン未亡人の娘のタマキ(前田敦子)もいた。カナクギ教授と助手のイマイチ、そしてタマキは発掘調査にやる気はなく、カナクギ教授とタマキはイチャついていた。
一方でオズは、井戸の中から次々と出土品を発掘する。大量の釘が掘り出され、これはもしかしたら古代王国の王の棺桶なのではないかと想像をふくらませる。

古代の長崎。
ミズヲ、それからコフィン(森田真和)・リース(亀島一徳)・ハンマー(山口航太)・スペード(武居卓)という葬儀屋たちは、棺桶を運び出してきて、この棺桶の中身を覗いてみようと話し合う。そして、葬儀屋たちは棺桶の蓋を開けてしまう。そこには猫のミイラが入っていた。
一方、古代王国には王女のヒメ女(葵わかな)がいた。ヒメ女は王であった兄の死によって、彼女の乳母のような立場にあった側近のヒイバア(白石加代子)から王座を継承するように要求されていた。しかしヒメ女はまだ10代前半であったため王位を継承することを嫌がっていた。しかしヒイバアはヒメ女を説得して彼女に王位を継承させようとしていた。

1941年長崎。
カナクギ教授はタマキと井戸の中でイチャイチャしている。そしてカナクギ教授はタマキと結婚することを誓う。タマキのことが好きだったオズはその光景に嫉妬する。
そこへピンカートン未亡人(南果歩)が現れる。彼女はカナクギ教授たちに依頼した長崎の遺跡発掘調査の様子を伺う。

古代王国。
ミズヲたち葬儀屋は、ヒメ女やハンニバル(玉置玲央)たちがいる屋敷?へ連れてこられた時、葬儀屋たちが密かに棺桶を開けてしまったことを暴露してしまい大騒ぎになる。ハンニバルはミズヲたち葬儀屋を取り押さえようとする。
その時、ミズヲとヒメ女は一目惚れし、お互いに惹かれ合う。
ミズヲはハンニバルたちに厳しく取り押さえられるもののミズヲの度胸と、ヒメ女の進言もあり、葬儀屋たちは殺されず許される。

1941年長崎。
遺跡発掘調査はさらに進み、釘だけでなく様々な品物が井戸の中から発掘される。この地中の博物館でも埋まっているのではないかというレベルだった。

古代王国。
王国は、ハンニバルによって他国から大量の略奪品を船で運んでいた。巨大な黄金のコガネムシなどが持ち込まれた。
その時、巨大な一つの鐘が運び込まれてきた。ヒメ女はこの鐘を開けてみたいと言う。力持ちたちが4人ほど現れて、鐘に繋がった紅白のロープを引きながら開けようとするが開かない。ヒメ女やヒイバア、ハンニバルたちも手伝って、紅白のロープを引くことによってやっとの思いで鐘を開けることに成功する。

1941年長崎。
こちらでも遺跡発掘の出土品から大きな鐘のかけらが掘り出された。タマキとカナクギ教授、そしてオズでこの鐘のかけらを調査する。
カナクギ教授とタマキは相変わらずイチャイチャを繰り返して仲が良さそうである。

古代王国。
ヒメ女が鐘を開けてから、その鐘はひっきりなしに「ゴーン、ゴーン」と鳴っていた。ミズヲとヒメ女は鐘の音について語り始める。どうやら鐘が1回鳴る度に、誰かが一人死んでいっているらしい。それは、鐘の鳴り方が一つ一つ異なり、まるでその鐘の音色が聞こえたタイミングで死んでいっている人に合った音色なのだそう。すぐそこにいた老人が死んだ時、その老人を思わせる鐘の音が聞こえたと言う。
鐘が鳴る度に、人が一人死んでいっていると気がついた時、凄く辛いことを知ってしまったのだとヒメ女は呟く。

