見出し画像

21歳まで誰にも悩みを打ち明けられなかった僕が、「自分から自己開示する」という信念を持つようになるまで

都内の大企業での競争に疲弊したことをキッカケに、他人が創ったヒエラルキーの中で優秀であろうとすることをやめ、地方移住して新たな生き方&社会での生き場所を創っている山田です。

僕は、いま勤めている障害福祉事業を軸とするベンチャー企業を今月末で退職し、人生相談(ライフコーチング)の個人事業を育てていきます。
世の中に目を向けると、「人生相談」というラベルでなくとも「コーチング」「カウンセリング」など色んな有料の対話サービスを提供されていらっしゃる方がいますよね。
僕自身、他の方になくて僕だからこそできることを考える中で1つ見つけたのが、僕の「自己開示の力」

過去の嫌な経験、コンプレックス、今困っていることなどなど、もちろん時と場所を僕も選ぶようにしていますが、周囲にいる人が面白がるくらいに僕は自分について開示したがるところがあります。
ただ、元々このような姿勢があったわけではありません。

僕は今31歳ですが、10年前21歳の時に初めて手にした姿勢でした。
今回は、21歳まで誰にも悩みを打ち明けられなかった僕が、「自分から自己開示する」という信念を持つようになるまでを記事にしていきたいと思います。
今、当時の自分のように、誰にも悩みを打ち明けられなくて苦しんでいる方に、少しでも役立てれば嬉しいです。

■僕の信念「自分から自己開示する」

一口に「自己開示」といっても、「自己」には様々な開示できる情報がありますよね。

ここでイメージしているのは、「『他人に言うと引かれる・つけ込まれるのではないか』と感じるような自分のダークサイド<過去の辛い経験、抱えている劣等感、いま困っていること、自分の弱み、等>」。

僕は21歳のとき、就職活動を通じて「自分から自己開示する」という人間関係における信念を持つようになりました。

僕自身、自己開示をできるようになってからすごく生き心地が良くなりました。
ちなみに「自分から自己開示する」目的は、「周囲・相手が、安心して自己開示できるようにするため」
それによって、相手への押し付け・強制感が出ては良くないので注意すべきですが、僕から先に外面を外して自分の内面を曝すことを通じて、相手に安心感を持ってほしいと思っています。

■自分1人で悩みを抱え続けた孤独な10代

21歳の時に持った信念に反して、僕は元々人に対して自分のダークサイドを曝すのが苦手な人間だったように思います。
その背景には、「周囲からどう思われるか?」「自分のキャラクターから反していないか?」「人からガッカリされたくない」という考えがありました。

小学生の時は「笑顔の人気者」というクラスでのキャラクターに反する「弟と喧嘩するような姿」「小学校以外のコミュニティではアウェー感から大人しい姿」をなるべく僕のことを良く思ってくれている友人に知られたくありませんでした。

中学時代にクラスメイトからいじめられていた時も、「イジメられている自分」を認めたくなくて、人に相談することができませんでした。
『イジメられていることを親へ伝えれば、父は母親の教育のせいだと母を責め、精神的に弱かった母は落ち込んでしまうに違いない』と考え、親にも相談することができずに、1人で抱えて
いました。

高校生のときに不安障害・強迫性障害を患ったときも、明らか症状が出る前と後で日々の感覚が違っていたにも関わらず、何とか自分の中でもみ消そうと、無いことにしようと努めていました。

大学に進学して東京に出て、自分自身の中で黒歴史であった中高時代を無かったことにしようとして、僕の悩みは深みを増しました。
『陰キャラだと思われたくない』と人前ではテンションが高い自分しか見せず、高校生の時から患っていた不安障害・強迫性障害の症状が出ると、1人暮らしの家で1人苦しんでいました。

こうやって思い返してみると、本当に僕には信頼できるような人間関係が無く、1人孤独だったなと改めて感じます。

■変化したキッカケは何だったか?

ずっと悩みや弱みを1人で抱え込み苦しんでいた僕が変化したキッカケは、21歳・大学3年生の時に取り組んだ就職活動でした。
企業に勤めながら僕が通っていた大学の非常勤講師として授業を持たれていた恩師との出会いが僕の人生を変えました。

300-400名規模の授業ではありましたが、授業の後にその先生へ話しかけにいき、その後個別でメールしたりその先生が勤めている会社へ訪問したりして僕の就職活動を応援していただきました。

就職活動の中で、多くの学生は企業へ自分自身を訴求するために「自己分析」を行います。
「自己分析」とは、自分の過去を振り返り、企業へアピールできる具体的なエピソードやそのエピソードを通じて訴求できる再現性ある自分の強みを言語化したり、自分がやりたいこと・興味を持つことを言語化したりするものです。

僕は自己分析を行う中で、企業へ訴求するための情報を言語化することよりも、自分自身の人生を振り返る中で「自分が過去に向き合わずに蓋をしてしまったこと」「自分の人生が苦しい理由」など、働くことに限らず人生全般に関連する自分のテーマに着眼しました。
それによって結果的に2年間就職活動に取り組むことになるのですが、その時間は10年経った今から考えても素晴らしく、当時の自分に感謝しかありません。

■13歳から先延ばしにしていた自己開示を、21歳でようやくできた

就職活動中、その恩師からの「これまでの人生でも、逃げてきたことがたくさんあったんじゃないか?」という言葉で僕はスイッチが入りました。

まずは、大学時代に僕が部長をしていたフリーマガジンサークルの副部長への自己開示。
上っ面の関係ではなく信頼し合える関係を築きたいと思い、「その副部長の僕に対する口の悪さが苦手だったこと」「腹割った関わりができず、部長であったのに引退までの数か月は完全にサークル活動から腰が引けていたこと」など、副部長として本人の学生生活を懸けて一緒に活動してくれていた中で不誠実な関わりしかできなかったことを詫び、その時僕自身が生まれ変わろうとしていることを伝えました。
結果、本人も僕の挑戦を応援してくれており、意外にも部長としての僕を買ってくれていたことが判明し、それまで僕の中に合った本人に対する壁が崩れ落ちました。

その体験がすごく僕にとっては感動的で、それに味をしめた僕は、他にも僕が信頼できていなかったばっかりに、心の中で壁を作ってしまっていた人へ自分の想いを伝えることを始めました。

中学時代にイジメられていたことを伝えられていなかった両親。
小学校の時の「明るい人気者な山田くん」のイメージを壊したくなくて、卒業以来意識的に疎遠になっていた出身小学校の先生たち。
何より、僕の人生における暗黒時代だった中高一貫校時代に、その中でも自分に対してよく面倒を見てくれていた数学の先生。

就職活動をキッカケに、僕は人生の中で僕から壁を作っていた色んな方々に対して、自分からその壁を壊しにいくことを行い、それを通じてたくさん涙を流し、その人たちと改めて深い関係を築くことができたのです。

■僕はこれからの人生においても「自分から自己開示する」をやり続けたい


長くなってしまいましたが、僕はここまで書いてきたように21歳の時に自己開示をするようになり、それを通じて自分自身が楽になれたり、周囲から応援してもらえたりという成功体験を大量にするようになりました。

もちろん、相手への押し付けにはなっては良くないので、伝え方・タイミング・ヒトなどは選びますが、今も年々自己開示した上でお互い深く信頼関係を築ける人が増えていっているように感じています。

相手に強制するためではなく、僕自身が自分から心理的な壁を壊し相手のことを信頼していることを表現したい。
だから僕は「自分から自己開示する」をこれからも信念として大切にしていきたいと思います。

長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?