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雨上がり、美容室に向かう足取りは軽い

雨が好きな人が羨ましい。雨の音が心地良いと感じたり、湿気の香りを楽しんだりできる人は、雨の日、どんな気持ちで朝目覚めるのだろうか。窓の外から、雨がベランダや地面を打つ音を聞いて、何を感じるのだろうか。

今日は雨がひどい。気圧を調べると「気圧が低くなるので要注意」という言葉が表示され、困ったな、と思う。気圧についてあまり詳しくなくて、「低気圧がどういう状態なのか」「どれくらいの気圧だと体に影響があるのか」を細かく拾えないのだけど、雨の音が聞こえると、それだけで気分が少し暗くなるような気がする。



週末、初めてオンラインでカウンセリングを受けてみた。

心療内科でいつもの診療とカウンセリングを受けた後だったけど、どうも劣等感や自己否定感が酷かった。「映画館に行きたい」「カフェで本を読みたい」という思いが脳の隅っこで座っているのには気付いていたけど、そのまま家に帰った。

心がグズグズして、ギクシャクして、したいことにも集中でいない気がした。何度も経験したこの感覚。グズグズ、ギクシャク、イライラ、モヤモヤ、ザワザワ。何かがあった訳ではない。鮮明な形をした気持ちではない。でも、「うるさい」とまではいかないけど、何かがずっと微動している。

電車で隣に座った人のイヤフォンから、激しめの音楽が漏れているような感覚。はっきりと聞こえる訳ではない。流れているのは激しいなんだろうなと識別できるけど、「うるさい」とまでは感じない。でも「電車の中」という静けさを(比較的)求められる空間だから、漏れた音が鼓膜をちょっとだけ揺らして、気持ちが悪い。そんな感覚かもしれない。

「カフェに行って本を読めば落ち着くかな」と思ったけど、カフェで書籍を片手に、ソワソワする自分が容易に想像できた。もしかしたら集中できて、心も落ち着いたかもしれない。けど、(別にマナー違反なほど大きな声で話している訳でもないのに)カフェで誰かの会話が鼓膜を揺らして、神経が繊細に反応して、紙面の文字に集中できず、楽しみたいことを楽しめない自分にイライラして......と、自分疲れが起きそうだった。

夕方頃、家に着き、眠っている猫に挨拶する。デスクに座り、本を開く。うまく読み進められない。心はざわざわしているし、否定的な思考が浮かぶ。嫉妬し、嫉妬している自分が気持ち悪くて、嫌になる。もう何年も経っているのに、過去を訪れ、自分が、世界が嫌になる。

『死ぬまで生きる日記』という本を読んだのを思い出した。著者がカウンセラーと話しながら、毎日の「死にたい」という気持ちに向き合うエッセイ。はっきりと「なぜ」が分からないけど、毎日漠然と、「死にたい」と感じる。カウンセラーの問いや言葉で、著者が今まで知らなかった、心理の奥底を掘っていく。カウンセラーとの距離も変わり、変化の中で、嘆きや発見がある。

そうだ、僕もオンラインでカウンセリングを受けてみよう、と思い立った。前から気になっていた、カウンセリングサービスのウェブサイトを開く。紹介文やレビューなどを参考にしながらカウンセラーを探し、30分後に開始できるオンラインセッションを見つかって、予約期限ギリギリだったので、急いで予約した。

そのエッセイの中では、何回もカウンセリングをして、著者とカウンセラーの共同作業で、ゆっくりと問題を明らかにして、ゆっくりと向き合い方を探っていた。今、一回カウンセリングを受けただけで、僕の中の心地悪さがどうにかなる訳でもない。

カウンセラーを探しながら、少しだけ躊躇う自分がいた。うまく話せないような気がして、自己否定感の歪さに向き合うのが怖くて、「アラサーになっても、下らないコンプレックスを持っている」と気持ち悪くなって、何度も迷った。でも、今なら向き合う元気がある気がした。一度やってみて、しんどかったら次はやめておけばいい、そう思って、予約確定ボタンを押した。

カウンセリングの中で、うまく話せたか分からない。支離滅裂だったかもしれない。普段誰にも話さないようなことだったから、詰まりながら、自分でも自分の気持ちがよく分からないまま、話した。恥ずかしくて情けないような気持ちがあったからか、開示しているときはカウンセラーの顔を見られない。それでもカウンセラーの方が、ときどき丁寧に、相槌を打ってくれる。