1941年長崎。
カナクギ教授は、オズが執筆していた遺跡発掘調査のことに関する論文を盗み出し、まるで自分が書いたかのようにメディアに向けて発表する。
しかしそのカナクギ教授の記者会見の途中、彼は何者かによって誘拐されてしまう。
オズは、カナクギ教授が自分の論文を発表しようとして行方不明になったことを知る。また助手のイマイチは死んだとの報道も知る。
オズの元へタマキはやってくる。タマキは本当はオズのことを愛していた。カナクギ教授との恋は嘘だったことを告げ、キスをする。オズはデレデレになる。
オズとタマキは、鐘にオズとタマキの名前を書いて相合い傘を刻む。しかし、その鐘にはミズヲとヒメ女の名前と相合い傘も刻まれていることに気がつく。最初は2人の男女の相合い傘だと認識するが、オズはそれは相合い傘ではなく何か暗号になっているのではと疑う。
そして、イマイチはどうやら死んでおらず、日本との関係が悪化したアメリカへ渡ったという情報がもたらされる。

古代王国。
ヒメ女とハンニバルたちの元には、狂王(片岡亀蔵)というヒメ女の王座を奪おうとする男が現れる。ヒメ女の王座は脅かされる。
1941年長崎の世界から古代王国に持ち込まれた最後通牒、その最後通牒を覗きながらヒメ女は、この古代王国の未来を覗き始める。そしてこう言う。この古代王国に他国が侵略してこようとしていると。そしてこの地に、もう一つの太陽が投下されるのだと。
そう言い放った瞬間、頭上から徐々に降下していた赤い大きな豆電球からまるで原爆のように爆発したかのような演出が巻き起こる。そしてその後方には、古代の未来の王(南果歩)と古代の未来の参謀(柄本時生)がまるでアメリカの軍人のような姿で立っていた。

ヒメ女は、他国からの侵略によるこの国に暮らす民を救うために、自分はこの鐘の中に閉じ込めて埋めて欲しいと周囲に依頼する。それが王が果たす義務なのだと。
ミズヲやハンニバルたちはヒメ女が犠牲になることに反対するが、ヒメ女は言うことを聞かずどうしても埋めて欲しいと要望するので、彼女を鐘の中へ埋めることにした。
ヒメ女は、自分が埋められて民を救うことが自分の最後の仕事だと言い、そのまま埋められる。

1941年現代。
オズの手元にある論文からは、ヒメ女の文字が全て消されていて、完全に骨抜きになっていた。オズはそんな状態になった論文を見て、これでは論文の体をなしていないと家に帰って再執筆しようとする。
そこへピンカートン未亡人がやってくる。彼女は娘のタマキと共に巨大な鐘をアメリカへ持ち帰ろうとする。タマキは言う、きっとヒメ女が古代王国で彼女の犠牲によって民を守ろうとしたように、この長崎でも王が犠牲となってこの国を守ってくれるだろうと。
そして、ピンカートン未亡人とタマキは、巨大な鐘を持ってアメリカへ帰ってしまう。

古代王国。
ミズヲは亡きヒメ女を弔うかのように、祈りを捧げる。舞台上には紅白の幕も装置も何もかもなくなって、背後の劇場の扉が開かれる。ここで物語は終了。

ギリシャ神話「パンドラの箱」に起因する災いと残された希望、そして邪馬台国を思わせる古代王国と、太平洋戦争、そして原爆投下という悲劇直前の長崎。なぜこんなにも摩訶不思議な歴史をゴチャ混ぜに織り交ぜた脚本なのに、伝えたいメッセージがずっしりと伝わってきて感動出来るのだろうか。こんな脚本を書けてしまう野田秀樹さんの脳内はどうなっているのだと感嘆する。
そして天皇制、もしくは日本を敗戦へと導いた大日本帝国へのアイロニーが凄い。ヒメ女が未来へ託した希望、そしてタマキが日本へ残していった言葉と相反する、太平洋戦争突入と敗戦という歴史的事実。今の日本は憲法第9条によって「戦争の放棄」が明記されているが、世界を見渡せばウクライナ情勢を見れば分かるように、国家のために何万もの民が犠牲になっている状況は変わっていない。今上演されるからこそ価値のある一作だった。
また、「死」というものを通じて古代も今も国家のために民が犠牲になるという構造は変わらないのだなとも思った。たしかに言われてみればそうなのだが、これは個人的には新たな気付きであった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/480384/1834379


