横山スターアトラス

東京タワーに住みたいと思っていました。 https://twitter.com/yy…

横山スターアトラス

東京タワーに住みたいと思っていました。 https://twitter.com/yystaratlas

最近の記事

あやまり方の授業

先日、河村たかしについて書いたが、河村たかしもそうだし、張本勲もだろう。さらにこれまた先日書いたDaiGoも当てはまるのかもしれない。もちろん、そのDaiGoと全部大文字のウイッシュの方を取り違えた某記者も当然当てはまる。 とにかく感じるのは「何でこんなにあやまるのが下手なんだろう」ということである。 実際、あやまる、というのは本当に難しい。 下手なあやまり方をしたら火に油を注ぐことになるのは冒頭の人たちの謝罪を見るだけでもあきらかで、インターネットやテレビ越しではない

    • 融通が利かない人たち

      先日、私の知人が怪我をした。その知人は眼が悪く、飛んできた植木鉢にまともにぶつかり、その拍子に転倒、運悪く足を骨折してしまった。 具体的に言えば8月9日、そう、台風9号が接近していた日だ。各地で警報が発令され、その知人が住む地域でもやはり、強風警報が出ていた。 先ほども書いた通り、その人は眼が悪いので、危険だということで会社から「無理矢理」帰されたのだという。雨風が酷くならないうちに家に帰りましょう、と。 しかしこれはどう考えてもおかしい。 すでにこの人が帰宅を促された

      • 敬意を表されるのはだーれだ

        まわりくどいのが好きではないのでストレートに書くが、今回の主要登場人物は名古屋市長の河村たかしである。 そう、例の、金メダル噛む系市長。 その日その時、私は車を運転中だった。 ノドがカラカラだった。しかも、どうも、気分も落ち着かず、一刻も早くアイスコーヒーが飲みたかった。 アイスコーヒーたってコンビニので十分なわけで、それでもかすかなこだわりとしてセブンイレブンのキリマンジャロのアイスコーヒーが飲みたかった。次はファミリーマートのアイスコーヒーか。つまりベストはセブンイレ

        • 『弱者的思想』 -DaiGo炎上に思うこと-

          DaiGoがとんでもない炎上をしている。 私的制裁の是非はともかく、各種団体から抗議が来るのは当然だし、間違ってもDaiGoが可哀想だとは思わない。 今回の発言にたいして、よく「優生思想」という言葉を見る。優生思想の意味を書く気はないが、まァ、弱者はくたばれ、という思想、とでもいえばいいか。 しかし私の感想は違う。むしろDaiGoは「弱者的思想」ではないかと。 これはよくいわれることだが、気の弱い者ほど攻撃的である。私もいろいろな人間を見てきたが、気が弱い人間がもっとも

        あやまり方の授業

          『どっちが悪いかは聞いてない』 終戦記念日に寄せて

          終戦記念日だそうだが、少しだけ戦争のことを書いてみたい。 とはいえそんな大袈裟なことを書こうってんじゃないので気楽な気持ちで読んでいただければ幸いだ。 これは有名なドラえもんのセリフだが、正直この言葉を否定するのはかなり難しい。いや、戦争まで話を広げるから余計に難しいのであって、もっと身近なことなら噛み砕きやすいと思う。 例えば、誰かと誰かが揉めてたとしよう。そして片方から相談されたとする。 ま、たいていは、相談する側は仲裁をして欲しいのではない。はっきりいえば「味方が

          『どっちが悪いかは聞いてない』 終戦記念日に寄せて

          子供が真似をするから

          だいぶ昔の話だが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」での喫煙シーンが問題になったことがある。 個人的にはまったく目くじらを立てるようなことでないと思うのだが、ま、それはいい。こうした議論があるのはけして悪いことではないと思う。 ただし「子供が真似をするから」喫煙シーンをなくせ、という意見だけはおおいに首をひねった。 子供、というのが何を指すのかはわからない。自分の子供のことなのか、それとも世間一般の未就労児全般を指すのかも、この意見からは汲み取れない。 しかし、もし、自分の子供の

          子供が真似をするから

          ヒカキンの話

          子供の頃、どんな仕事をやりたかったですか?と聞かれると言葉に詰まってしまう。 いや、よくよく考えたら、子供の頃に限らず、本当にやりたかった仕事などなかったのではないか、と思い当たった。 憧れはあった。こんな人になりたい、とか、こんな職業に就きたい、とか。しかし、その職業に就くためにどれほどの努力をしたのかは疑問だし、では今の職業に就くためにどれほど本気でやったのかも疑問である。 もちろん仕事である限り、死にものぐるいにもなったし、常に頭をフル回転させてきた自負もある。た

          女性を描くということ

          ちょっと気になった記事があったので、それを題材に一本書かせていただく。 「ちはやふる」という漫画がある。テレビアニメにもなったし、広瀬すず主演で映画化もされたのでご存知の方も多いと思う。その作者である末次由紀のインタビューがネット記事として掲載されていたので読んでみたのだが、大変興味深いことを語っていた。 話としては「ちはやふる」が生理用品の広告に採用されて、そのことをインタビュワーから問われたことへの返答である。 女性って生理によってかなり左右されますよね。競技かるた

