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ありのままに触れたい

自分のことは自分が一番よく分かっているとか、いや、自分のことは案外自分よりも他人の方が分かっている、とも言うけれど、その人の本音やありのままってけっこう分からない。

例えば、一番の親友を思い浮かべてみたとして、その人について自分はどれくらい知っているのだろう。

反対に、その人に対して、自分自身をどれほど曝け出しているのだろう。

SNSを始めとした、発信プラットフォームの盛り上がりのおかげで、個人が発信できる場所や機会はすごく増えた。

けれど、誰でも自由に発信できたり、誰かの人生を覗き見できるからこその息苦しさや肩身の狭さもある。ビジネス目的の利用者も増えたので、有益な情報を発信せねば、といった空気感もあるかもしれない。

最近は「お腹すいた」、「どこどこなう」みたいな投稿をめっきり見なくなってしまった。そういうプライベートな情報や個人の意見、感想は鍵垢などのクローズドな場所で吐き出されるらしい。

リアルでは出会ったことのない世界中の誰かと繋がれるかもしれない、そんな開放感がSNSの魅力だったはずなのに、クローズドになりつつある。

そのクローズドな場所ですら、自分自身をよく見せようと着飾ったり、本来の自分ではない自分を見せることもある。もちろん、それができるのがSNSの良さでもあるけれど。

そもそも、そう感じているのは僕自身だけかもしれないし。

というのも、noteで投稿される記事は、その人自身の考えや価値観、感情や感覚が忠実に書かれていることが多い気がして、読んでいて面白い。

noteを始めて間もない頃は、どこかで見た記事に「たくさん自分からスキをすると良い」と書いてあったので、闇雲にたくさんの記事にリアクションをしていた。非常にお恥ずかしい話だけれど、noteも既存のSNSの延長線上にあるものとしか当時は考えていなかったので、迷いなくそうしていた。

だんだん闇雲にリアクションすることに罪悪感を覚え、それらの記事を、一記事一記事全て読んでみることにした。案の定、面白かった。

僕を含め素人の書く文章なんて、いわゆるプロから見れば支離滅裂で、構成もがちゃがちゃで、表現も拙いのかもしれない。

けれど、素人の書く、その着飾られていない等身大の文章、いや、がんばって着飾ろうとたまにそれっぽい表現をしている部分すら、読んでいて心地良い。

140字以内にまとめる必要もなければ、加工された画像を使う必要もない、そんな自由に表現できる場だからこそ、各々の個性や魅力を感じることができる。

まさに、誰かの日記を覗き見ているような、そんな感覚。

様々な要因で、人との繋がりが希薄になってしまったこんな世の中だけれど、誰かの本音やありのままに触れられるのは良いな。


こんな記事を書いていると、「この記事、note公式に取り上げられないかなぁ」という本音まで思わず書いてしまいそうなので、この辺にしておく。

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