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

演出については、まさに野田作品と杉原演出の融合といった感じで、それぞれの舞台演出の強みをかけ合わせたような素晴らしい仕上がりだった。
冒頭にも記載した通り、NODA・MAPによくあるアンサンブルによるダンスパフォーマンス、ステージ上を駆け巡る役者陣の運動量の多さと、杉原演出の序盤と終盤でステージ上が真っ裸で、そこから舞台装置が劇中に登場するという斬新な観せ方と、明るくてポップで映画的な舞台音響が上手く融合していて、これぞ杉原版「パンドラの鐘」と言うべき演出だった。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出について見ていく。

まずは舞台装置から。
前述した通り、序盤と終盤はステージ上に4つの支柱が置かれているだけで幕も含めて存在せず、まるで素っ裸状態の舞台空間。舞台の背後に置かれている照明機材や劇場の柱などが丸見えで、ラストのシーンではステージ後ろの大扉が開放されて劇場外が完全に見えてしまうという演出も盛り込まれていた。杉原演出らしい、ステージとそれ以外の境界がなく劇を進行して観せるスタイルだった。
一方で、序盤とラスト以外のシーンはというと、序盤のミズヲが地面から鐘の音を聞くタイミングと同時にステージ三方(客席面以外の三方)に紅白幕が上から垂れ下がってくることで、一気に舞台空間を形成して物語を進行していた。これも一気に世界観を上手く作り出していて見事だった。
それ以外にも大道具が途中途中で劇中に仕込まれて登場する。例えば物語前半で登場するのは、カナクギ教授たちが遺跡発掘中に潜っている井戸を表現したような装置。伸び縮してまるで、マジシャンが早着替えで使う円筒形のカーテンのついたフラフープみたいな道具で、非常にユニークで面白い作りものだった。
そして何と言っても息を飲んだのは、全長7〜8mほどある巨大な鐘。鐘のデザインとしてはお寺にある鐘に形状は近く、叩くと「ゴーン」というお寺の鐘の音が聞こえてきそうな舞台装置だった。全体的に深緑色であり、鐘の頂上には直方体の巨大な台があり、終盤ではその台の上にヒメ女が立っていた。鐘には巨大で長い紅白のロープが垂れ下がっており、それを引っ張ることで鐘はステージの天井から吊り下げられているワイヤーのようなもので上に持ち上げられるようになっている。もうこの鐘の存在感が凄い。私はかなり前方の客席で観劇していたのだが、この鐘の大きさにはずっと圧倒されっぱなしだった。こんな大掛かりな舞台セットにお目にかかれることも早々ないだろう。
あとは、舞台後方には木造の平たい階段もあった。紅白の幕が三方にあるので、どことなく歌舞伎を連想してしまう。歌舞伎に紅白の幕は存在しないが、和の舞台セットは歌舞伎っぽさを感じる。実際杉原さんは木ノ下歌舞伎などでも演出をされている訳だし。
小道具でいくと、ミズヲたちがこっそり開けてしまう棺桶だったり、黄金のコガネムシだったりと、本当に博物館に展示されていそうな巨大な創作物が沢山登場した。野田さんは大英博物館から着想を得たと語っていらっしゃったが、本当にそれを思わせる(といっても私自身は大英博物館へは行ったことがない)小道具で観ていて面白かった。

次に衣装。
個人的に好きだったのは、ヒメ女の衣装。まるで邪馬台国の卑弥呼を想起させる紅白の衣装がとても可愛らしかった。ゲームの例えで恐縮だが、無双OROCHIのキャラクターの卑弥呼に近い印象。もう少し着物っぽい衣装だが、紅白と髪型はそんな感じで非常に好きだった。
あとは、ピンカートン未亡人の青いチャイナドレスみたいな衣装も好きだった。スカート部分がスカートというよりは固い素材で出来ていて盛り上がっていて凄くユニークなピチピチの衣装だった。
ハンニバルのヒメ女の側近役的なポジションでの衣装も素敵。というか髪型が長髪で一瞬玉置玲央さんだと分からなかったし、ハンニバルみたいな力強い戦士らしくもなく、まるでイメージと全く違った衣装に驚かされたが、それが逆に印象に残った。
白石加代子さん演じるヒイバアの、千と千尋の神隠しの湯婆婆のような赤い着物×白い玉ねぎ頭も印象に残った。
主人公のミズヲはというと、葬儀屋っぽく白装束に近いが弥生人の民族衣装にも見える衣装なのだが、成田凌さんに似合っていた。亀島さんは緑色の髪と眼鏡にあの白装束だったので笑った。