          女性を描くということ

          テレビは芸を見せる場所ではありません

          この間、ヤフコメについて書いたが、ま、ついでではないがもう一つヤフコメについて書かせていただく。 芸能人、とくに芸人が何かニュースになるたびに「芸人だったら芸を見せろ」というコメントが実に多い。これ、実にフシギな意見で、するとなんだ、アンタは芸を見るためにテレビを見ているのか、と。 芸を見たいんだったら劇場に行けばいい。たっぷりと、それこそ何の忖度もない芸というかネタをやっています。それをあーた、練り上げた「芸」をタダで見ようなんてムシの良いことを考えちゃあダメですよ。

          テレビは芸を見せる場所ではありません

          「そっとしといてやれよ」

          芸能人の熱愛発覚のニュースが出るたびに、某ヤフーニュースのコメント欄にこんな言葉が並ぶことになる。 「お互い独身同士なんだから、そっとしといてやって欲しい」 それを読む毎に、私は苦笑を浮かべてしまう。たしかに一番「そっと」しておかなきゃいけないのは芸能レポーターかもしれない。しかしいくら下衆だの下卑だの言っても、芸能レポーターだって仕事っちゃあ仕事のわけだ。 しかも芸能人の場合、私生活を晒すことも報酬の一部である、つまり「プライベートを金銭と交換している」=公人、と考え

          「そっとしといてやれよ」

          人間の自由のために

          仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ! 古い話で恐縮だが、上記の一文は1971年に始まった「仮面ライダー」第一作のオープニングのラストのナレーションである。 それにしても「人間の自由のため」とは良い言葉である。何より「正義のため」などという陳腐な言葉を使っていないのがいい。 ここで押さえておかなければならないのは「人間の」自由ということである。つまり個人個人の自由のために戦っているのではないと存外に言っているわけだ。 もちろん「個」が尊重されるのは当た

          人間の自由のために

          時短営業の意味

          緊急事態宣言が一部地域で解除になった。 これが喜ばしいことなのか嘆かわしいことなのかは問わないが、どうしても首をかしげてしまうのが時短営業というものである。 このパンデミックにおいて、もっとも重要視されるべきことは「混雑を避ける」ことではなかったのか。 当たり前だが、もし極端な時短営業、それこそ昼間の1時間しか営業を認めない、とかになれば、これは混雑しない方がおかしい。つまり時短にすればするほど混雑をまねく可能性が高くなるのである。 ならば、時短ならぬ「時長」を、本来

          声なき声をあげる人たち

          ストックホルム症候群、という言葉をご存知だろうか。 詳しくはウイキペディアを参照していただきたいが、主に誘拐事件や監禁事件の際、犯人に親近感を持ち、被害者であることを忘れて犯人を庇おうとさえしてしまう心理を指す。 実際、そうしたケースは多々見られるが、これまたウイキペディアによると「そうした心理状態になる被害者は8%に過ぎない」らしい。 さすがに誘拐事件や監禁事件などの生死の狭間にいる場合であれば8%という数字は妥当に思われる。 しかし、これが生死の狭間とは言えない、

          声なき声をあげる人たち

          人生の黄昏の楽園

          ずいぶん長い間見ていないが、かつて私は「人生の楽園」という番組を好んでみていた頃があった。 好んで見ていた理由、そして見なくなった理由は説明するまでもない。 この番組を熱心に見ていた頃、私は大都会に住んでおり、大都会を離れたことで見なくなった。それだけである。 あれは都会での生活に疲れ、田舎を<癒やし>の対象と見ていなければ面白くもなんともない。田舎の現実を知る人たちにとっては「そんな、甘いもんじゃない。こんなことがずっと続くわけがない」と感じるであろうし、都会に住むこ

          人生の黄昏の楽園

          22個目の物語

          物語とは、主人公の、ほんの一瞬だけを切り取ったものである もちろん、伝記などの例外はあるとはいえ、フィクションであろうがノンフィクションであろうが、ほとんどの「読み物」に冒頭の言葉が当てはまるはずである。もし、自分を主人公とする物語があったとするなら、どの瞬間が相応しいであろうか。これを想像するのはなかなか楽しいことである。 小学校の時のリレー大会にアンカーとして出場したあの日、せっかくごぼう抜きでトップになったのに、ゴールテープの手前で派手に転んでしまった<瞬間> 高

          「有吉的時流の読み方」著名人覚書05 有吉弘行

          少し前、有吉弘行と夏目三久の結婚が発表されたが、有吉の立ち振る舞いに彼の処世術を見た気分だった。 有吉の足跡を今更語るわけではないが、彼は番組の企画という形でオール巨人に弟子入りし、そのせいもあって当初は「上方芸人」の色合いが強かった。 彼の毒舌芸は上岡龍太郎の前説をした際に、上岡龍太郎の毒舌芸を観察し続けた結果だと言われるが、上岡龍太郎は言うに及ばず、オール巨人にしろ、先のオーディション企画で番組の司会をしていた島田紳助にしろ、どこをどう切り取っても上方芸人である。

          「有吉的時流の読み方」著名人覚書05 有吉弘行