「そっとしといてやれよ」
芸能人の熱愛発覚のニュースが出るたびに、某ヤフーニュースのコメント欄にこんな言葉が並ぶことになる。
「お互い独身同士なんだから、そっとしといてやって欲しい」
それを読む毎に、私は苦笑を浮かべてしまう。たしかに一番「そっと」しておかなきゃいけないのは芸能レポーターかもしれない。しかしいくら下衆だの下卑だの言っても、芸能レポーターだって仕事っちゃあ仕事のわけだ。
しかも芸能人の場合、私生活を晒すことも報酬の一部である、つまり「プライベートを金銭と交換している」=公人、と考えるなら、「そっと」されないのも、致し方ないのかもしれない。
しかるに、某ヤフーニュースのコメント欄への書き込みは報酬でもなんでもない。はっきり言えばただの野次馬である。
もしかしたら「その芸能人のためにそっとしておいてあげたら?」という考え自体は、間違ってないのかもしれない。しかしわざわざ、アクセス数に貢献するようなコメントを書く行為をしておいて、どの口が言うのか。
というか「そっとしてあげて」というコメントが一番「そっとして」ない行為なのだ。本当に「そっとして」あげたいのならコメントなどしないのが「そっと」する方法だ。
何というか、まるでわざわざフーゾクに行ってフーゾク嬢に「こんなところで働いてちゃダメだ!」と説教する、どうしようもないオヤジを見るようである。主張そのものはそこまでおかしいことではないのだが、発言する場をわきまえてなさすぎる、というか。
「同じ穴のムジナ」でも「ミイラ取りがミイラになる」でもいいが、世の中にインターネットが席巻するようになって、如何に<場>をわきまえない人が多いかが浮き彫りになった気がする。
そういえば某5ちゃんねるの有名のコピペにこんなのがある
怒らないでマジレスしてほしいんだけど
なんでこんな時間に書き込みできるわけ?
普通の人なら学校や会社があるはずなんだけど
このこと知った親は悲しむぞ?
現実見ようぜ
まァただのコピペっちゃあコピペなのだが、もちろんこれを書いてる(コピペしている)本人もまさに「同じ穴のムジナ」なわけで、昔の2ちゃんねる用語で言えば「オマエモナー」と返すことが可能な、一種の風刺といえるのかもしれない。
こうした風刺がわかるくらいに余裕と洒落っ気があればいいのだが、某ヤフーニュースのコメント欄はおそらく「マジモン」である。まさか自分が同じ穴のムジナとも思わず、正論を書いているつもりなんだろう。
いや、百歩譲って、頭に血が上った状態で「つい」書いてしまったとしよう。これなら賢くはないが少なくとも可愛げはある。
しかしこうしたコメントへのコメントとして「その通り!何でそっとしてあげられないのか!!」とか「芸能レポーターは云々」とか、こうなると魑魅魍魎の集まりとしか思えなくなる。
正論というのは<場>をわきまえていればこそ正論として成立するのである。
逆にいえば<場>をわきまえない正論はノイズでしかない。もっとはっきりいえば「自分は馬鹿です」と自己紹介しているようなものだ。
ということは、noteにこんなどうしようもない文を書いている私もまた、<場>をわきまえない困ったオヤジなのかもしれない。
ヤフーニュースについて一家言あるのなら、どこが相応しいかはともかく、少なくともnoteじゃないだろう。
いや、違う違う。そうじゃ、そうじゃなあい。
そもそも「同じ穴のムジナ」とも露ほども思わない人らを晒し上げて、悦に入っている私が一番どうかしているのだ。
そっとしてあげよう。そう、こんな偉そうな拙文を書いている私を。というか頼むからそっとしておいてくれ!←ただのどうしようもないオヤジ
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