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そういうふうに正当化して僕は僕の日常を送っている

先日見舞ったときの母は、
話しかけても目を覚ますことがなく
僕が横に居る40分ほど眠ったままで。
時折口をパクパクしてみたり、
腕をくねらせるように動かしてみたり。
夢を見てるのか、苦しいのか。 
ただ、
眠っている方が苦しさからは逃れられる、
そう思うから
無理に起こすことはせずに
そのまま病院を後にした。

病院を出てから
いろんな思いが湧いてくる。
いや、ここのところずっと考えてる。

7年前に喉の癌で声帯を取った母は、
それから声が出せない。
意思疎通もはがゆいことだったろう。
認知も進んでいるので、
会話もさて通じてるのか通じてないのか
本当のところ判断も難しい。

母はもともと結婚していない中で
僕を妊娠し、産むと決め、一人で育てた。
その僕は20歳の時、
就職のため和歌山の実家を出て大阪に。
そこでいろんな基盤が出来た。

30歳になるころに、
母から、
和歌山に帰って来たらどうかと話された。
当時の僕は、
和歌山のような田舎に帰っても
やりたい仕事がない、
送りたい生活も送れないから、と
それを拒んだ。
ご近所さんとのお付き合いこそあるとはいえ
母はずっと一人で暮らしてきた。

僕は数年に1回程度、
酷い時は10年くらい帰らないこともあった。
決して仲が悪いわけではなくて、 
誕生日だの、母の日だの、
台風が来ただの、そんな時に電話をして
声を聴いたりはする、そんな年月だった。

40歳になったころくらいだったか、
僕は名古屋に引っ越していて
たまたま和歌山に帰省したときに話した。
自分のところに来るか?と。
すると、母はこのままでいいと答えた。

遠くには行きたくないし、
お前はお前のやりたいようにやればいいよ。
 
そんな答えだった。
当時、僕は
他の地域への移住も検討していたので
さらに聴いてみた。
いまの名古屋からでも
和歌山の実家まで4時間ほどかかる。
例えば
もっと遠いところに引っ越したりすれば
もっと時間がかかるだろう。
もしものことがあった場合、 
間に合わないこともあるかもしれないよ。
死に目に会えない、
ってこともあるかもしれないよ、と。
母はそれでいいと言った。
でも本当は寂しかったかもな。

母は自分で葬儀屋との契約も済ませていた。
7年前に癌になり、
術後に帰宅したときに、
僕にその書類を渡した。
通帳も印鑑も僕が預かることになった。
大きなことがなければ、
その預金と年金でやっていけるくらいの用意を
ちゃんとしてたんだ。

口では無く、穴を開けた喉から呼吸しているので
痰が詰まると呼吸が止まる。
周囲からは施設入居を勧められたけど、
どうしても自分の家で暮らしたいと言う母に、
それを尊重したくて
僕はいくつか手配することにした。
自治体に連絡してケアマネさんを選定し、
訪問看護と訪問介護サービスを探した。
毎日最低1回は誰かが見てくれるように。
送り迎えのデイサービスも手配した。
セコムも設置して、
呼吸が苦しくなるようなことがあれば
ペンダントのボタンを押せば
自動的に駆けつけてもらえるよう契約をした。

そして開始の数日前に、
すべての関係者に実家に集まってもらい、
母の気持ちを尊重したいことを理解してもらい
チームとして見守って欲しいことをお願いし、
LINEグループを(半ば強制的に)組んで、
日々の様子を共有してもらえるよう働きかけて。
「しくみ」を組めるだけ組んで、
あとは自分の送りたい生活を送ってもらえるよう
そんな気持ちだった。

母は
他人からあまり干渉されたくないタイプ。
僕も干渉されたくないし、したくないので 
母と僕にとっては
いい距離感で暮らしてきたんだと思う。

その後数年して、関西の豪雨があった際に
実家の屋根が破損し、
住めなくなってしまったのをきっかけに
認知症も少しあったこともあって
施設に引っ越すことになった。
退院から5年ほど安定した生活をしていた中での
今回の入院なんだよね。
 

 
でも、ときどき自分を責めてしまう。
ぼくは冷たいんだろうか。
いま近くに住んでいたら
なにか違ったんだろうか。

かといって、
近くに住んでいたからといって、
面会制限のある昨今の病院で、
僕に何か具体的なことができるわけでもない。
お見舞いに行って本人と話したいというのは
こちら側の自己満足。
受け答えするのもしんどいなら、
静かに眠っていた方が楽だろう。
だから
何度も呼びかけて起こしたいとは思わない。

口をパクパクしたり、身体をくねらせてる母は
赤ん坊が眠ってる時の仕草のようにも見えたな。
でもわからない、
苦しみと闘ってるのかもしれない。

延命治療の実際についても詳細を聞いた。
もしも命を終わろうとするときに、
僕が到着するその瞬間まで
心臓マッサージを続けて、
そこまで苦しむようなことはしなくていい。
自然と呼吸が止まり命を終えるのなら
そのまま静かに終わらせてあげよう、と。

「あの時、産むと決めてくれてありがとうね。」
と、意識のあった母に伝えることはできたから。

でも、1分1秒でも長く
母の近くにいてやればいいの?
でもでも、週3で透析をしてる僕が
連日母のところに居るのは無理だよな。
でも、これは言い訳?



そんな思いを繰り返して、
そういうふうに正当化して
僕は僕の日常を送っている。

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