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子供が真似をするから


だいぶ昔の話だが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」での喫煙シーンが問題になったことがある。


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個人的にはまったく目くじらを立てるようなことでないと思うのだが、ま、それはいい。こうした議論があるのはけして悪いことではないと思う。
ただし「子供が真似をするから」喫煙シーンをなくせ、という意見だけはおおいに首をひねった。


子供、というのが何を指すのかはわからない。自分の子供のことなのか、それとも世間一般の未就労児全般を指すのかも、この意見からは汲み取れない。


しかし、もし、自分の子供のことをいっているとするなら「知ったこっちゃない」としかいいようがないのだ。

幼児向けの作品として、私がパッと思いつくのは「アンパンマン」である。
しかし「アンパンマン」は作者のやなせたかしの戦時中の苦い経験がベースになっている部分があり、だからこそ「まずは空腹から解決しよう」とする。その発想は実に素晴らしい。


もちろん、主人公のアンパンマンは自らの顔を空腹の人に分け与えるだけではない。
ばいきんまん、という敵役が設定されているが、最終的にアンパンマンとばいきんまんの対決になり、最後はアンパンチでばいきんまんを殴り飛ばして「正義の」アンパンマンが勝つ。
そこだけ取り出せば、とくに問題がないようにも思える。

しかし、冷静に考えればアンパンマンのやっていることはただの「暴力的解決」である。


再びばいきんまんが悪事を働いていることを考えれば、とりあえずその場を収めて制裁を加えただけで何ひとつ問題を解決していないのだ。


これが本当に教育的に正しいといえるのだろうか。


もし、幼稚園か何かで暴力的な行動に出る園児がいて、もしアンパンマンの行動に倣うのであれば、そういう悪いヤツは殴り飛ばしましょう、ということになってしまうのではないか。


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私はアンパンマンを否定しているのではない。そもそも、教育的に良い悪い、と考えながらフィクションを見せること自体が間違っているといいたいのだ。


仮面ライダーであろうがプリキュアであろうが、悪は制裁される。正義が勝つ。カッコいい必殺技を使っているので意識しづらいが、解決の方法は常に、どんな作品であろうと「暴力」である。


もし「子供が真似するから」と思うなら、アンパンマンも仮面ライダーもプリキュアも見せてはいけない。あなたは自分の子供を「何でも暴力で解決するような人間に育てたいのですか?」といいたくなる。

しかし実際はどうだろう。


今の、私よりも年齢が下の日本人が子供の頃に「暴力的な解決をするヒーローが登場するテレビ番組」を見てない人は皆無に近いだろう。
だからといって、では「暴力的な解決=正しい」と思っている人間がどれほどいるか、考えればわかる。


「子供はすぐに真似をする」というが、真似をしたから何だというのだ。親ならば止めさせるのが当たり前ではないか。それは暴力的解決であろうが喫煙であろうが一緒だ。

そもそも子供は真似さえできれば十分で、何もリアルさを求めているわけではない。


大昔に「エイトマン」というアニメがあり、その中で主人公が喫煙するシーン(厳密には喫煙ではないが喫煙的な仕草)が劇中に出てきたが、当時の子供たちは「ココアシガレットでエイトマンごっこ」をしていたのだ。つまり表面上さえ真似ることができれば、口に咥えているのがココアシガレットで十分満足するのである。


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仮面ライダーごっこだって、誰も本気でライダーキックなんかしない。せいせい高いところから飛び降りて足を挫く程度だ。

はっきりいえば「子供が真似をするから」という親が一番子供を馬鹿にしている。子供はそんな馬鹿じゃない。ましてや親が「それは絶対やってはいけない」ということは子供は(出来るか出来ないかはともかくとして)守ろうとするのだから。


だから私はこういいたい。「それはおたくのしつけの問題でしょ?」と。



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