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母の日に思う「親孝行」という重荷

今朝、またある夢を見て
うなされる形で目が覚めた。

母に拒絶される夢。

母にぷいっとそっぽを向いて無視される夢。
幼少期を再体験したような夢だ。


最近、なぜか、
忘れていたはずの
小学生のクラスメイトが夢に出てきたり。

ちょっと自分でもびっくりしてる。



ふつうの楽しい子ども時代を
過ごしてきた人からは
信じてもらえないだろけど、

わたしの中には、ほんとうに、
幼稚園や小学校時代の記憶がほとんどない。
なかったからだ。


noteの記事を読ませてもらったり、
まわりの人の話を聞いてると、


「修学旅行では〇〇へ行って」

「〇〇ちゃん(お友達)と〜して楽しかった」

「お父さんお母さんと〜して楽しかった」


そんなかけがえのない、
温度や色がある
中身が詰まった思い出話を聞く。


でも、わたしにはそういう記憶がない。

修学旅行やキャンプで行った場所は
思い出せるが、

誰とどういう時間を過ごしたのか、
まるで自分だけがそこに存在していなかった
かのようにスコーンと中身ごと抜けているのだ。


カウンセリングを受けてからわかったけど、

記憶がなかったのは、
いわゆる「解離」だったんだってこと。


わたしは自分を守るために、
辛い記憶を全部消したかったのだ。

辛い体験、その時感じた痛みを感じたままでは、決して生きていけないと思ったからだ。


だけど、
その自分で封印していた記憶を開いて
向き合えるようになったから
少しずつ思い出すことも増えたのかな。

受け止めれる自分になってるって
ことでもあるのかな。



えっっと、なんの話だっけ。そうだ夢の話。

そういえばわたし、幼少期の頃から、

毎晩のように悪夢でうなされて
目が覚めることが多かった。


悪夢を見るのが怖くて眠るのがこわかった。


実家を出てからも、

母に罵倒され、虐められて、
うまく言い返せなくて
喉をギュッとしめられる夢、

言い返しても鼻で笑ってバカにされたて
怒りでどうにかなりそうな夢、

そんなリアルな夢をよく見てた。


最近は、そういう内容の夢でうなされることは、やっとなくなったと思ってたのにな。






ところで、夢の話とは全然関係ないかもだけど、

この季節には、テレビをつけても、
お店に行っても、ネットを開いても

必ず飛び込んでくるのが「母の日」
というワード。

この時期はゴールデンウィークも重なるから、
帰省する人も多いからかな。

街に出れば、3世代で仲良くお出かけする
家族の光景がイヤでも目に入ってくる。

ずっとこの季節は複雑な気持ちだった。



わたしは長年、接客の仕事をしているが、

仕事上、母の日のプレゼントを提案したり、
ラッピングを作ったりする機会が多かったが、
仕事は仕事として割り切っているとは言え、
正直とても複雑な気持ちだった。

だってさ、

「お母さんに日頃の感謝の気持ちを贈りませんか?」なんて、
自分が心からできもしない、
思ってもないことを言わなきゃいけないんだもん。嘘っぱちじゃねえか!自分ってね。


いつからだろう?

母の日に何かを贈ることが親孝行の証のような
世間の空気が強くなったのは。


物が溢れ、ネット社会が発達したせいもあるのか、世間や他人の情報も簡単に受け取ることができるようになったからか。


母に日に限らずだけど、



毎年〇〇贈っている

家を建ててあげた

旅行をプレゼントしてあげた


そういう目に見える形で親孝行している人の
話ばかり耳にしていると、

そうできないわたしは、
世間からのはみ出し者のような、

ものすごく親不孝者のような扱いを
受けているように感じてきた。

罪悪感のような。



わたしだって、できることならそうしたい。できるなら。



わたしだって、散々、親孝行がんばったんだよ。

初任給で母と父に、夫婦水いらずでとプチ温泉旅行をプレゼントした時も、

「お父さんが早よ帰れと言ったから全然楽しくなかったわ!」と言って、
帰るなり文句を言った母。
父もありがとうの一言もなかった。


そういえば、小さい頃からそうだったな。

親に何かプレゼントしても、
ありがとうとか嬉しいわとか、なくって、
ふーんという感じで関心というか気持ちがないというか。すごくさみしかったな。


プレゼントだけじゃなくて、
人生かけて尽くしてきたもんね。

でもああしろ、これしてくれ、要求や文句ばかりで、
わたしの気持ちは受け取ってくれないの
わかってたんだ。


大人になったんだからさ、
もう過去のことは忘れて、
自分が我慢すればいいだけでしょ?

いちおう親には育ててもらったんやし。

とりあえず、形だけでも合わせてたら
ええんちゃう?


そう思う人もいるかな?


でもね、わたしはやっぱり気持ちを大切にしたいの。

気持ちがないのに、形だけなんてどうしてもできないの。



わたしが親や他人中心で生きてきて、

もっと親孝行しなきゃ足りない!
って思ってたけど、

「親は子どもが幸せでいてくれるのが一番嬉しいんだよ」

「親が子どもに与えるもので、子どもが親に与えなきゃいけないのは間違ってるよ」

と教えてもらった。


そっか、じゃあ、もうわたし
充分親孝行してきたんだね。

一生分の親孝行。

わたしはもう充分がんばった。


今は、ストンとそう思えるようになった。



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