次に舞台照明。
今作の舞台照明もいくつか物凄く迫力があった演出があったので紹介する。
一番迫力があったのは、あの長崎の原爆投下をイメージした演出での照明。役者陣が中央に一塊に集まって、徐々に徐々に前進しながら古代王国に他国が侵略してくる内容の台詞があり、そしてそれがありつつ頭上からもう一つの太陽が投下される、と言われる巨大なオレンジ色の豆電球が垂れ下がってくる。そして、「ドカーン」という爆発音と共に白色のまるで雷でも落ちたかのような照明が印象的だった。そして照明という観点ではないけれど、そのときに照らし出された背後の古代の未来の王と古代の未来の参謀が、古代王国の敵でもあり、1941年の日本の敵であるアメリカにも見えて非常に不気味だったけど、凄く印象に残った演出だった。
あとは、丸く細長いスポット照明が様々な方向で沢山差し込みながら動く演出も印象に残る。地の照明が青色だったので、青色の中で白い細長いスポットが様々に動くので、杉原演出らしい遊び心とエンタメ性に富んだ演出が良かった。
あとはラストの亡きヒメ女を思うミズヲに注がれる祈りとも呼べる神聖な白い照明。「パンドラの箱」に残されたエルピスはhope、つまり希望を表すと解釈されているが、まさに鐘に閉じ込められて埋められ残されたヒメ女の存在こそ希望、未来の国でも民が犠牲になって死ぬことなくこの王がその犠牲になることによって平和が保たれるということを暗示する白い照明が好きだった。まさに祈りの照明だった。

次に舞台音響。
舞台音響は、杉原演出色が非常に強い演出だったように思える。そして調べてみたら、音響プランナーが稲住祐平さんであり、彼はKUNIOの「更地」でも音響を手掛けている杉原さん演出で欠かせない音響プランナーだったので、杉原演出色だったと感じた理由が分かった。
非常に映画的でポップで明るい音楽が印象的。作品のスポット映像でも使われていたオープニングテーマ曲は、民族っぽさと和が混在した古風な音楽で、管楽器を使った明るい軽快な音楽が良かった。
また、長崎の原爆投下を想起させる「ドカーン」という音や、ミズヲとヒメ女が出会って一目惚れをする「ピカーン」という効果音は凄くベタだけれど杉原演出らしく映画的だった。
そして一番注目したいのが、パンドラの鐘の音。序盤で「ゴーン」という音と共にこの鐘の音色はきっとお寺の鐘の音色に近いなと感じたが、これは除夜の鐘の音色というか108回というのがみそだったのだが、やはりと思った。

最後にその他演出について。
まず、成田凌さん演じるミズヲの登場の仕方から杉原演出を感じて心動かされた。杉原さんが演出した「オレステスとピュラデス」では、まだ客席明りが全く消えていない状態で、役者が客席後方から登場して、ステージ上に登り本番が始まる。まるで、客入れと上演開始の区切りが曖昧で徐々に上演開始される感じだった。今回の上演開始も似ていて、客席明りが点いた状態でミズヲが客席後方からやってきて舞台上に登る。歌舞伎も花道という客席にかかる通路から役者が入ってくるが、それと似た構造で面白かった。
もう一つ杉原演出らしく衝撃的だったのがラスト。先述した通り序盤とラストでは紅白の幕は敷かれず、劇場が素っ裸の状態でステージの背後が見えるのだが、そこにあった大扉までが開放されて完全に劇場の外が見えてしまう演出が斬新だった。ここでは、ミズヲが未来の平和を祈るシーンなのだが、太陽の光が劇場に差し込むことによって、原爆でない太陽、つまり平和を願う演出が、何とも杉原演出らしく物語に合っていた。
それと印象的だったのは、アンサンブルである黒衣たちが死体を引きずる演出。凄くNODA・MAPらしい演劇的な身体表現のシーン。ゆっくりゆっくりと死体を引きずる演出は、どことなく死人を弔う感じがあって引き込まれた。アンサンブルの役者たちが本当に上手かった。
アンサンブルたちが上手かったNODA・MAPらしい演出がもう一つ、それは原爆が投下されたような演出の後に役者たちが前かがみになりながらゆっくりと彷徨う身体表現。まるで時間がスローになったかのような原爆投下のインパクトを伝える効果的な演出で面白かった。
カーテンコールで役者が全力で舞台奥から駆け上がってきてステージ前に来るのもNODA・MAPらしい躍動感ある終わり方、好きだった。
最後に、フライヤーデザインは非常に奇抜で鮮やかな色合で赤々しいのだが、一瞬で蜷川実花さんデザインだと察して当たっていた。蜷川実花さんの父である蜷川幸雄さんが演出をされたこともある今作で、非常にゆかりのある作品なので、娘さんの蜷川実花さんも作品に関わっていて脈々と演劇魂が受け継がれている感じがしてよかった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/480384/1834408



