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2020/08/08 舞台「赤鬼」 観劇レビュー

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公演タイトル:「赤鬼」
劇場:東京芸術劇場シアターイースト
作・演出:野田秀樹
出演:モーガン茉愛羅、六川裕史、的場祐太、川原田樹 他
公演期間:7/24〜8/16
個人評価:★★★★★★★☆☆☆


実は野田秀樹さん演出作品の観劇は初めて。
役者チームはA〜Dに分かれていて、Cチームを観劇。
とにかく役者たちから漲るエネルギッシュで躍動感のある演技に圧倒された95分間だった。全体的に役者の演技レベルは非常に高いのだが、特にヒロインの「あの女」を演じていたモーガン茉愛羅さんの透明感のある演技にずっと魅了されていた、素晴らしかった。
今作のテーマは「差別」「偏見」であるが、まさにコロナ時代にもこういった問題は顕在化しており、そこを上手く「アベノマスク」なんかを使って演出して脚色している点が見事だった。
「赤鬼」は今作品中では差別される対象だが、赤鬼と人間、通じる言葉もあれば通じない言葉もある。そして通じない言葉がそのワードなのかと辛く思ってしまうほど、奥が深くよく出来た脚本だった。
このタイミングで生の舞台として観劇できて心から良かったと思える傑作。


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【鑑賞動機】

野田秀樹さん演出作品を未だかつて拝見したことがなかったので、今作品はとばかりに観劇。
また「赤鬼」は、以前演劇活動をしている知人が上演したことのある作品で内容を薄々知っていたから。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

「はま」という海沿いの村があった。そこに兄・とんび(的場祐太)とその妹・通称あの女(モーガン茉愛羅)が暮らしていた。2人は他所から移り住んだ人間であるため周囲の村人からは距離を置かれていた。
とんびとあの女が住む家に、あの女に求婚する男ミズカネ(川原田樹)がやって来る。ミズカネは嘘を並べてあの女を口説こうとするも心を全く開いてくれない。
その「はま」という村に「赤鬼」(六川裕史)という怪物がやって来る。村人たちは恐れ大騒ぎする。あの女は偶然赤鬼と遭遇し恐怖する。赤鬼は日本語が分からず意味のわからない言語を喋るのでコミュニケーションが取れない。しかし、実は赤鬼は人を食い殺したりせず心優しい生き物なのだとあの女は悟っていく。

村人の赤子が赤鬼に奪われるという事件が発生する。村人たちは次は自分たちの赤子が奪われるのではないかと恐怖している中、あの女・とんび・ミズカネたちは赤鬼に近づいて行って赤子を返してもらうよう説得しに行く。赤子を抱えた赤鬼に出会い、あの女は徐々に赤鬼とコミュニケーションを取れるようになる。あの女は赤鬼の言語を理解しようと努力し、赤鬼の言語で赤子を返すよう説得することで無事赤子を取り戻すことができた。これであの女も村人の手助けをしたので受け入れてもらえるだろうと思っていた。

しかし違った。村人たちはあの女への感謝はそっちのけで赤鬼を退治しようと、赤鬼の住む「青の洞窟」に攻め掛かった。あの女たちはそれを必死で阻止しようと同じく「青の洞窟」に向かった。彼女たちが「青の洞窟」で見たものは、洞窟一面に広がっている幻想的な世界でとても心が安らぐ場所だった。

村人たちは一旦赤鬼が人を襲う怪物だという認識を捨てて襲わなくなったものの、赤鬼を受け入れる気持ちまでには至っていなかった。その間、あの女は赤鬼との仲を深めていく。あの女は赤鬼の言語を理解しようと務め、赤鬼は日本語を理解しようと務めた。中でも「大事(おおごと)」は赤鬼も人間も同じ発音・意味合いをもつ言葉だと分かった。しかし、赤鬼がやってきた海の「むこう」という言葉は、赤鬼の言語には存在しないようだった。まるで赤鬼には未来や希望・夢を表す言葉が存在しないかのようだった。
そうやって赤鬼との仲を深めていくあの女の光景を見たミズカネは嫉妬した。また村人の間ではあの女と赤鬼は「やった」のではないかという噂さえ広まっていた。

「はま」の村に、紙の入ったガラス瓶が大量に流れ着くようになっていた。実はこのガラス瓶は、大海原で船に乗っている赤鬼の仲間から、赤鬼に向かって合図を求める伝令で、赤鬼が「はま」の村から合図があったら仲間たちが一気に上陸するとのことだった。村人たちは赤鬼の群衆に「はま」の村を乗っ取られると思い、赤鬼とそして懇意にしているあの女を処刑することとした。