今の健康や就業の状態。朝目覚めて、「こんな気持ちが続くなら死にたい」と思い涙する日がよくあること。何も起きていないのに、ふとした瞬間、過去の嫌な出来事を脳内で再生すること。恋愛・性愛のコンプレックスで意識が一杯になって内臓が捻れる感覚が生まれること。ちょっとした出来事や人の反応に過敏になり、過度に落ち込むこと。

話しているときの僕は、頼りない様子だったと思う。はっきりとは意識していなかったけど、「こんなこと話して大丈夫なのか」「30代にもなって、気持ち悪い悩みではないだろうか」と、ビクビクしながら、蛇口からチョロチョロと水をこぼすように、言葉を発していたと思う。

カウンセラーは、色々と質問を重ねながら、助言をくれた。今復職している時点でまずは素晴らしいことだと自覚してほしい。もしグルグルとした思考から抜け出せないなら、軽く体を動かしてほしい。気力が必要だけど、「どんな人に反応し、どんな人なら大丈夫か」を分析してみてほしい。自分が「こうありたい」という姿を描いて、見極めて、ゆっくりでいいからその方向に進んでほしい。

僕はやはり、現実をそのままの通りに見ることができていない。思い込みやコンプレックスに塗れて、グニャグニャと現実を歪曲している。否定的な思考の沼に溺れ、自分を否定する材料を積極的に集め、目の前の現実をありのままに味わえず、境界線が曖昧なまま人に依存している。

人間みんな、思い込みを持っている。人間だから、ネガティブなことに目を向け、承認されたくて、愛されたくて必死になる。でも歪みが大きすぎると、生活・健康に支障をきたす。僕は、自分の”過度にグニャグニャに歪曲するレンズ”を、少しずつ、よくしていきたいと思う。

発作みたいに否定的な思考が現れるのは仕方ない。選択的に悪いことに目を向けてしまうのも仕方ない。人に嫌われるのを過度に恐れて、自分に蓋をするのも仕方ない。人間関係や恋愛のコンプレックスで胃がキリキリするのも仕方ない。

でも、本当に「仕方ない」という言葉だけで片付けていいのだろうか。いつまでも、空虚な苦しみに、今までと同じようにがんじがらめにされたいのだろうか。鬱が酷いときは、「仕方ない、休もう」でいいと思う。でも少しずつ鬱が良くなってきている今、ゆっくりでいいから、どうにか変えたい。

僕自身を檻から出してやりたい。僕が作り出した窮屈で、鬱憤塗れでの檻。檻が制限する、小さい空間でずっと過ごして、頭と体がひどく凝り固まってしまった。解放させたい。生きること、誰のものでもない僕自身の使命を味わいたい。これから、僕を取り戻したい。手放して、しがみついて、執着と執念、幻想と理想の間を行ったり来たりして、「なんだかんだ踏ん張ってよかった」と、いつか思いたい。もう一度、僕を創っていきたい。



仕事を終えて、美容室に向かう。雨はあがっていた。最後に髪を切ったのは、一年の離職を経て、仕事を探し始めるときだった。当時は、長い間髪を切っていなかった。履歴書や面接のために、少しサッパリしたくて、1000円カットに行った。そして、面接に落ち続けた。精神を病んでしまった自分を恨み、生活費がもうすぐ無くなる不安と焦りに押し潰されそうだった。あれから、まだ数ヶ月しか経っていない。

この鬱という不安定な船が、いつ転覆するか分からない。いつまた精神が蝕まれて、気力を喪失するか分からない。仕事が続くかも分からないし、生活が安定しているなんて言えない。「死にたい」という気持ちは治っていない。けど、今、久しぶりに美容室に向かう足取りは軽くて、横を通った立ち飲み屋も、雑貨を売っている小さい個人商店も、カラフルに見える。

住宅が並んだ列の中にポツンとあった美容室は、柔らかい光を放っている。大きな窓から見える美容室の中は、不要なものがなく、落ち着いた色合いの内装で、穏やかな空気が充満しているように見える。午前中に僕の心を陰鬱にした、雨が地面や屋根を打つ音は、消えていた。

雨は好きじゃない。でも雨が上がった後の、この路地の夜の匂いは、好きかもしれない。そう思いながら、僕は美容室の扉を開け、柔らかい光の中に入った。これから僕は、どんな自分に移り変わってゆくのだろうか。

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