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

流石はNODA・MAPの過去作品を杉原さんが演出するだけあって、超豪華キャストが勢揃いといった舞台作品だった。以前から演技を拝見したことある著名実力俳優から、今話題の人気俳優、それから歌舞伎俳優やアンサンブルの演劇人まで幅広かった。
特筆したいキャストに絞って書き記しておく。

まずは、主人公のミズヲ役を演じた成田凌さん。今は映画やドラマで大活躍の売れっ子俳優であるが、舞台出演は今回が初めて。
堂々とした演技ではあった印象。しかし、台詞を飛ばしていたりちょっと舞台出演に慣れていない感じは否めなかった。終盤はかなり汗だくだくになっていて、疲労感も露骨に演技に現れていたので、まだまだ舞台俳優としては課題がありそうだが、常に全力で演技を出し切っている感じを強く感じたので、きっとこれから舞台俳優としても実力をつけて活躍されていくのだろうと思う。というか、それを期待したい。
役どころとしては、葬儀屋という古代王国の支配される市民の一人ではあるが、最初は人を葬ることによって金を稼ぐ、つまり人の「死」というものを軽く見た青年に思えていたが、ヒメ女に惹かれ彼女が犠牲になっていったことで「死」に対する考え方が一変していったこと。その成長を感じさせる点が非常に役どころとして好きだった。
葬儀屋は人が死ぬほど儲かるから良いが、王は人が死んでいくほど悲しいことになるという対比も印象に残って好きだった。これはヒメ女への優しさにつながる感想なのだが。

次にヒメ女役を演じた葵わかなさん。葵さんも今はドラマや映画など映像方面で大活躍の女優さん。舞台出演は今年(2022年)2月に上演された「冬のライオン」に続き2度目。
とても2度目の舞台出演とは思えないくらいの女王らしい迫力あって力強く、かといって可愛げもある素敵なヒメ女役を演じられていた。本当にびっくりするくらいの素晴らしい演技だった。
ヒメ女もミズヲ同様、この物語の中で逞しく成長していく。最初は、兄の死によって王座を嗣ぐことを拒むくらいか弱い王女だったが、パンドラの鐘を開いたことによって、鐘が鳴る度に人が死ぬことを知ってから、彼女の思想は変わり始めてゆく。そして、最後は王らしく他国からの侵略から民を守るべく自分自身が犠牲となる。まるで平和の神のような行動に心打たれる。
そんな女神のような若き女王を葵さんは力強く、そして可愛らしく演じ切っていた。これから大注目の舞台女優かもしれない。

今回の俳優陣の中で一番目を引いたキャストは、オズ役を演じた大鶴佐助さん。大鶴さんは劇団唐組の唐十郎さんの息子で、「オレステスとピュラデス」で好演だった大鶴義丹さんの弟にあたる。大鶴佐助さんの演技拝見は初めて。
まず大鶴さんの非常に声の高いこと。男性であるにも関わらずあそこまで甲高い声が出せることに素晴らしさを感じた。そして、彼がちょっとオーバーでもタマキに対する恋心を露骨に演じてみせるのが本当に個人的にツボだったし好きだった。ここが個人的MVPのポイント。
特にタマキがカナクギ教授の元を離れてオズの元にやってきて、彼にキスをする時が最高のデレ演技だった。本当にあれは好きだった。
それ以外でも、オズの損をし続けいているけど誠実さを貫き通しているキャラクターも好きだった。

