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「悟り」は「祈り」から生まれる? ー コミュニケーションで「悟る」方法


いつもnoteをご覧いただきありがとうございます。

前回は、現代における「悟り」のために必要なのは、実はコミュニケーションなんではないか?というテーマで、お話をしました。

1人孤独に、厳しい修行をしなければ辿り着けない境地のように思われがちな「悟り」。

しかし、いまの時代における「悟り」には、実は、他者との共同関係が鍵となっているのです。


そうはいっても、実際コミュニケーションで「悟る」には、一体どうしたらいいの?って思う方は多いと思います。

YOKU STUDIOが考える、「悟り」のために必要なコミュニケーションというのは、言語による議論や対話とイコールではありません。

「もっと友達を増やして、たくさんの人と交流すれば、悟ることができる!」という話ではなく…

自分の心のなかで、ありのままの他者の存在を認め、大切に思うという、「祈り」としてのコミュニケーションが、「悟り」には重要なんです!


・「人と話す」だけでは悟れない


前回の投稿では、「自分だけのストーリー」を解体し、それを「他者のストーリー」と織り合わせて、「私たちのストーリー」を作っていくことが、「悟り」だとお話しました。そして、その時に有効なのが、まさにコミュニケーションなのだと。

「悟るためにはコミュニケーションが大事!」と言うと、たとえば「ディベート」のように、バチバチと鋭く意見を戦わせながら、小難しい話をしなければいけないのかな?と思われてしまうかもしれません。

あるいはもしかしたら、「人間的な成長のためには、一人で引きこもるのではなく、たくさんの他者と話さなくてはいけません」という、規範のように聞こえてしまうかも…

けれど、実際に「悟り」において重要なのは、言語を使ったコミュニケーションとしての議論や対話の質や、その量ではありません。


たしかに、古来、洋の東西を問わず、言語的なコミュニケーションは、人間の思考を深め、新たな発見を生んできました。

たとえば、西洋哲学の祖である、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスは、他者との対話を非常に重視しました。また東洋には、まさに「悟り」にいたるための修行法としての対話、「禅問答」がありますね。


しかし、いくら高度な議論や対話をし、そのような機会をたくさん重ねることができたとしても。

もしその人が、自分の一方的な意見にこだわり、他者の意見を全く受けつけなかったら。

その反対に、相手の意見ばかりを受け入れ、いつしか自分の意見が分からなくなり、どんどんと心をすり減らしていったなら。

その人は、自他のストーリーを織り合わせることに失敗している、つまり「悟り」からは遠ざかっていると言えるのです。


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・自分の心に、他者への想像力の余白を作る


「悟る」ためのコミュニケーションとして大切なのは、その質でも量でもなく、モチベーションです。

本来は「自分だけのストーリー」とは無関係に存在するはずの、自由な「他者のストーリー」の可能性を認め、自分のなかに取り入れないと、自他のストーリーを織り合わせることはできません。


私たちは、時々、「自分だけのストーリー」のなかに相手を回収しようとしたり、「他者のストーリー」のなかに自分を当てはめようと躍起になってしまったりします。

特に、恋人・家族・友人、同僚などの、関係性が近い人に対しては、その傾向が強いのではないでしょうか?

「どうしてあの人は、私にもっと優しくしてくれないんだろう…?」、「どうして私は、あの人の望み通りの人になれないんだろう…?」。

このような悩みは、自分と相手、どちらかの一つのストーリーに埋没しているから生まれるのだと思います。


「悟る」ために必要なモチベーションというのは、自分の心のなかに、他者のためのスペースを、ほんの少し空けるようなものです。

自分のストーリーのなかに、それとは全く異質な他者のストーリーへの想像力が入り込む余白を作り、そのストーリーが持っている無限の可能性を認めてみる。

そこで初めて、自他のストーリーが(どちらか一方が優位にならずに、お互いを損なわずに)織り合わさる、つまり「悟り」へと向かう道筋が見えてきます。



・「悟り」の土台としての「祈り」


YOKU STUDIOでは、このような「悟り」に必要なモチベーションを、「祈り」と呼んでいます。

一般的にイメージされる、崇高な存在としての神様に対して捧げられる「祈り」とか、大学合格や出世、恋愛成就といったご利益を願う「祈り」とは、まったく違うものです。

それは、自分の心のなかで、ありのままの他者の存在と、その他者が持っている様々な可能性を、大切に思うことです。


たとえば、好きな人が自分に対してそっけなくて、とても辛いとします。

「自分だけのストーリー」あるいは「他者のストーリー」にがんじがらめになっていると、振り向いてくれない相手を恨んだり、振り向かせられない自分を責めたりしてしまいますよね。

しかし、そんな時。

深呼吸してリラックスし、自分の心の中に、ほんの少し余白を作ってみます。

そのなかで、(自分とはまったく関係のないところで)ニコニコと楽しそうに、生き生きと毎日を過ごしている好きな人をイメージしてみましょう。

これが、その人に対する純粋な「祈り」なんです。

そうすると、単一のストーリーにがんじがらめになっていたところから、少し自分の心が解放されて、ただその好きな人が楽しく生活をしているということ自体に、喜びを感じられるような気がしませんか?


(これって実は、好きな人だけではなく、苦手な人、嫌いだと思ってしまう人にも当てはまる論理なんです。Jamさんの『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』という本がありますが、まさにその考え方です。

相手の何気ない言葉に傷ついて、それを引きずって悩み続けている時、自分とはまったく関係のないところで「パフェとか食ってる」相手をふと想像してみると、なんとなく、悩みがどうでもよくなってしまうような気がしませんか?)


このようなモチベーションを持てると、自分の気持ちが楽になるだけではなく、相手に対する実際の態度にも変化が生じるはずです。自分にとっても相手にとっても心地よい距離感というのが、自然と生まれてきやすいように思います。

また、スピリチュアル的に言えば(いつか改めて、詳しく書くことになるかもしれませんが…)、このような「祈り」は、三次元的な欲望には結びついておらず、自他の区分のない(高次元の)愛のエネルギーに通じるものなので、お互いの波動を上げてくれます。

心の中に余白を作り、自分と同じように他者の存在と、その無限の可能性を認め、それを大切に思うこととしての「祈り」は、その行為自体が、相手との意識レベルのコミュニケーションになっているわけです。


リラックス状態から生まれるこのような「祈り」を通して、私たちは、単一のストーリーに飲み込まれた状態では見落としてしまう、小さな幸せや豊かさ、そして「いまここ」の可能性に、たくさん気づくことができます。

心に余裕を持って、「他者のストーリー」の無限の可能性を認められた時、私たちはもう確定的な「自分だけのストーリー」のなかにとどまってはいません。

そこに広がるのは、色とりどりの可能性に満ちた、自他を超えた「私たちのストーリー」なのです。

これこそ、現代版「悟り」の境地です。


私たちが生きる現代は、このようなコミュニケーションとしての「祈り」こそが、「悟り」を生む時代。

皆さんもぜひ、日常のなかにほんの少し、「祈り」を取り入れてみませんか?



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