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「有吉的時流の読み方」著名人覚書05 有吉弘行


少し前、有吉弘行と夏目三久の結婚が発表されたが、有吉の立ち振る舞いに彼の処世術を見た気分だった。

有吉の足跡を今更語るわけではないが、彼は番組の企画という形でオール巨人に弟子入りし、そのせいもあって当初は「上方芸人」の色合いが強かった。


彼の毒舌芸は上岡龍太郎の前説をした際に、上岡龍太郎の毒舌芸を観察し続けた結果だと言われるが、上岡龍太郎は言うに及ばず、オール巨人にしろ、先のオーディション企画で番組の司会をしていた島田紳助にしろ、どこをどう切り取っても上方芸人である。

有吉弘行がブレイクしたのは電波少年だが、破門の最中にブレイクしたこともあって、ここで完全に上方芸人の色合いが消える。


以降の人気凋落から再ブレイクで第一期有吉、第二期有吉に分ける向きもあるが、むしろ上方芸人とのつながりがあった時代=オール巨人弟子時代を第一期、以降を第二期にした方がスッキリする。


つまり、有吉の芸人人生で人気凋落→再ブレイクはそこまで大きいことではないと言いたいのだ。

とにかく、彼の芸人人生は上方芸人としてはじまった。しかも彼がかかわった上方芸人はいずれも旧時代の人たちであり、当然考え方も旧時代に則したものである。


正直、新しいだの古いのだのはどうでもいいのだが、有吉というひとりの芸人の根底にあるのは間違いなく古い芸人であり、どこか、しきたりや礼節を大切にしていることが垣間見られるのは、つまりはそういうことである。

たぶんこれは猿岩石として人気を集めて以降変わってないと思う。しかし彼はそうした「古い芸人的考え」を後ろに隠してしまった。そして、今、芸人がテレビで求められることを愚直にやり始めたのだ。

よく言われることだが、21世紀に入ったくらいから、何故か「楽屋裏での芸人同士の仲の良さ」が求められる時代になった。


そうした楽屋裏の仲睦まじい姿を、テレビ越しに想像させてくれる芸人に人気が集まる時代になったのだ。(もちろんそれ以前はそうではなかったのだが、それは話が逸れるので割愛させていただく)

そうした潮流が生まれた、いや生まれたのは1990年代後半のおぎやはぎからだと言われるが、とにかくそういう風潮がメインストリームに表れ始めたのは、ちょうど有吉の凋落時期と一致する。


彼は、そうした潮流をテレビから正確に感じ取っていたとおぼしい。同時に、これからの求められる芸人像を掴んでいたのかもしれない。

私が鮮やかだと感じたのは「僕、ある時期からものすごく笑うようになったんですよ」と語っていたところで、ここだけ見ても「面白いというよりは楽しそうな芸人が求められている」ことを掌握していたのは確実である。
しかし私が感心したのは、そうした手の内をオープンにしたことで「勘づかれて誰か(それこそインターネットなど)から指摘されるよりも、自らバラしてしまう」手口にある。

バレることで嫌悪感を持たれるくらいなら、最初から自分で手口を喋る方がリスクが少ない時代、と読み切ったのはまことに鮮やかで、それは今回の夏目三久との結婚にもよく表れている。


ゲスの勘繰りではないが、想像でいろいろ書かれたりネットの噂話になるくらいなら、番組で共演して仲睦まじい姿を見せつける。これほど時代を読んだ処世術はちょっとお目にかかれないレベルだ。

だからといって、根底にあるはずの旧時代の芸人らしさを完全に消して、ただ今に迎合しているだけなのか、というと、それも違う。


一見今風だが、世話になっている番組に「夫婦共演」という形でキチンとした義理立てになっているのはたいしたものだ。これなら<今>の人たちにも<旧時代>の人たちからも称賛されるのも頷ける。

この処世術は今後スタンダードになると思われるが、誰しもが真似出来るわけではない高度なものだ。しかし、どちらにせよ、有吉がパイオニアだと言うことを忘れてはいけない気がする。

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