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日本とつながる(全100話)

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2020年6月の記事一覧

日本とのつながり50〜イスラーム王朝〜

8世紀はイスラーム勢力の拡大が著しい。
西に向けては北アフリカを支配後、711年にイベリア半島を征服している。
そして、732年にフランク王国のカール=マルテルと激突する。
この戦いにフランク王国は勝利し、西ヨーロッパのキリスト教世界は防衛された。
とはいえ、イスラーム勢力はイベリア半島にとどまっている。

東に目を向ければ、中国では玄宗が即位し、唐帝国が全盛期を迎えつつあった。
しかし、751年

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日本とのつながり49〜女神〜

沖ノ島は古代より神聖視されてきた島である。
この島にある宗像大社には航海の安全を祈る女神が祀られている。

古代祭祀の痕跡が残され、銅鏡や金製指輪など約8万点もの奉納品が出土している。

百済との交流を深めていた大和朝廷は、この地域の豪族の航海技術を頼った。
九州本土には、この豪族の古墳も見られる。

一方、カンボジアのアンコールの遺跡ではヒンドゥー教・仏教の世界観が表現されている。

「女の砦」

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日本とのつながり48〜一大勢力〜

7世紀の世界を見ていこう。
610年頃ムハンマドがアッラーからの啓示を受けたとされる。
そして、632年にはイスラーム教によるアラブ帝国が創始される。
この新しい一神教は征服活動を伴いながら、急速に広がった。
快進撃といってよく、642年にニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシアを滅ぼしている。

一方、中国では高祖が618年に唐を建国し、都の長安は大いに栄えた。
また、玄奘がインドへの大旅行から帰

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日本とのつながり47〜銀の世界〜

島根県の石見銀山はかつて世界の銀生産の約3分の1を産出したという。
ヨーロッパ人にとっても日本は注目の的であったろう。
それは国内でも同じだ。
戦国時代には山の領有をめぐって3氏が争った。
銀の積出港を持ち、温泉もある。

一方、ペルーのポトシ銀山も世界最大級の銀鉱脈を持つ。
17世期半ばまでに世界の銀産出量の半分を産出し、銀は世界中に流通した。

この両山は世界各国の流通基盤を変革させたという意

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日本とのつながり46〜強国〜

6世紀を見ていこう。
ユスティニアヌス帝がローマ帝国の再興を図り、地中海帝国を実現している。
ローマ法の集大成である『ローマ法大全』を完成させ、ハギア=ソフィア聖堂をコンスタンティノープルを建立している。
この聖堂はビザンツ様式の代表例とされる。

ビザンツ帝国はササン朝ペルシアの最盛期の王ホスロー1世との抗争を繰り返した。

一方、アジアでは581年に隋が中国を統一している。
538年頃、日本に

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日本とのつながり45〜世界観〜

岩手県南部平泉はかつて浄土の都だった。
金と馬が産出されるこの地は、大きな経済力を誇り、かつては京都に比肩しうる街であった。
京都の平等院鳳凰堂を模した阿弥陀堂や浄土式庭園も建設され、極楽浄土の世界を現出していた。
しかし、後の災禍でほとんどの建物が焼失してしまった。

一方、インド中西部に位置するエローラーの石窟寺院も卓越した世界観を生み出している。

この寺院群の中でも、圧巻はヒンドゥー教のカ

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日本とのつながり44〜乱立〜

5世紀はゲルマン人の大移動が始まり、476年に西ローマ帝国を滅ぼす。
481年には、ゲルマン民族の一部族であったフランク族のクローヴィスが即位し、北イタリアからフランスにかけて支配した。
彼はカトリックに改宗し、支持を広げた。
いわゆるフランク王国の誕生である。
しかし、この時のヨーロッパは他のゲルマン人による王国が乱立している状態だ。

一方、中国は南北朝時代。
日本では478年に雄略天皇が南朝

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日本とのつながり43〜神々しさ〜

ギリシャのメテオラには高さ20〜400mの尖塔状の岩塊と岩の上に築かれた修道院が24棟見られる。

これは11世紀ごろにギリシャ正教の修道士たちが移住してできたものだ。
メテオラは神への祈りと瞑想に没頭したい修道士たちにとって理想郷といえる場所だった。

修道院は縄ばしごや滑車を使い、命がけで建築された。
そして、より天に近い場所で神と向き合うことを目指した。

日本にも優美な寺院がある。
法隆寺

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日本とのつながり42〜分裂〜

4世紀を見ていこう。
ローマ帝国では313年にミラノ勅令が発布され、キリスト教が公認され、392年にはキリスト教が国教化された。

あのキリスト教が最初は弾圧の対象だったことは、歴史で学べる興味深い事実だ。

330年にはコンスタンティノープル(改称名)が首都となり、395年にはローマ帝国が分裂するに至る。

インドでは320年頃グプタ朝が登場。
200年ほど存続する。
ギリシア文化からの影響を脱

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日本とのつながり41〜海〜

広島の厳島神社は海上に浮かぶ。
平安時代末期には平清盛が宋との貿易をさかんに行ったことから、航海の守護神を祀る神社として整備されていった。

境内には日本で唯一の海に浮かぶ能舞台がある。
4本の控え柱を持つ大鳥居は約60tあり、地面に固定されずに自重で立っている。

一方、ベトナムの古都ホイアンにはかつて日本人が暮らした名残が残る。
日本の職人が建てたカラウイヴィエン橋は有名だ。

この町もまた、

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日本とのつながり40〜賑わい〜

3世紀、ローマ帝国では軍人皇帝時代が訪れた後、ディオクレティアヌス帝が4分統治を行なっている。

一方、イランでは224年にササン朝ペルシアが起こり、インドのクシャーナ朝を滅ぼしている。
さらに、241年にはメソポタミアを占領し、260年にはローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕らえている。

中国では220年に後漢が滅び、三国時代を迎えたあと、265年に晋が中国を統一したが50年ほどで滅び、動乱の時代が訪

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日本とのつながり39〜豊かな水〜

北海道の知床半島は長さ約70km、幅約25kmの細長い半島である。
中心部を1500m級の山々が貫く。
このため、半島の東西では気候が大きく異なり、夏のオホーツク海側は高温で降水量が少なく、太平洋側は低温で降水量が多い。
そして、この一帯は地球上で最も低い緯度で流氷が見られる地域でもある。
このような独特の自然条件は、山と海が相互に結びついた食物連鎖を生み出した。

一方、中国の九寨溝渓谷では湖沼

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日本とのつながり38〜文化〜

1世紀を見ていこう。
ローマ帝国は五賢帝時代を迎え、「パクス=ロマーナ」(ローマの平和)が訪れる。
98年にはトラヤヌス帝が即位し、メソポタミアの征服に成功し、ローマ帝国の領土は最大となった。

一方、インドでもクシャーナ朝が最盛期を迎える。
130年頃にカニシカ王が即位し、仏教を保護し、東西貿易で繁栄した。
ギリシア的要素の強いガンダーラ美術も発達した。

中国では105年に後漢の蔡倫によって製

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日本とのつながり37〜ブナ林〜

ドイツ、スロヴァキア、ウクライナには原始の姿を残すブナ林が見られる。
キンメフクロウなども生息している。

ドイツでは15カ所が登録され、その面積は360㎢にもなる。

古城やビールのみならず美しい自然も味わいたい。

日本の白神山地でもブナの原生林が見られる。
これは氷河に覆われることと人里離れた険しい山岳地であったことが大きい。
この山地は隆起の速度が速く、多様な植生を生み出した。

クモゲラ

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