そしてどうしても取り上げない訳にはいかない役者が、ハンニバル役を演じた劇団柿喰う客所属の玉置玲央さん。玉置さんの演技は、柿喰う客の本公演である「空鉄砲」以来5ヶ月ぶりの演技拝見。それ以前でも何回も演技を拝見している。
玉置さんは観劇する度にいつも違った側面を観せてくれる、本当にカメレオンのような役者である。
今回は、長髪のかつらを被ってヒメ女の側近役を演じていたが、ハンニバルという強そうな役名から想像もつかないようなひょうきんな役に笑ってしまった。刀を鞘から出して戦おうとするシーンがあるのだが、ハンニバルという名前からは想像もつかないくらい滑稽な戦い方をしていた。さらに物語後半では、非常に甲高い声と顔芸をされるシーンがあって、普通に吹いてしまった。玉置さんは本当に素晴らしい俳優さんだとつくづく思う。

年配のキャストで見ていくと、カナクギ教授役を演じていた片岡亀蔵さんは非常に貫禄があって良い演技をされていた。この方存じあげないなと思いながら観ていたのだが、歌舞伎俳優なのだと知って納得。
タマキが非常にカナクギ教授を誘惑して良い気分にさせられているシーンは、非常に上手かった。きっと片岡さん自身も前田敦子さんとあんな役が出来て普通に嬉しいのではないかな笑。

そんなタマキ役を演じた前田敦子さんは、昨年(2021年)6月にNODA・MAPの「フェイクスピア」で演技を拝見して以来2度目だが、非常に役としてはハマっていたのだが、あまりにも「フェイクスピア」で演じたキャラクターと全く一緒で笑ってしまった。まあハマっているので良いのだが。
それと、NODA・MAP特有のコンテンポラリーダンス的な身体表現のシーンでは、ちょっと体が硬い感じが演技を観て感じてしまった。アンサンブルの方たちが演劇畑出身でそういうのが上手いので、ちょっと目立ってしまっていた。

そして最後にアンサンブルの方たちだが、葬儀屋を演じていた方たちはどの方もみんな個性的で演技も素晴らしかった。特に、森田真和さんのちょっと背が低いけれど茶髪で動きがすばしっこい感じが非常に愛嬌あって好きだった。劇団ロロ所属の亀島一徳さんも、緑の髪にメガネって凄く浮いていたけれど、だからこそキャラが立っていて良かったと思う。劇団はえぎわ所属の山口航太さんの巨漢ぶりも好きだった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/480384/1834372


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

1999年、野田秀樹さんが大英博物館に飾られている展示品から着想を得て新作戯曲の執筆をしているときに、今は亡き演劇業界の大御所である蜷川幸雄さんから戯曲執筆依頼が来て、その時に野田さんがこの作品を野田演出と蜷川演出で同時上演しようと決めたそう。それが今でも語り継がれている、「パンドラの鐘」2作同時上演という演劇業界の一大事件だったのだそう。
世田谷パブリックシアターではNODA・MAP第7回公演ということで、野田さん演出でミズヲを堤真一さんが、ヒメ女を天海祐希さんが演じられたのだそう。一方で、当時蜷川さんが芸術監督を務めていたBunkamura シアターコクーンでは、蜷川さん演出でミズヲを勝村政信さんが、ヒメ女を大竹しのぶさんが演じられた。
この話を聞いただけで、1999年にタイムスリップしてその2作を観劇したくなる気持ちでいっぱいだが、それは置いておきそんな歴史的超大作を改めて杉原邦生さんが演出した意義について、この脚本の考察をしながら書いていきたいと思う。

