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人間の自由のために


仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ!


古い話で恐縮だが、上記の一文は1971年に始まった「仮面ライダー」第一作のオープニングのラストのナレーションである。


それにしても「人間の自由のため」とは良い言葉である。何より「正義のため」などという陳腐な言葉を使っていないのがいい。


ここで押さえておかなければならないのは「人間の」自由ということである。つまり個人個人の自由のために戦っているのではないと存外に言っているわけだ。


もちろん「個」が尊重されるのは当たり前なのだが、すべての人間の「個人の自由」は仮面ライダーでさえ、戦ってくれない、ということになるのか。


さて、いよいよ東京オリンピックの開催是非が期限切れ間近になってきたわけだが、正直、私は「どちらでもいい」と思っている。いやこれでは必要以上に投げやりに感じる向きもあると思うので言葉を変えるが、正確には「どっちの道を選んでも結局デメリットが莫大なので、たいして変わらないのではないか」といえばいいのか。

だから賛成派にも反対派にも、とくに何の感情もない。どっちの言い分もわかるし、なるほどね、と、基本的には思う。


あくまで「基本的には」なのは、いやいや、お前さんはこのことにたいして発言しちゃいけないだろ、と思われる人の発言が存在するからである。具体的には「もともとスポーツに興味がない、もしくはスポーツ嫌い」の人の意見だ。

2011年の震災の時に嫌というほど感じたのだが、時流に便乗して「自分が憎く思っているものを、これ幸いとこの世から抹殺したがっている人」が本当に多くて、心底ウンザリした。


震災の時であればパチンコがターゲットになった。パチンコは昨年のパンデミック初期にも同じような目にさらされた。


はっきり言おう。私はパチンコが嫌いである。いや大嫌いといっていいかもしれない。だからといって、時流に便乗して「パチンコ屋などなくしてしまえ」とは思わない。それとこれとはまったく話が違う。

まず、パチンコがこの世からなくなったとして、あらゆる業種、職種が影響を受ける、というのがある。


一見パチンコ業界とは何の関係もなさそうな業種が影響を受ける。それでも自分ひとりなら無傷でいられるかもしれないが、自分にとって大切な人たちがまったく無傷でいられるという保証もない


というかこれはパチンコに限らない。どんな業種であろうと「まるまるなくなる」状態になると経済なんか成り立つわけがないのである。

もうひとつ、こんな便乗をしたら結局自分に跳ね返ってくると思うからだ。
ここで黒澤明の言葉を引用しておく。どんな状況で発せられたかは長くなるので割愛するが、今のご時世にあまりにも当てはまるのだ。


○○は確かに悪い。しかし、あいつをピストルで撃つと、弾丸は地球を一周して、おれの後頭部に返ってくる。



自分はスポーツが嫌いだ→だからオリンピックなんかなくすべきだ

自分は外食を好まない→飲食店が潰れても問題ない

自分はテレビなんか見ない→テレビ局なんか全部潰してしまえ

白ごはん嫌い→米なんか作るな

いつ死んでも構わない→地球滅亡しろ



ま、最後はちょっとジョークで薄めさせてもらったが、自分が気に入らない→だからなくなっても構わない、ならまだしも、時流に便乗して「なくしてしまえ」なんてやってたら、この世から何もかもなくなってしまうのだ。


もちろんこうした発言が飛び交うインターネットだって、ひとりでも「インターネットはやらない、だからインターネットはなくしてしまえ」なんて人がいれば、当然インターネットもなくなる。

個人の自由なのはあくまで「頭の中で思う」ことである。そこは制限されちゃいけない。でも匿名でこんな幼稚な意見を撒き散らして「これが世論だ!」ってのは、いくらなんでも違うと思うのだが。


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