見出し画像

自筆短編 「江島詣」

江島詣(えじまもうで)

これは、私の知らない母の妹の話し。名前は義子さんと言う。その人は日記を書いていて、それを読んだ母が聞かせてくれた話しだ。

またあの夢をみた。
私の背後にしぶきの様な緑の光を感じながら、ぼんやりと人影が現れて、その姿が視界に入って哀愁が込み上げて泣いてしまう。

目が覚めると頬が濡れていた。

病室のベッド。
今日も退屈な一日が始まる。
肺の病を煩いこんな転落をするとは夢にも思わなかった。
朝起きると、新聞でバスケットの記事を探すのが日課になっている。
オリンピックを間近にひかえ、幼なじみの秀一がバスケットの全日本選手に選ばれる可能性があるからだ。秀一とは家が近所で、小学生から高校の三年間全て同じで、高校生の時にはいわゆるお付き合いをしていた時期もあったが、別れてしまって、彼は別の人と結婚した。だけど、私は今でも彼が大好きだ。

彼は順調に大学と実業団、そしていよいよ今回の東京オリンピックで全日本の候補選手になっている。

私は大学を出て三年間印刷会社で働いていたのだけど、ここ二年くらいずっとなんだか浮かない気分でいて、それが病気によるものだとは全くきづく事がなかった。
入院してもう二週間、検査の日々が続いている。どうやら、もう治る見込みは少ない様だ。

翌日、秀一が見舞いに来てくれた。
私は早起きして、お化粧をして彼を迎えた。
彼はいろいろな話しをしてくれた。
監督が自分を気に入ってくれていて、来週の選考会で最終決定になるそうで、今日は江島に所属チームのメンバーとお参りに行ってくるとの事で、必勝祈願には島の入口から上の江島神社まで三往復歩くと願いが叶うという言い伝えがあるので、それをやるのだそうだ。

彼が帰ってから、調べてみたところ、江島祈願というものが出てきて、確かにその通りの事が書いてあった。
翌日両親と姉が来て、やはりどこかよそよそしい優しさで、もう私には回復の希望はないのだと悟った。
その日の夜中、病室を抜け出して、私は江島に向かった。

病院は七里ヶ浜にあるので、海沿いに出てタクシーに乗り江島の橋の手前で降りて、私は歩き出した。
暗い闇の中、橋の先に商店が並んでいて、真ん中にうっすら鳥居が見えている。
月と星の綺麗な夜だった。
9月の始めで、まだまだ蒸し暑さが残り、岸の手前には海の家が所々解体され始めている様だった。拳をぎゅっと握り絞めて、三回歩くんだと決心する。
真っ暗なお店が並ぶ間を歩くのはとても心細かったけれど、途中石段に座り込んでしまったりしながらも、なんとか私は歩き続けた。

いよいよこれで三往復目、橋の入口の観光船乗り場がある前に着き、振り向いて江島を仰ぐ。

島のてっぺんにある灯台の灯りを見たとたんにその灯りが左右に揺れて、視界がぼやけて立っていられなくなり、座り込んでしまう。
しばらくして、橋の手すりにしがみつく様にまた歩き出した。
胸の辺りが苦しくて、息を吸うと咳がして、上手く呼吸が出来ない。
それでもなんとか橋を渡り、坂を登りきり、真新しいエスカー乗り場を通り過ぎて、神社への石段に差し掛かった時に、眼球が外側から白くなりだして、完全に前がみえなくなってしまった。
側頭部に強い衝撃があった。倒れたらしい。 どのくらいの時間が経っただろう。
またあの夢をみた。

背後にしぶきの様な緑の光、ぼんやりと人影が現れて、その姿が視界に入って。
それは滝の下で私が立っていて、
その人影は秀一の面影を感じる姿であった。
「義子、義子。」
声が聞こえてうっすらと目を開ける。
秀一に抱き抱えられていた。
「秀一、どうしてここに?」
病院から連絡があり、母から聞いて、まさかと思ったが、探しにきてくれたらしい。
義子は薄く開いた弱い眼差しのまま、秀一の手を求めた。
そしてその手を精一杯握りしめてこう言った。

「秀一、また会うよ、きっと会う。滝の下で。」

それからまた意識がなくなった。

その二日後、義子は死んだ。

この話しを聞いてから数ヵ月が経ったある夏の日。
私は足柄山にある夕陽の滝に出掛けた。

友人達はバーベキューの準備をしていたが、なぜだか木々の先に見えている滝に一人歩いていき、滝壺の脇で滝を見上げた。ふと後ろを振り向いた。
背後に、しぶきの緑の光を感じながら、眼前にぼんやりと人影が現れる。

そして、私は泣いていた。

 三島由紀夫 「春の雪」に敬意を込めて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?