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精神病院物語-ほしをみるひと 第三話

 今まで飲んでいた薬がいくつかなくなり、なくなった分の倍は増えていた。主治医によって薬が変わるということと、再入院すれば薬が増えるということがわかった。
 隣の部屋の患者がよく僕に声をかけにくる。龍の絵が描かれた青いシャツを着た恰幅の良い金髪のおじさんで、これもまた関わったことのないタイプの人だったが、世話焼きなのはよくわかった。
「なんだ、随分若いじゃねえか。滝内君っていうのか。可哀想にな。困ったことがあったらなんでも俺に聞けよ。隣の部屋だから」
 僕がろくに返事ができないので、面会に来ていた母がおじさんの相手をしていた。母がどれくらい入院しているのかと聞くと、おじさんは「もう七月から入ってる」と答えていた。
 七月、今は一月だぞ。半年以上も入院しているのか。そんなの、耐えられるのだろうか。
 僕はますます絶望を深め。ただ虚ろに天井を眺めていた。
 天井を眺める生活は嫌いだった。病気で学校を休む時、いつも天井を眺めていなければならない。どこの天井だろうと、そんなものをみている自分が良い状態なわけがなかった。
 それから四日程、ずっと点滴に繋がれていたが、なにかの薬が効いたのだろうか。徐々に震えはマシになり、少しずつ自分でご飯が食べられるようになってきた。
 金髪のおじさんこと高見沢はよく話しかけてきた。好意もあるのだろうが、この病棟にいる以上みんな暇を持て余している。患者同士の独自の社会ができているようにみえた。
「滝内君、元気になったじゃねえか。今度俺の部屋遊びに来いよ」
「はあ」
 気のない返事をしてしまった。別に同じ患者の部屋に特別入る必要などあるのだろうか。制限の厳しい病棟において、患者が持ち込めるものなどたかが知れている。
 高見沢は日中、ラジオを結構な音量でかけて時間をやり過ごしていた。あまり煩いという気にはならない。幻聴に比べたら余程ましで、僕はその音が鳴り響いている最中でも沼に沈むように眠ることができた。
 いるはずのないような場所で、僕は毎日を過ごす羽目になっている。十九歳の冬は温室の中で、厳しい震えに耐えざるを得なかった。
 どうしてこうなってしまったのだろう。
 何故いつも、僕の人生は劣勢に立たされるばかりなのだろう。
 駄目なりに一生懸命生きてきたのに、これが運命だというのだろうか。見るも悲惨な状況だが、なにか頑張っても抜け出せそうにない。だったら僕はこれから先、どのように生きていけばいいのだろう。
 部屋の外には長い廊下が広がっていた。歩いていけば、すぐに果てへと辿り着く。

 なにしろ知らない人ばかりの病棟にいるわけで、積極的にコミュニケーションを計るタイプでない僕は楽しくなんて過ごしようがなかった。
 だが有り余る時間をなにもしないで過ごすのは苦しい。手元にはヤングジャンプと何冊かの漫画。一冊の小説。筆記用具があった。少し調子のいい時はホールに出て、漫画の絵を鉛筆で模写するようになった。今日も白い机に画材を置き、緑色の椅子に座って描き始めた。
 ホールは広いが、人で埋まるのは食事の時間くらいだ。みんなそんなに元気ではないので、日中は閑散としていて、作業をするには気楽な場所だった。
 僕は絵が上手いわけでも、昔から描き続けてきたわけでもなかった。どう鉛筆を動かしても、小学生の落書きレベルの絵しか生み出せなかった。描いても描いても上手くなる気がせず、入院してから何度もチャレンジしてみたが、毎回下手くそな自分に萎えて、最後には疲れ切って病室に戻ってしまうことを繰り返していた。その過程になんら楽しみはなく、苦痛でしかなかった。
 しかし……世のハイクオリティなエンターテインメントには優れたビジュアルが付き物だ。絵を描ける人はそれこそ綺羅星の如くいる。漫画の模写くらいできないはずがないのだ。
 だが病気になってから、集中力がなくなり、絵を描く力が落ちたように感じる。
 もし病気になる前に頑張っていたら、もっと早く上手になったのではないか。もう健康な自分に戻れはしないだろう。「今更自分はなにをやっているのだ。もう駄目だ」と愚にもつかぬような事を、繰り言のように呟いていた。(つづく)

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