2人の処刑前夜、赤鬼・あの女・とんび・ミズカネの4人で船を出して「はま」の村を離れる。海の上を漂流する4人は食糧が尽きて苦しむ。特に赤鬼は花しか食べられないのでより深刻だった。やがて赤鬼は船の上で死んだ。あの女も瀕死状態で意識が朦朧としていた。ミズカネととんびは、赤鬼の肉を食べた。あの女にも赤鬼の肉をフカヒレだと嘘をついて食べさせた。

あの女・とんび・ミズカネの3人は生きて陸地にたどり着いた。あの女はたどり着いた陸地で看病される時フカヒレのスープを頂いた、しかしそのフカヒレスープは船の上で食べたフカヒレと全く違う味のするものだった。それによってあの女は船の上で食べたフカヒレは、実はフカヒレでなく赤鬼の肉であったことを知る。
あの女はミズカネたちに嘘をつかれた、そして寄りによってその嘘を今回ばかりは信じ込んでしまった。鬼が人間を食べるのではなく、人間が鬼を食べるのだった。あの女はその翌々日に自ら命を絶った。


なかなか最後は悲惨な物語の終わり方だった。おとぎ話のようだが、物凄く人種差別・コロナ時代による人間差別を想起させて他人事ではない印象を受けた。そして人間ってやっぱり恐ろしい生き物だなと思った。どんなに差別なく相手のことを考えようと務めても、自分が危機に瀕死たら自分のことしか考えられなくなる。人間の本質を無惨にも描いた傑作だと思う。観て良かった。


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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

素舞台なのに演出に非常に工夫が多く見られてさすが野田秀樹さんといったところ。大道具・小道具、照明、音響、演出の順で見ていく。

舞台の四方は全て客席、東京藝術劇場・シアターイーストの造りを上手く活かして舞台を配置していた印象。コロナ対策により、舞台の四方には透明のビニールシートが貼られていた。その外側に客席が80席弱(定かではない)ほど立ち並んでいる。
大道具・小道具で印象に残ったのは、丸テーブルのような台、脚の部分とテーブルのような平面が取り外し出来て場面によって様々な用途で使われた。例えば、船の上を表す演出は、この台の上に乗ることで表現されている。船を漕ぐような演技をすると台が傾くので、その不安定な感じが上手く船上を表現していて好きな演出だった。それ以外だと、赤鬼を閉じ込めようとする檻としても使われた。
それ以外だと、紙の入ったガラス瓶が天井から吊り下げられている演出も印象に残った。とても美しかった。また、序盤の村人が竹の棒を地に鳴らしながら登場するシーンもとても印象的で躍動感があって素敵だった。

照明は、よくもあそこまで素舞台なのに照明が映える舞台に仕上がるもんだなと感嘆した。特に印象に残ったシーンは、村人たちとあの女たちが「青の洞窟」に侵入した時の照明、あの鮮やかな黄色と青色と緑色が色とりどりに散りばめられて舞台床を照らすシーンはとても幻想的で好きだった。
また舞台後半で、赤鬼が「はま」の村に上陸した目的が村人たちに判明し、赤鬼の処刑が決まる時の夕陽の照明も好きだった。あの煌々と照らすオレンジ色の夕陽を表す照明もとても素敵だった。

音楽は所々流れていたと思うが、それほど目立ったBGMはかかっていなかった印象。それだけ、役者たちの演技だけで十分見応えのある舞台だったということだ。
また効果音も数多く使用されており、波の音が特に印象に残っている。

この作品は、非常に役者の身体表現を試されるような演出も多く、ダンスパフォーマンスとしても非常に見応えのある芝居だった。
例えば序盤の村人たちが、竹の棒を地面に叩き散らしながら駆け巡るシーンはとても圧巻だったが、一歩間違えると事故にもつながる危険な演出にも見えた。そこは稽古回数を重ねて怪我を起こさないように上手くやっていたのだろう。
また、どういったシーンの脈絡だったか忘れてしまったが、村人たちが手をぐちゃぐちゃしながらワーワー喚くシーンもあった。まるで伊藤キムさん演出作品の「踊ってから喋るか?喋ってから踊るか?」を彷彿させるようなワンシーンだった。
それから、最後の方に登場する、村人たちが2列になって一歩下がって前のめりに動くを繰り返す動きは、まるで静かな海の波を体現している演出ですごく印象に残った。どこかアマヤドリのダンスパフォーマンスを想起させるような演技だった。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今回の作品は本当に役者の演技力が高かった、とてもレベルが高かった。全く飽きずにむしろ食い入るように彼らの演技を堪能することが出来た。特にメインキャストのあの女・赤鬼・とんび・ミズカネを中心に見ていく。

