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「怒り」の裏側にある本当の感情とは?

幼少期からの家庭環境で、ありのままの感情を表現できなくなった。


好きやうれしい楽しい、泣いたり怒ったりetc…
人間が人間たらしめる当たり前の感情。

「本当はわたし何を感じているの?」わからない…
気づくとそうやって長い間、感情をマヒさせて生きてきた。


カウンセリングなどを通して
自分と向き合うことで、

ようやく自分の中の本当の感情に
気づき理解しはじめる。

その中でも、怒りという感情は
私の中ではとても重要で大きな存在だった。


そんな内容を先日のnoteで書いたけど


今日は、そのもうちょっと奥の、
怒りの裏側の話をしようと思う。



思い返すとわたしは、気づくとどこに行っても、

優しそう

話しやすい(何でも話を聞いてくれそう)

そんなイメージを持たれることが
ほとんどだった。



「よっこは、怒ったりすることあるの?」

「怒りという感情を抱いたことあるんですか?」


こういう質問をされると正直、すごくモヤモヤした。モヤモヤというか違和感というか。

わたしは聖母か?
どんなイメージやねん…


本当は、わたし勝手にそういうイメージで決めつけられるのが嫌だったんだ。

こういう気持ちに気づいたのは、
わりと最近というか、本当の意味で
感情マヒから解放され始めてからなんだけどね。



優しそう

話しやすい


他人から投げかけられた言葉の中には、


よっこはどうせ何を言っても怒らないでしょ?

どうせ嫌(NO)とは言わないでしょ?

ちょっと言葉悪いかもしれないが、
そういう都合がよく身勝手な期待や願望が
入り混じってるのを感じていた。



感情を表現できない、自己主張できないと
自分でも思い込んでたし、
実際そうだったから、
そういうイメージで誤解されやすかったのだろうか。


(そんなだから、学校ではいじめられっ子になりやすかった?

職場でも、パワハラのターゲットになりやすかった?

いやいや、それは加害者の問題だから横に置いとくとして。)



最初は母との関係から始まって、外の人間関係、親しいと思っていた友人関係まで、おなじことを再現していた。


相手の悩みや話をなんでも聞いて
受け入れてあげる優しい人。

自分の話しをするより、他人の話しを聞く役割。


「こんなこと、友だちや誰にも話せないの。こんな話聞いてくれるの、よっこだけだよ。こんなこと話せるのよっこだけ。」


そう言って、
まるでゴミ箱にポイポイ投げ捨てるかのように、
やり場のないグチや怒りの感情をわたしに投げ捨てる。


スッキリしたら用が済んだとばかりに足早に去っていく。

話しを聞いてほしい時だけ都合よく連絡してくる。


わたしは困ったときだけの窓口?



ずっと、わたしは人の役にたってることに
喜びを感じていた。


いつも人からそんなふうに扱われても、
わたしってそんなもんだと思っていた。

信頼されてると思ってたし。
いい人間関係築けてるとさえ思っていた。



でも、あるとき、

「それって本当にいい人間関係築けてる?
友人関係と呼べるの?」

と指摘された。


「…」


「何言ってんの!わたしはこれが普通だと思って生きてきたんだから。わたしは…」


本当は自分が空っぽなの認めたくなくて、
必死で握ってたもの全てを失いそうで
こわかった。

だけど、もう認めざるをえなくなった。


ほんとうは、

自己肯定感が低すぎたせいで、
人の役に立つことで存在してもいいって
思いたかったのだ。

ありのままのわたしでは存在しては
いけなかったから。


それに気づいたら、
マヒしていた怒りという感情が解放された。


「わたしって何なん?」

「グチのゴミ箱にせんといて!」

不当な扱いを受けたことに対して
怒りが溢れかえった。


もしそういう本音をぶつけていたら、

もしそうやって拒んでいたら、

築けなかった人間(友人)関係。

決して健全な関係とは言えない、共依存関係。


長年、気づかれずに積み上がった
怒りという感情と向き合ううちに
気づいたことがある。


わたしは怒りをただぶちまけたいわけじゃ
なかったんだ。

相手に悪かったと謝らせたいわけじゃないんだ。


思ったことを言えない悔しさ

存在を忘れられていることへの悲しみ

信じていたのに裏切られたことへ絶望感

軽く扱われた(信頼関係を築けなかった)
ことへの失望

理解されない寂しさ

誰とも心がつながっていない孤独を味わう
みじめさ

etc…


理解されたい

心がつながりたい

信頼したい

大切にされたい


怒りの裏側には、わたしの本当のニーズ
隠されていた。


つまり、怒りというのは、

わたしに本当のニーズを教えてくれる
大切な大切な感情だったのだ。


「今まで散々、無視してないがしろにしてきてごめんな。」

ずっと敵対していた自分の中の怒りという感情も、少しずつ愛おしく思えるようになった。

そして、今まで誰にも(自分にも)
気づいてもらえなかった存在。

悲しみ、寂しさ、etc…
わたしだからこそ感じるありのままで
大切な自分自身だ。


最後まで読んでくれた人ありがとうございます。

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