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これまでの自分

2013年8月末に日本を出国し、初めてヨーロッパの地に。

そしてバルセロナに来て10年が経ち、今年で在住11年目。

今回はバルセロナでの自分の10年間(2013年〜2023年)を簡単に振り返ってまとめようと思います。

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2013年(20歳)
サッカー留学プログラムを通して渡西。
プログラム通り、バルセロナでサッカーしてスペイン語を勉強する生活。
同時に夜遊びも覚え始めた影響で徐々にそっち重視の生活に傾き始めた1年。

2014年
1年経ち、空気を変えたいと感じ、語学学校を変える&シェアハウスも引っ越し。加えて、韓国語を喋れるのは強みだということに海外に出て、初めて気づき、韓国人らが通う教会に顔を出し、友達作るも韓国語が下手過ぎて全然喋れず、結局スペイン語で意思疎通。謎にスペイン語が伸びる。韓国語も徐々に上達。みんなで夜遊びしたり、サッカーしたりと、とにかく楽しく遊んだ。

2015年
サッカーしにスペインに来た同い年の韓国人に出会い、仲良くなる。その子を通じて韓国に繋がりができる。仕事になるのでは?と考え始める。

2016年
韓国人選手(当時15歳)の長期サッカー留学を初めて斡旋。癖の強い親には年中、苦戦したけど、なんとか続けた。
その後も3件ほど短期サッカー留学をコーディネートした。ただ、色々と問題があり、報酬が支払われないなど、仕事面は結構トラブルが多かった。

2017年
韓国に年に3-4回行った年。日本滞在時は短期バイト。韓国人の短期留学がある時にスペインの滞在。韓国案件の仕事を増やすために動き、指導者や保護者と交流。その甲斐あって翌年に長期留学の案件が手に入り、スタート。

2018年
自分なりに探り探りサポートしたけど、詰めの甘さや価値観の違い、自分の適当な部分が仇となりサポート選手達の保護者との関係が上手くいかず、苦しむ。辛かった。
そんな中でも良かったことがあった。それは、他にも短期留学をコーディネートして、経験を積めたこと。それと自分が付いていきたいと思った人と出会ったこと。と、今でもサポートしている韓国人選手との出会い。

2019年
韓国人長期留学生4人中3人と合意の下、サヨナラ。
韓国人はサポート選手は母親と来ていた小学生1人だけに。
収入が極端に減り、ほぼ破産状態ということもあり、日本のサッカー留学関連の仕事に以前よりも積極的に関わり始めた。

2020年
コロナ禍。友達達が帰国した寂しい年。
友達と在日向けにサッカーのオンラインコミュニティを作り、最初はやりがいを感じ、積極的に活動。しかし、時間が経つにつれてみんな忙しくなり、結局1年も立たないうちに活動終了。やりながら思ったことは、何かアイデアがあっても自分たちにそれなりの影響力がないと人を集めるのは難しいということ。特に在日社会。
6月にバルサの情報発信を発信するX(Twitter)アカウント「ばるむんど」をスタート。

2021年
コロナ禍が落ち着いて来た年。マスクは常備だったが、サッカーが日常に戻って来た。留学生もちょくちょく戻って来て、なんだかんだで仕事があったためなんとか生活。

2022年
サッカー仕事の面で新たな進展があり、たくさんの新しい経験をさせてもらった。その分、ミスも沢山…、人間関係にも困る時期もあった年

2023年(30歳)
サッカー留学、選手マネジメント、通訳の仕事、情報発信をする日々。
また何か新しいことを自分発信で初めてみようと色々考えている今日この頃。

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こんな感じです。
ざっと書きながら思ったことは、

もっと色んなことがあったはず、だけど、細かいことはそんなに覚えてないということ。

サッカー関係のことばかりで、サッカー一本なんだなという印象を与えるかもしれないですが、ブレブレで面白味がないと思っていた時期もありまして、他の仕事を探したこともありました。

でも結局、他の仕事は見つからず、再びサッカーの仕事を貰って、やっていく中で、やっぱり自分はサッカーの仕事で食っていきたいな。と思い、立ち直ったのが、2、3回くらいはあったと思います。

そうしている内に5年ほど前に偶然、人生最高と言える出会いが2つ重なり、それが仕事で形になっていき、現在はありがたいことに、

大好きなサッカーの仕事を軸に生きています!


今回は「これまでの自分について」まとめました。
ちょっと長くなりました。
またどこかのタイミングで自分についての記事は書きますが、
次回からは当分、前の記事でも述べた通り

「海外生活」
「留学」
「語学」
「サッカー」
「Xで見た投稿について思うこと」

について書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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