まずはなんといってもあの女を熱演したモーガン茉愛羅さん、もう今作品のMVPといって良いほどの生命力あふれる演技に感動した。彼女の演技を見ているだけで作品に没入してしまう、そのくらい彼女の演技にには人を惹きつけるだけの魅力があったのだと思う。彼女の健気で凛々しい演技は、どこかジブリ作品のヒロイン(ナウシカやサンなど)のような雰囲気を感じ、透明感あふれていて美しいがたくましさも感じさせる演技がとても素晴らしかった。

次に赤鬼を演じた六川裕史さん、みんな白装束のような衣装なのに彼一人だけ全身赤いタイツのような衣装で臨んでいた存在感と仲間外れ感が否めず、それが非常に作品に対して良い意味をもたらしていた。そしてなんといってもあの独特な台詞回し、何語っていう訳ではないが次第に英語を喋っているような感じに聞こえて来る。その時になって初めて、観客視点では赤鬼の存在が近しい存在、理解し得る存在へと変化していく。そんな繊細な演出を上手く体現出来ていた六川さんの演技は本当に素晴らしかった。

あの女の兄貴・とんび役を演じていた的場祐太さんの演技も素晴らしかった、彼の喋り方はすごく独特でとても阿呆らしくすっとぼけた発言するので、この作品のコメディ要素を担っていた。そして彼によるモノローグシーンも多々あったが、なぜか結構印象に残ってくる。

今回男性俳優でとても好きになった役者が、ミズカネを演じた川原田樹さん。ミズカネは赤鬼とは対照的な存在であり、赤鬼が嘘偽りなくありのままで居続ける存在であるのに対し、ミズカネはあの女とヤりたいがために嘘と綺麗事だけを並べてあの女を口説こうとする、いわば欺瞞に満ちた存在だ。しかし個人的にはこのミズカネにもかなり魅力を感じた。手をグネグネさせながら早口で理路整然と言葉を並べる演技はとてもくせになって印象に残った。また顔面も濃くて髭を生やしている姿もとても印象的だった。

メインキャスト以外の村人たちも演技力が高くて魅力的な役者さんは沢山いた、名前のない役柄を演っていることが勿体ないくらいだ。八木光太郎さんの汗だくになりながら力強く竹の棒を地面に叩き散らす演技、上村聡さんのモノローグシーン、水口早香さんの赤子を奪われた時・返してもらえた時の母親らしい演技、どなただったか忘れましたが女性長老の演技、どれも印象に残っていてもっと芝居が見たいと思った。


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【舞台の深み】(※ネタバレあり)

「人間が一番恐ろしい」この作品を観終えて思った感想がそれだ。

人間は弱い生き物だ、集団を作らないとやっていけない。集団を作って自分たちを正当化し守ろうとする。そして部外者が入ってきたらバリア・壁を作って距離を置こうとする。「はま」の村人たちは赤鬼に対してよそ者扱いして嫌った。それは自分たちのコミュニティを守りたいがためだ。
そういった保守的な思想が過激になることで、赤鬼を処罰しよう殺そうという考えに至ってしまう。赤鬼は何も悪いことはしていない、ただ「はま」の村人とは違っていただけだ。その違いが差別を生み出し争いを生み出す。
さらに恐ろしいことは、人間は極限状態に置かれたら自分の命を守るために他者を犠牲にしてしまうことだ。あの女ととんびとミズカネは、死んだ赤鬼の肉を食べることで生きながらえてしまった。ある意味で村人たちと一緒だった。極限状態を回避するために、自分たちを守るために自分たちと異なる生物を犠牲にした。あの女はそんな残酷な事態に耐えきれず命を絶ってしまった。

そしてさらに恐ろしいことは、それが現実にも実際起こっているということ、そしてむしろコロナ時代に突入したことによって「差別」「偏見」といった人間の酷い本質がより露呈してしまっている。
自分たちの国にはコロナ患者を侵入させたくない、コロナに感染した人間を排除しようとする。これは通常時では互いに手を取り合って生きていこうという思想が、極限状態が迫って自分たちの身に危機が差し迫ったことによって、他者よりも自分たちが優先という発想が先行したことで芽生えてしまった差別だろう。
インターナショナル、国際社会、世界が手を取り合って歩みを進めていこうという社会は、こんなにも脆く崩れ去るものだったのか、人間とはそんなに弱い生き物だったのかということを痛感させる。

だからこそ、この「赤鬼」は今このタイミングで観劇出来て良かった作品だった。そしてそのメッセージ性は痛いほど身に染みて感じる。
劇中でも「アベノマスク」を使ってコロナ状況下の社会をモチーフにした演出も組み込まれている。まるでコロナに怯える我々は「はま」の村人そのものだ。
どうやったら人間は「差別」も「偏見」もなく平和に暮らすことができるのだろう、そういった深いテーマに根ざした本作品はやはり傑作なのだろう。


【写真引用元】

表紙写真:https://news.livedoor.com/article/detail/18104910/
劇中写真:https://natalie.mu/stage/news/389082


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