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「〇〇を買い与えない」子育て

テレビなどでお母さんが手作りしたおもちゃを与えるなど、様々な工夫をしてお金をかけずに子供の欲しいものを与えるというドキュメントを見たことがある。それはもちろんものを「買い与えない」という一つの方法となるのだが、ここでは「お金をかけずに欲しいものを作ってあげる」という内容からは少し外れ、「ものを買い与える事で葛藤し、それに対して金融教育を通じてどのような回答を得たか」というような内容を紹介していく。

買い与えるという葛藤とは

そもそも私は「ものを買い与える」という事は別に「悪いこと」だとは思わない。経済力の範囲であればそれは個々の家庭の判断で良いと思うからだ。

しかし、子供を教育するという立場に立ったときに、ものを買い与えるということに問いを持ち、なかなか答えを得ることが出来ないと感じていたことも事実である。

私の葛藤の一つは、欲しいものを買ってあげたいという気持ちと、なんでも買い与えるということが教育上良いのか悪いのか分からないという事だ。

さらに買い与えるとさらに「買って買って」となる事も想像に容易い。

しかしやはり欲しいと言われると買ってあげたいなという気持ちはどこかにあり、どうしたら気持ちよく買い与えてあげられるか?という事を考え続けているようにも思う。

「お小遣いを稼がせる」がきっかけを作る

今我が家の中1男子の長男と5歳児の長女は金融教育に取り組んでいる。そして家庭内でお小遣いを「稼ぐ」という学習を繰り返している。

お小遣いを「稼ぐ」という事はもちろんそのお小遣いを「使う」という行動に繋がる。

金融教育に取り組む上でこの「稼ぐ」と「使う」という二つのステップは金融教育の土台を作り出す。

さらにこの「稼ぐ」「使う」という行動を子供たちが繰り返す中、私自身の「買い与える」事に対する問いは無くなっていったのだ。

すなわち、子供たちはお小遣いを「稼いでいる」のでそのお金の中から「欲しいもの」を買えばよいという状況を自然と作り出すことに成功していたのだ。 
 
現時点で娘は「紫色のヒール(プリンセンスのサンダル)」が欲しいと言っている。今までであれば「いつ買ってくれるの?今日?明日?」となるような子供だった。しかし今は「稼ぐ」「使う」という事を繰り返す中、自然と「欲しいもの」は自分で「稼いだ」お小遣いで買うという事が身につき、「あと何ポイントで買える?あと何回寝たら買える?」と言うようになったのだ。

欲しいものを知ってもらう教育

私は欲しいものを手に入れるという事が生い立ちの中では大切な活動であると考えている。なぜならば、自分が欲しい物がどのようなものかを体験させる場でもあると考えているからだ。なので、欲しいものを買い与えないと自分の欲しいものを体験的に理解する事が出来ないのではと考えている節もあった。

これは自分に当てはめて考えている部分もあるのだが、大人になり、多少金銭的にもゆとりが出てきて欲しくて「買った」ものが実はたいして「欲しい物」ではなかったと気付く体験が背後にあったりする。

だからこそ、子供達には大人になるまでに自分の欲しいものをちゃんと理解して買えるような大人になって欲しいと願う気持ちがあったのだ。それは最終的には買い物の失敗や無駄遣いを減らす土台作りにも繋がるからだ。

欲しいものを自分で買い、自分が本当に欲しいものを理解していく

金融教育が進むことで子供たちは「欲しいものを自分で買う」という習慣を自然と身に着けていた。

金融教育に取り組み始めたころは自分が持っていた「買い与える」という問いに対し解決が得られることになるとは想像もしていなかった。

ただ、今は子供たちは自分の欲しいものを自分で買うという行動を繰り返し、自分が欲しい物の輪郭のようなものを少しずつ築き上げることが出来ているような気がする。

金融教育上、お金を使う上でも「失敗」が許される。

自分が欲しいものを理解出来るまではどんどん自分の欲しくないものを買えばいい。金融教育に取り組んでいれば、親がそう考える事さえ出来る余裕を与えてもくれる。

自分で稼いだお金だから自分で考えて使えば良いということなのだ。もちろんこれがひと段落すれば「お金を使わない」ことの大切さ、そして「貯める」「資産運用」の大切さに繋がっていくのである。 

「必要なもの」と「欲しいもの」の違いを知る

今年のお正月、必要なものと欲しいものの区別について中1男子の長男に教えたことがあった。これは13歳からの億万長者という本の中に書かれていた内容をそのまま教えた。

例えば水分を考えてみよう。水は生きていく為に必要である。水が無ければ死んでしまう。しかしジュースはどうだろう。水で水分が補給できるのであればジュースは欲しい物に分類することが出来る。このような例えだった。これを彼が欲しいと言っていたものに落とし込むと、バスケ用のズボンは既に持っている。しかし新しいものが欲しいのであればそれは「必要なもの」ではなく、「欲しい物」となる。

この話は金融教育的な話の内容であるので、「必要なもの」であればお金を使い、「欲しいもの」は我慢することで「お金を貯める」事に繋がっていくという話になる。

この「必要」と「欲しい物」というのは、子供にものを買ってあげるという問いにおいてヒントにはなった。

要は必要なものは親が買い与えてあげても良いという判断を持つことが出来たうえ、「必要なもの」とはそれがなくては生きていけないものとざっくりとであるが、輪郭のようなものを得ることが出来たのだ。

また必要なものは親が買い与え、欲しいものは自分で買うという方法が実際には金融教育的に見れば学びやすい方法になるのかなとも思えるようになったのである。

どうやって「ものを買い与えればよいのか?」という問いになんとなくではあるが、私なりに回答を得ることができたような気がしている。

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