この戯曲は、先述した通り天皇制への批判、そして大日本帝国への痛烈な批判と皮肉が込められたものとなっている。古代王国の若き女王ヒメ女は、自分の勝手な思い上がりからパンドラの鐘を開けてしまい、鐘の音が鳴る度に人が死んでいく、つまり国家権力によって大量の民が命を奪われていっている惨状を目の当たりにしたことによって、酷く心を痛めてしまう。古代の未来の国が侵略して来ることになり、これは国家を守るために多くの民を死なせてしまうと判断したヒメ女は、王自らが鐘に埋められ犠牲になることで民を救おうとした。
ヒメ女はきっと、これ以上民を国家のために死なせてはいけない、そしてその望みが未来にも通じたらという思いだったに違いない。しかし、太平洋戦争時の大日本帝国というのはそんな偉大な王にはならなかった。ここでは昭和天皇が王の立場にあたると思うのだが、天皇は自らを犠牲にすることはなく多くの日本兵を死なせる羽目となった。日本兵だけではない、多くの日本国民も犠牲になった。1945年8月9日、劇中では8月のある一日として登場するが、長崎には原爆が投下された。鐘に刻まれたタマキとオズの相合い傘が実はきのこ雲だったというのは非常に上手い演出であると同時に心が痛くなる演出である。
ヒメ女の願いは届かず、そしてタマキがアメリカへ帰る時の王が民を救ってくれるという台詞も、歴史を知っている私達にとっては意味をなさなかったことを皆よく知っている。太平洋戦争時の日本は決して古代王国と全く変わっておらず、王と国家を守るため「お国のために」犠牲となっていく。神風特攻隊として敵の航空機に突っ込む行動は、古代王国における王家のために生贄となって生き埋めにされる民たちと何も変わりはしない。人間どんなに科学技術を発達させようとも、権威の弱き者の犠牲という構造は何も変わってないという人類の罪の深さを感じてしまう。

この「パンドラの鐘」は、ギリシャ神話の「パンドラの箱」に由来していると考えられる。「パンドラの箱」はパンドラという女性が、決して開けてはならないと言われた神から授かった箱を好奇心から開けてしまったことで、様々な災いが飛び出してきて、それによって人類に犯罪や戦争、疫病がもたらされたという話である。今作で言うヒメ女が、好奇心から「パンドラの鐘」を開けてしまったが故に、他国からの侵略を受けることになったことと対応する。
しかし、このギリシャ神話での「パンドラの箱」では、災いが全て飛び出して箱の中にはエルピスだけが残されたとされている。エルピスというのは、hopeを表していて希望と解釈される事が多く、災いは人類に降り注ぐものの希望も人類の元に残っているという解釈が出来るとされている。これは「パンドラの鐘」でいうすなわち、ヒメ女が犠牲になって「パンドラの鐘」に閉じこもって埋められて残されたことによって、未来の平和への祈りだけは人類の手元に残されているということになる。ここに私たち人類の負の歴史からの希望が提示されている。

そして、最後パンドラの鐘はアメリカが持ち帰るという点が非常に興味深い。アメリカは戦後も今も世界で最も強い権力を持つ国家である。そのアメリカがパンドラの鐘を持ち帰る。未来の平和への希望と祈りはアメリカの動向に託されたと解釈出来るのではなかろうか。
アメリカが戦争を起こしてしまったら、人類は滅びてしまうかもしれない。実際太平洋戦争では、アメリカの手によって広島と長崎に原爆が落とされて非常に危険な状況まで戦争は迫っていた。未来への平和の行く末を担っているのはアメリカの軍事行動といっても差し支えない。

1999年に野田演出、蜷川演出でこの戯曲が上演された2年後の2001年9月11日に、世界貿易センタービルの同時多発テロが発生し、アメリカはイラク戦争へと進んでしまったことを考えると、このパンドラの鐘に秘められた未来への平和から遠ざかってしまったことに落胆するばかりである。
そして、2022年再び杉原演出として新しい形でこの戯曲は上演された。もちろん、蜷川幸雄さんの七回忌である今年(2022年)というのは、それだけでも蜷川さんゆかりの作品として再演される価値はあると思う。
しかし重要なのは、そこだけではないと思う。ロシアによるウクライナ侵攻によって、今ウクライナは悲惨な状況となっている。ロシアの思惑はわからないが、もしかしたらアメリカを刺激するための侵略なのかもしれない。もしこれにアメリカが反応して戦争が始まってしまったら、それこそ核戦争になりかねない。この作品を再演するということは、このウクライナ情勢という戦争に対してNOと主張する反戦作品とも捉えられる。
ヒメ女が未来へ託した平和、それを手元に残しているアメリカ。この願いが届いて世界平和が訪れることを願っている。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/480384/1834390


↓野田秀樹さん過去作品


↓杉原邦生さん演出作品


↓玉置玲央さん過去出演作品


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