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声なき声をあげる人たち


ストックホルム症候群、という言葉をご存知だろうか。


詳しくはウイキペディアを参照していただきたいが、主に誘拐事件や監禁事件の際、犯人に親近感を持ち、被害者であることを忘れて犯人を庇おうとさえしてしまう心理を指す。

実際、そうしたケースは多々見られるが、これまたウイキペディアによると「そうした心理状態になる被害者は8%に過ぎない」らしい。


さすがに誘拐事件や監禁事件などの生死の狭間にいる場合であれば8%という数字は妥当に思われる。


しかし、これが生死の狭間とは言えない、しかし暴力が介在した主従関係の場合はどうだろう。あくまで個人的な意見ではあるが、もっと高いパーセンテージになる気がするのだ。

あくまで私が見た範囲であることを断っておくが、ドメスティックバイオレンス、いわゆるDVの事実がある夫婦では「ストックホルム症候群に限りなく似た」ケースが多かった。


DVの事実があることは確定しているにもかかわらず、頑なに認めない。いや暴力をふるった男性側が認めないのは当たり前かもしれないが、暴力をふるわれた女性側が認めないのである。

仮に認めたところで「いや、私が悪いからこんなことになったのだ」とか「彼は悪い人ではない。本当は優しい人なのだ」と男性の善人性を力説する。


よしんばそれを乗り越えても、恐怖心から男性に喧嘩を売るような真似は絶対に出来ない。


正直、DV問題においてストックホルム症候群という言葉が当てはまるのかは知らない。しかし、限りなく似た症状である、くらいは言ってもいいのではないか。


昨今、有名人に離婚スキャンが立つと、かなりの確率で女性側から「実はDVがあった」という告白が行われている。


しかし私は、この手の話をあまり信用していない。本当にDVがあったとするなら、むしろ男性を庇うか、もしくは恐怖心から声を上げられないと思うからだ。


いや百歩譲って、精神的支配を伴わない家庭内暴力ならば、それは喧嘩に近い。手を出した側が悪いのは当然として、だったら「DV」ではなくただの「傷害事件」として扱うのが妥当でないか。

私はDVという言葉の矮小化をものすごく恐れている。


精神的支配を伴わない男女間の喧嘩と、ストックホルム症候群に近い関係性のDVは絶対に峻別すべきだし、本当に救わなければいけないのは後者の方である、と声を大にしていいたい。


有名人がただの喧嘩を安易にDVと叫ぶことで「ああ、都合が悪くなったからそんなことを言い出したんだな」みたいな風潮になって、本当に苦しんでいる人たちがますます声をあげ辛くなる、そんな世の中になるのが怖いのだ。

これはむしろメディア、もしくは警察に言いたいことかもしれない。精神的支配を伴わない夫婦間の問題にたいして安易にDVという言葉を使って欲しくない。もちろん世間を味方につけたいがためだけの理由で、DVがあったと声高に叫ぶ有名人がいたとするなら言語道断である。


いや、精神的支配がともなっていようがいなかろうが家庭内暴力=DVなのだから、それが本来の使い方ではある。

ならば「家庭内精神的支配」に相当する、新しい言葉を作るべきではないか。


これなら暴力の有無は関係ない。仮に暴力の事実がなくても、精神的支配が認められれば救済や接見禁止の処置もしやすいと思う。


というか暴力は傷害で対応すればいいのだ。家庭内か家庭外かで峻別する必要はまるでない。

家庭内だからこそ起こる、暴力の有無にとらわれない精神的支配への対応は今後の社会では必須ではないか。


女性に限らず、子供はもちろんのこと、被精神的支配者となってる男性も対象になる、つまり、全国民が対象になる可能性があるのだから。

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