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テレビは芸を見せる場所ではありません


この間、ヤフコメについて書いたが、ま、ついでではないがもう一つヤフコメについて書かせていただく。

芸能人、とくに芸人が何かニュースになるたびに「芸人だったら芸を見せろ」というコメントが実に多い。これ、実にフシギな意見で、するとなんだ、アンタは芸を見るためにテレビを見ているのか、と。


芸を見たいんだったら劇場に行けばいい。たっぷりと、それこそ何の忖度もない芸というかネタをやっています。それをあーた、練り上げた「芸」をタダで見ようなんてムシの良いことを考えちゃあダメですよ。

これで終わるのもあんまりなので、ここでちょっと翻って「テレビ」と「芸」について書いていこうと思う。


話をややこしくしないために、漫才師を例にする。漫才師がテレビで漫才をやる。これはテレビに出るためのきっかけ作りでしかない。つまり芸をもって「テレビに出演するためのパスポートを得る」ようなものだ。

もしパスポートが手に入れば、もうその漫才師はテレビで漫才をやる必要はない。再びテレビで漫才をやるのはM-1グランプリのようなテレビならではの大きなイベントか、もしくは不祥事やらでパスポートを失効した時だけだ。いやM-1グランプリ自体がパスポートを手に入れるための大会ともいえる。


そしてパスポートを所有している漫才師の漫才を見たいのであれば劇場に行く。


では漫才をやらなくなった漫才師はテレビで何をやるかである。司会?ひな壇?もちろんそれはそうだが、私が言いたいのは役割の話ではない。どんな役割であろうがひとつ、これだけはやっていかなきゃいけないことがある。
それは「人間を見せる」ことだ。


このことに関してはとっくに引退した上岡龍太郎が面白い意見を吐いている。

「人々がテレビ(というメディア)で見たがるのは、素人が芸をするか、玄人(プロ)が私生活を見せるか、それだけしかない」


もっとわかりやすくいうのならば、素人が私生活を見せても興味を惹かないのは当然として、プロが芸を見せても興味を惹かない、と存外に言っているのである。


いや、この際プロかどうかはたいして問題ではない。とにかくここでは著名人としておこう。著名になれば、一般の人々はその人の私生活というよりは「素顔」を見たくなるのである。

ある意味テレビとは対極であるはずのYouTubeでさえそういう傾向があり、一定数の登録者数を超えたらそこからはどれだけそのユーチューバーの「素顔」が見れるかがポイントになっている。


もちろん、悪辣な素顔なんか見たくないと思うのはテレビでも同様だが、つまりは最終的に問われるのは「人間性」とでもいうのか、好まれる人間性であればテレビでもYouTubeでも、人気を維持することができるのである

ユーチューバーだってバズるためには刺激的なネタをやる必要があるのかもしれない。知名度を上げるためにはなりふり構ってられない、そうした姿勢が求められるだろう。しかし刺激的なネタはいずれ飽きられる。刺激も極限までいくと犯罪に類する行為に走るしかなくなる。だからどこかで方向転換が必要だ。


芸も実は同じなのである。仮に芸がテレビでウケたとしても、ずっと芸をやり続けると必ず飽きられる時が来る。


これは歴史が証明している。コント55号が早々に飽きられたのは売れても売れてもコントをやり続けたからだ。

つまりはこういうことだ。


すでにテレビに出るためのパスポートを持った芸人がテレビで芸をやり続けることなど、百害あって一利なしなのである。そんな芸人にとってメリットがないことを正論めいた調子でコメントする。まったく、恥ずかしくないのだろうか。

いや、ここにこんなことを書いている私自身が何様だという話かもしれないが。




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